大口を叩いてはいけない
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文/中国・長春の大法弟子

 【明慧日本2016年9月30日】昨日、同修と一緒に学法し、交流していたときに、Aさんは「私は真・善・忍である」と言ったり、また「私は法を正す者」等などと、憚らずに言いました。私はその発言は大袈裟だと思います。

 師父は「この宇宙の最も根本的な特性は真・善・忍で、これこそが佛法の最高の体現であり、最も根本的な佛法なのです」[1]と私たちに教えてくださいました。私たちは真・善・忍を修煉し、宇宙の特性に同化しようとしています。一方、真・善・忍は佛法の最高の現れなのです。自分は「真・善・忍」であると、どうして言えるのでしょうか? 私たちは修煉途中の人間であり、最後まで自分の修煉を成し遂げなければ、全てが台無しになってしまいます。一体どんな人心が動じてこのような発言をしたのかと、もっと深く掘り下げるべきだと思います。

 この発言は妥当ではないと指摘しましたが、Aさんは法の中都合の良い部分を探し弁解しようとしました。一部の同修もAさんの調子に合わせて「これは異なる次元の認識で、高い次元の認識です」と話しました。私はやはりこれは次元の問題ではなく、法に則っているかどうかの問題だと思います。Aさんとその一部の同修は三つのことを行っており、交流をしている時、表面上は他人に良く修めているような印象を与えていますが、発言の中身は自分を顕示し、自分を実証しようとしてします。この数年間、自分がいかによく行っていたとか言っていましたが、法を実証してのではなく、師父をも認めていません。喋りだしたら止まらず、自分が喋ったことは法のどの部分から悟ったとさえ言っていました。

 この文章を書くのはAさんに対してだけでなく、このような発言や考えを持っている同修も今後警戒すべきだと思います。ホラを吹き、自我が膨張し、自惚れてしまえば、本当の家に戻る道を見失います。師父は「ぜひ、次のことに注意してください。有意にせよ、無意にせよ、話を大げさに語ると佛も驚いてしまいます。自らの修煉に障碍をもたらしてはいけません。この面でも口を修めるべきなのです。皆さんは分かるよう望んでいます」[2]と私たちに警告されたことがあります。同修の皆さん『精進要旨』をもっと勉強し、一体どんな心が動いてこのような発言をしたか、内へ向けて探すべきです。もちろん、このような話を聞いた同修は、自分も似たような問題があるのかと内へ向けて探すべきと思います。私たちは様々な魔難を経験し、苦を嘗め今日まで歩んで来たのは容易なことではありません。これからも大法との機縁を大事にし、法をもって師とし、もっと頭を明晰に、理性をもって最後の道を着実に正しく歩むよう心から願っています。同時に、このような人に発言の場を与えないよう望んでいます。

 注
 [1]:李洪志先生の著作『轉法輪
 [2]:李洪志先生の著作『精進要旨』「たわむれ言を語らない」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2016/7/11/331155.html)
 
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