無意識に法を乱す行為を根絶する
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文/中国の大法弟子 静心

 【明慧日本2013年7月11日】最近、家の水道管が水漏れして修理を頼みましたが、直るどころか水漏れはよけい酷くなりました。内に向けて執着心を多く探し、それを取り除くよう努力もしました。しかし水漏れは依然として深刻で、私は大変悩みました。

 その日、私は『轉法輪』を暗唱しました。「しかし一つだけ、多くの経典は、翻訳する際に、すでに一部の内容に誤りがありました。それに加えて、多くの経典の解釈は異なった次元で行なわれ、勝手な定義を与えられています。それこそ法を乱すことです。勝手に経文を解釈している人は、佛の境地からあまりにも遠く、本当の内容をまったく理解していないので、物事に対する認識も違っています。経典の内容を完全に理解することは決して容易なことではなく、自分だけで理解して悟ることは難しいのです」という部分まで暗記しました。しかし、この段落の法は2日かけても覚えられませんでした。覚えられないので、私は法輪功の資料を作ろうとしました。しかし資料もうまく作れず、プリンターも使い勝手がよくありませんでした。しかたがないので真相を伝えに出かけました。しかし効果がとても悪かったのです。その上、最近妨害がとても多く、法を読むとすぐに眠くなってしまいます。

 3日目の夜、私はこの部分の法を覚えようと決心しました。私は師父に線香を差し上げて、加持をお願いしました。私は仏堂で法を暗記しました。覚えているうちに、私はこの方面で自分に問題があるのではないかと気付きました。私はよく考え、つい最近のことを思い出しました。周囲の同修が強制連行されたため一部の同修の恐れる心が強くなり、ある同修が師父の経文を一枚の紙切れに書き、それを同修の中で回覧して、心性を高め恐れる心を取り除こうとしました。経文には師父の名前、期日、出処が書かれていないため、厳粛ではなく師と法に対して敬意が欠けていると感じました。私がそれを書き写して調べると、師父の学習者に対するコメント『法をよく勉強していれば、人心を取り除くことは難しくない』であると分かりました。同修はその文章を断片的に書き写していました。恐れる心に関する法を書き写していましたが、最初の文には二文字が抜けていて、しかも紙切れに書かれているので厳粛ではありませんでした。その時、私はただ妥当ではないと感じ、協調する同修にその意を伝えましたが、他の同修達にこの行為を是正しませんでした。法に照らしてみると、これは深刻な法を乱す行為だと思いました。私は問題の深刻さを感じ、すぐに師父に謝りました。それから自分が師父の法を引用する際、厳粛ではなく法に対して勝手に解釈し、定義を与えるような法を乱す行為、口を修めない執着心などを解体し一掃すると書き、正念を発して、それらを一掃しました。

 翌朝、私は1カ月以上続いた水漏れが止まったことに気付きました。今まで一晩でたらいに水がいっぱい貯まっていたのに、今はたらいの中は乾いたままでした。私はその時、涙がポロポロこぼれました。私を目覚めさせてくださった師父に感謝します。このだめな弟子はまた師父に御心労をお掛けしました。大法は本当に不思議です。何もかも師父がしてくださっています。私は何を恐れ、何に固執することがあるでしょうか、何もかも放下すればよいのです。

 あの数日間、私はこの文章を書くつもりはありませんでした。それは怠惰で、無責任のためでした。自分が分かれば良いと思っていました。しかしこの数日、私は繰り返し考えました。私には知らないうちに法を乱す行為がありました。しかも、この類の行為は一般的に多くあります。旧勢力もこれらを利用して大法弟子の隙に乗じているのではありませんか。その経文を転写した同修は数日前に、強制連行されていますし、この地域の何人かの同修も不当に連行されました。それを考えると私達はけっして油断してはいけないと思いました。この方面でよく内に向けて探して、これらの問題を書き出さなければならないと思いました。なぜなら、私達大法弟子は一つの全体です。私は自分に対して責任を負わなければならないと同時に、同修にも大法にも責任を負わなければならないからです。私の文章力は高くありませんが、私は結果を求めません。ただ私達皆がそれを是正して、無意識に法を乱す行為を根絶することを願っています。

 一、私の無意識による法を乱す行為

 私は法を読む時、字を飛ばしたり、字を加えたり、誤字を読んだり、他のことを考えたりします。また、法を学ぶ時、尊敬の心で学ぶのではなく、楽な姿勢で本を読むことがあります。同修と交流する時、人に真相を伝える時、法を広げる時に、師父の言葉を自分の言葉として気軽に言ったり、自分の言葉を法に加えて言ったりします。メモを取る時、あるいは法を暗記する時、師父の法を気軽に書いて、気軽に置きます。師父の経文を写す時も、厳粛、厳格でなく、文章を不完全に、断片的に書き出し、出処、師父の名前、期日などを書かないことがあります。古い同修、新しい同修と一緒に法を読む時、分かっていないかもしれないと気にかけ、勝手に師父の法を定義し解釈します。煉功の時、師父の指導に従わないで、師父の号令より先に動き、時には動作が正確でなく、要求通りになっていません。座禅を組む時、心を静めず妄想をします。辛くなったら体を倒し、煉功の音楽を聞きながら眠ってしまうことがあります。新奇なものを求めがちで、よく輪廻転生や他空間などの資料を集め、またこれらの資料を他の同修にも転送しました。このため私のパソコンが壊れて、何百元も使ってやっと修理をしました。しかし、私は目を覚ましませんでした。

 二、私が出会った地方の同修が法を乱す言動

 昨年9月、私は四川の峨眉山へ旅行に行きました。そこで河南省の同修に出会いました。彼は私と交流した時、「師父が計り知れない偉大な能力を持っているとしたら、その弟子も計り知れない偉大な能力を持っています。師父は一層一層降りてくる際に真身を造りました。弟子も同じです」と言いました。その時私は、彼の口ぶりはとても大きいと思いました。誰が師父と比べられるでしょう。このように悟るのは正しくなく、私達すべてを師父が地獄の中から救い上げてくださったと思いました。しかし自分は法に対して無責任で、また他人を傷つけたくない心を持っており、この類のことを重要視していなかったため、言葉だけだから大したことではないと思い、それを止めることもなく、彼に注意もしませんでした。

 数カ月後、私はまた四川省の同修に会いました。彼は1枚の発正念のメモを持って来て、私達何人かの同修に書き写すように言いました。その中に「師父の法を正すプロセスを『始動』させる」という言葉があり、私は、これはとても大きな問題だと思いました。師父はとっくに以前から法を正しておられ、誰が師父の法を正すプロセスを『始動』させられますか?! これはあまりにも高慢で、まったくのでたらめです! しかし、こんなに明らかな法を乱す行為に対し、私は大事な事とせず、同修のメンツを傷つけないように配慮し、またそのまま一枚を写してしまいました。他の同修がそれを発見し、問題の重大性を指摘してくれて、私達はやっとそれを燃やしました。

 昨年のことです。過去に大法を修煉していて、未だに戻って来ていない人が、私の前でデマを伝えました。彼女はアメリカから帰って来た弟から聞いたと言いました。彼女は師父の悪口は言いませんでしたが、それは悪意を持って実質的に法を破壊するものでした。私はその時、厳粛に「そこまでにしてください。これ以上この話を広げてはいけません。これは極悪非道です」と忠告しました。しかし私自身は口を修めず、また同修である家族に広げました。

 私はどうして、このように頻繁にこれらのことに出遭うのでしょうか? それは自分に法を乱す心と法を乱す行為があるからです。私には重い顕示心、自己を実証する心、歓喜心、噂をつく心、好奇心、勝ち気があるからです。さもなければ、私がこれらのことに出遭うことはないはずです。すべて偶然ではありません。また、他人の法を乱す行為に遭遇する時、虚栄心、傷つけたくない心、法に対する無責任感、同修に対する無責任感があり、慈悲をもって同修を助けるのではなく、無関心で麻痺する心を持っています。師父は過去に何回も気づかせてくださいましたが、私は悟りませんでした。

 三、私達の地域にある法を乱す行為

 1. 私達の地域には年配の女性同修が多く、ほとんど明慧を見たことがありません。彼女たちは教育水準が低く、あるいは、全く教育を受けていない人ばかりです。若い同修はいつも彼女達が知っていることは少なすぎると感じ、多く教えたがります。またある同修は交流をするのが好きで、法理を議論し大言壮語を言います。年配の同修は彼が法をよく理解して、法の立場に立って発言していると勘違いして、口の達者な同修を崇拝してしまいます。また、そこから依頼心、盲従心が生まれ、同修をベタ褒めし、同修を有頂天にならせてしまいます。

 2. 交流好きな同修は時々心が正しくなく、あるいは人心が多いため間違って偏って理解します。しかし彼らが偏った理解を他人に伝授し押し付けるならば、それは法を乱す行為で人を間違って誘導することになります。もし他人に損失をもたらしてしまえば、その罪業はもっと大きくなります。

 3.集団学法の時に形だけに留まり、法を学ぶ時間は多くなく一講を学び終わらないまま、あるいは数段落の法しか学んでいないのに交流を始め、ネット上の同修の文章を話したり、現在の情勢を話したり、自分の見解を話したりします。また、人々が聞きたがっている、法に則っているとは限らないものについて話をします。本当に心を静めて法を勉強して、法の上で向上する目的に達していません。

 4. 今年の1月、同修が他空間で見たものについての文章をコピーして来て、法の学習後に執着を取り除き早く向上し、円満に師に従って帰ることを議論しようとしました。しかし、一部の同修は昼も夜も資料を作り、それを配り、食事をする暇もないほど忙しくしています。夜、資料を配りに行くため、夜中の12時の発正念もできません。朝、煉功に起きられず、6時の発正念も意識がはっきりしません。また、法を学んだ後の煉功も保証できません。一度、皆で資料を配りに行く時、車が横転しました。幸い大事にいたらずに済み、負傷者は出ませんでした。帰って来てグループ学法の時、みんなは内に向けて活発に探しましたが、法の学習は足りず修煉も堅実でないため、本当の執着は見つかりませんでした。ある同修は私達のグループに来て「早く修めましょう。他の人は(その学法グループを指す)すでに、仏陀なのか、道なのか分かっていて、多くのものを知っていますよ、彼らは本当によく修めています」と言いました。しかししばらくして、その学法グループの同修は資料を配る時に強制連行され、また迫害の苦に耐えられず、他の同修のことを白状してしまいました。普段口を修めないため、顕示心、歓喜心が強く、なんでも修煉していない家族に喋っており、その家族は心のバランスが崩れ、警官に他の同修を連行するように求めました。何人かの同修は未だに救助されていません。しかし、普段、法をきちんと学び、正念の強い同修は、すでに同修達の加持の下で、刑務所から出て来ました。これは学法が足りないことによる執着心です。他の人はみんな合格ラインに達していると思い、自分はまだ多くの人を救わなければならないと焦り、修煉を仕事としてしまい、円満成就に執着し、時間に執着してしまいますが、それによる教訓は深刻です!

 5.発正念の内容が多すぎて年配の同修はそれを覚えられず、若い同修は面倒がって、毎回心を静めることができない現象があります。ある人は自分が有効だと思う発正念の方法を他人に伝授して、自分のやり方通りにさせます。これも法を乱す行為です。発正念について、師父の何編かの経文があるのに、私達はどうしてそれを探し出して学ばないのでしょうか? このような漏れがあるため、ある学習グループは発正念の真最中に警官が妨害に現れました。発正念は本来、邪悪を解体するものなのに、悪を招いてしまう始末でした。これらの教訓を、私達は重視しないわけにはいきません!

 6.ある同修は「すでに10数年も経っているのに、法を正す期間はどうしてまだ終らないのでしょうか?」と言います。時には思想業につられ理性のないまま法を評価し、いつ終結するかを推測したり当てたりします。あるときは、人間の考え方で師父を見ることもあります。それも法を乱す現れです。 

 四、明慧の文章を重視する

 この頃、明慧編集部は連続して、顕示心、講演が法を乱すことなどについての文章を掲載しました。私は一回しか目を通しておらず、自分は厳しく師父の要求通りに行動していて、法を乱す行為はないと思って、重要視しませんでした。実は自分の修煉状態は良いとは言えません。つい最近、公安当局の幹部に真相を伝えた際、彼に無理矢理『共産党についての九つの評論』などのCD-ROMを渡したため、彼は私を強制連行しようとしましたが、師父は私を守ってくださいました。しかし、邪悪に隙に乗じられたのは、自分にはとても強い顕示心、自己を実証する心、競争心、闘争心、歓喜心、無責任感、法を乱す行為があるからです。あまりにも危険でした! 師父は重大な問題は必ず明慧ネットの態度を見るとおっしゃいました。(明慧編集部2000年6月15日の文章『近日中に7月22日以来の2篇目の真の新経文が発表がされる』)明慧で発表された文章、特に師父がコメントされた文章については必ず重視し、多く見なければなりません。それは、このような現象がすでに普遍的に存在し、警戒心を高めるようにと注意を呼びかけていることを意味しています。明慧の同修に対する高い責任感は、すべての誤った行為を是正するため、大法を損なわないため、修煉者に修煉の道を順調に進めるためのものです。私達は必ず、法に照らして、自分の問題を探さなければなりません。

 修煉の道には手本も参考もなく、修煉に些細なことはありません。一挙一動、一言一行、すべて実修しなければならないのです。いい加減にしてはいけません。不注意になってはいけません。苦労を恐れてはいけません。面倒を恐れてはいけません。安逸を求めてはいけません。ただ厳粛にまじめに法に照らして修め、何も思わず、なにも求めません。「もちろん修煉は「修は己にありて、功は師父にあり」、これは間違いのないことです。」[1]。自分を清浄にし、自分を正して、師父の導きのもとに帰ります。

 注:
 [1] 李洪志師父の経文:『二〇一三年大ニューヨーク地区法会での説法』

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2013/7/1/276005.html)
 
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