魔難の中で大法弟子としての自覚を持つ
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 【明慧日本2014年12月13日】数日前、ある老年の女性同修から電話がありました。彼女は泣きながら、しばらくの間、水腫にかかっている。たくさんの同修が、修煉体験を見せてくれたり、しっかり修煉するよう励ましてくれたり、また執着心を探してくれたり、迫害を否定するようにと伝えてくれたが、自分がどんな執着心をまだ放下できていないのか本当に思い出せない。しかし、水腫はますます厳しくなっている、お腹はもうすぐ破裂しそうだと言いました。私は遠く離れているため、具体的な状況は知りませんが、魔難のなか、私達は必ず自分が本当に法を学べるようにすべきだと思いました。もし、本当にどういうことなのかが分からず、乱れているすべてを自分で解決できない場合、私達は師父に助けを求めることができると思います。

 私は臨床医学を学んでいる大法弟子で、大学を卒業してから、病院の内科で仕事をしています。1999年の秋、わたしは中国共産党メンバーからの無理な要求や命令、指図を拒否したため、誰も行きたがらない理学療法課に移されました。そちらの機械は古くて、放射量がとても多かったのです。しかも、そこでは基本的に医学知識が要らず、そこでの毎日の仕事は基本的な放射に対する保護が足りない部屋で、患者を見守り、定時に機械のスイッチを入れたり、切ったりすることでした。病院の同僚はみな私が理学療法課で勤務した時、白血球が低減したことを知っています。院長が私をその課に移動させたのは、私に信仰を放棄させるためだと思いました。病気のない人がなるべく避けようとする場所は、実は大法が迫害されている真相を深く伝えるのに最適な場所でした。

 その期間中、私はとても疲労感を覚えました。毎日帰宅するとベッドに倒れ、動きたくなく、全身が浮腫んでいました。少し力があって、起きることができると、すぐ煉功しました。しかも、夜に動功を行うと、翌日自然と目が覚め、静功ができました。のどの調子が悪い時、私は大きな声で『轉法輪』を読みあげました。するとすぐ心が元気になり、声がよく響き耳が心地よくなりました。こうして、私の身体は耐えられました。しかも、いつも皮膚がとてもきめ細かく、白にピンクがさしていて、30歳の私は21、22歳に見られました。同僚たちが言うには、もし私が大学を卒業したことを知らなければ、私を十代だと思うでしょう。また電話で私の声を聞くと、子供の声に聞こえたので、私を子供だと勘違いしたと言いました。私はこの機会に、「法輪大法は性命双修の功法で、高いレベルの修煉大法です」と伝えました。

 一度、同修と交流する中で、何もかも師父に求めてはいけない、それは依頼心の現れだという意見が出てきました。しかも、1人の女性の同修(私より年上)は私にこの方面の問題があると厳しく指摘してくれました。私も自分の依頼心が多少あると思い、それを取り除こうと決心しました。しばらくして、生理が終わってからも、血が止まらないことに気づきました。常人の理論によると、血小板とその他の凝固因子が損傷したため、その量が基準以下になったのが原因です。私は7.20以前のように、まず「師父、私を助けてください」と考えることをやめ、黙々と忍びました。そして毎日、普段通りに出勤し、学法し、煉功しました。当時、師父はまだ発正念の法を説かれていませんでした。9日目になると、顔色がとても青白くなりました。煉功と学法の時には比較的、元気がありましたが、ほかの時間はとても気力が出ませんでした。12日目になると、煉功するときはまだ立つことはできましたが、歩くときは力が出ず、安定して立つこともできませんでした。病院から帰宅するとベッドに倒れて学法し、師父の写真を見ながら、師父に求めてもよいかどうか、これは依頼心かどうかを考えていました。師父はご慈悲に笑っていました。私ははっと気づきました。もちろん、師父に助けを求めてよいのだ。私は師父の弟子で、今は生命に及ぶ魔難に遭遇している、私はもちろん自分の師父に助けを求めてよいのだ、これは依頼心ではない。なぜなら、人間の肉体とまだ良く修めていない部分は本来、他の空間の邪悪にあまり抵抗することができないので、すべては師父がされている、私の師父にできないことはない。私の師父は全宇宙のすべてを掌握し、制御されているのだ。その時、不思議にも血が止まりました。

 師父は早期の説法で、私達に教えてくださいました。魔の邪魔に遭った時、師父の名前を呼びなさいと。ですから、修煉をはじめた初期の数年間、とても多くの場合、最初の念は「師父、私を助けてください」、「師父、私を救ってください」あるいは「師父、弟子がしっかり行えるよう加持してください」でした。当時、私は女の子1人で、部屋を借りて住んでいましたが、目を閉じると怖いシーンが見えました。しかし、『轉法輪』を開いて、師父の写真を見ると、すぐ寝られるようになりました。12日間に及んだ大量出血のことを思い出すと、真相を伝えることまでひどく邪魔されていました。師父に助けを求めることは、師父が私達のために按配された性命双修の道を選んでおり、旧勢力が按配した私達の肉体を失わせる道を選んでないことになります。

 同修は明慧ネットの文章の中で、刑務所などで虐待される時、「師父」と呼ぶと、加害者らは直ちに虐待を止めたと提言していました。師父の法身はずっと私達を見守っています。私達が本当に自分で解決できない問題に遭遇した時、私が思うには私達が明確に師父に助けを求めれば、師父も私達を助けてくださることができます。もし、すべて人間の考え方であれば、自分ではいくらよくできていて、どれほど善良で、あるいはどれほど「恐怖心」がないと言っても、それはただ学法が深くできていない修煉者にすぎません。師父は「旧勢力が命がけで師父が私達を助けないように阻む一つの理由は、魔難のなかで、その同修が自分が大法弟子であることを思い出してないということである」と説かれました。

 以上は個人の認識であり、不適切なところがあればご指摘願います。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2014/11/28/300851.html)
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2014/12/10/147235.html)
 
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