中国を出国してからの感懐
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文/若水(中国大陸から来たもの)

 【明慧日本2015年2月11日】海外に来て10日近くになりました。私は心の中では、血潮が沸き立ち、恥しさと悔しさが入り交じり、複雑な気持ちは治まりようがありません。

 海外に出るため、私は様々な手続きや旅の支度、善後処理等に時間とお金を多く費やし、その上、同修たちにも多大な迷惑をかけ、家族にも多くの負担を加えました。

 大使館にビザを申請しに行った時、数人の同修は私に正念を発し、迫害された証拠を申請した時も、同修たちは私に正念を発し、出発前と出発当日も、同修達は私のために頻繁に正念を発してくれました。

 本来、これらの正念は衆生を救うため、迫害を受けた同修の救出のために使うべきものだったのに、その精力は私に傾けられてしまいました。私は恥ずかしくて仕方ありません。

 ある同修は、私が口論や弁解するのが好きで、海外のプロジェクトに参加しても上手く協力出来ないのではないかと心配していました。私は、彼女にも同じ問題を抱えていると指摘して、彼女に言わせようとせず、その上、多くの言うべきではないことを言ってしまいました。私は駅のエレベーターで、どたんと転倒し、トランクと一緒にひっくり返ってしまいました。なのに、エレベーターを止めてくれる従業員はいませんでした。その様子は周りのやじ馬見物の人をもびっくりさせました。旧勢力は隙に乗じて、私の命を狙っていたのです。慈悲で偉大な師尊は弟子を守ってくださり、私は無事でした。私の腕時計が壊れても、手は擦れ傷だけで済み、パンツが破けても、膝はあざ程度で済んでいました。

 空港では警官に連行され、師父のご加護と同修たちの加持の下、私はやっと抜け出すことが出来ました。しかし、旧勢力は修煉中の大きな隙に乗じ、私を危険な状況に落とし入れようとしました。本当に恥ずかしく思いました。

 長い間、私はずっと師と法を敬うことをやり遂げておらず、甚だしきに至っては法を乱す行為すらありました。出発前、私は北京の衆生のことを気にかけ、慌しく人を救う仕事をこなし、法をあまり勉強せず、心は落ち着きませんでした。その上、安全にも不注意でした。出国した際、かばんを検査され、中から私が印刷した、製本していない師父の経文と交流小冊子を見つけられ、私は搭乗ゲートから派出所に連行されました。数時間後に、派出所から出てきましたが、しかし、チケットを再度購入させられ、とても大きな経済的損失を受けました。

 出国当日、同修達が私のために正念を発してくれると約束してくれました。師父のご加護と同修たちの加持がなければ、私が飛び立つことも無かったでしょう。その時、警官は私のパソコンを開いて、起動用のパスコードを言わせようとしました。私はそれを拒否しましたが、警官は必ずパソコンを調べなければならないと言いました。しかし、パソコン内の資料作成のための全てのデータは削除されておらず、ポータブルハードディスクとUSBメモリにもデータがいっぱい入っていて、暗号化されていませんでした。師父が弟子を守って下さったおかげで、警官はなんとそれらを発見しませんでした。師がおられ、法があって、私は心の中では非常に落ち着いており、同修達の正念も空港をしっかり制御していました。私は朗々とした笑い声で、警官とやり取りし、他空間の邪悪を絶えず解体していました。正と邪の戦いの末、警官はさらに尋問を続けることはしませんでしたが、しかし、私が持っていた大量の経文は没収されました。私は早くその場を離れたい一心で、経文を取り戻そうとしませんでした。今、師父に申し訳なく、悔やんでやまない気持ちでいっぱいです。

 万難を越えて、やっと目的地に到着しました。しかし、衣食住、買い物、引越しなどはすべて同修に頼り、同修の誰もが人を救うプロジェクトで忙しく、私の到来は彼らにかなりの負担をかけました。経済的な圧力はさらに大きいものです。迫害された状況の中、生活を切り詰めて貯めたお金は、本来、大法の資源でしたが、しかし、私は手続き費用や、洋服代、チケット購入などに使い、海外に来たら、家賃、生活用品などに使い、五万元(96万円)はあっという間に底をつきました。

 しかし、これらのお金でどれだけのテレホンカードを買うことができ、どれだけのコピー用紙とインクを買うことができ、どれだけのDVDを書き込むことができたでしょうか。大法弟子はどこにいても、人を救うことを最優先にするから、多くの時間と気持ちをお金を稼ぐことに費やしてはいけないため、将来の生活から来る圧力も大きいと予想されます。その上、言語の障害もあって、難民申請が上手く下りるかどうかも不確定で、いろんな困難が待ち構えています。

 ようやく落ち着いて、真相を伝えようとしました。しかし、観光スポットに行かなければ、中国人に会えないことが分かりました。その上、交通費、食事代など、人を助けるコスト(金銭と時間のロスも含む)は高いものです。国内では、いつでもどこでも、便利で、コストをかけずに真相を伝える機会がいっぱいあって、唯一必要なのは正念だけです。

 同修たちが私のために忙しくしているのを見て、また多くの時間をかけて海外生活に適応しなければならないことを思うと、この一刻千金の肝心な時、私は帰国しようという一念が生じました。海外に出る道は果てしなく、また戻る道も苦難に満ちています。ちょうどその時、ある国内に留まった同修の文章『同修が海外へ行くことへの感想(中国語)』を読みました。

 同修は文章の中で「いつも『5.13』や『7.20』などの日になると、私は同修と一緒に真相横断幕をかけに行きました。しかし、2014年の『5.13』と『7.20』の日に、私は1人で車を走らせ、真相横断幕をかけに行きました。私の脳裏には絶えず同修達の面影が浮かんで来ます」と書かれていました。この同修は「自分は夢の中で、多くのプロジェクトをやる人がいないことを思い出すと、大泣きしました」と言いました。

 自分がたくさんの仕事を、すでに忙しくて手が回らない同修に残してしまったことを思い出すと、私も大泣きをしました。街を歩いても泣き、神韻の公演を見ても泣き、泣きに泣きました。もし国内にいれば、今日は露店商人に真相紙幣を送る時間でしょう。普段ですと、市場で買い物をして、真相貨幣を使ったり、三退を勧めたりしていたでしょう。修煉をしていない家族のために一本の水、一袋のインスタントラーメンを買っても、それはすべて人を助ける機会となっていました(私がいなくなって、彼らが自分で買い物に行っても、もう人が助かることはないでしょう)。家にいても、私は静かに資料を作ったり、メールアドレスやファックス番号を収集したり、文章を書いたりして……そう思うと、私は泣き出しました。衆生がすべて私を非難しているように感じ、彼らから、あなたが海外に行って、どうやって私達を救うのですか? 北京は邪悪が集まる中心で、全中国、全世界の同修はみな北京を応援しているのに、あなたは正義と邪悪が戦う主戦場から逃げ、後方に隠れて、あなたは脱走兵です! と言われているように感じました。

 修煉を始めてから、私はほとんど泣かなくなりましたが、今回は涙が常に流れました。私はある大法プロジェクトの要請で海外に来たつもりでしたが、しかし、よく考えてみれば、中国という修煉の主体、衆生を救い済度する主戦場がうまくできなかったからこそ、師父は海外でプロジェクトの展開を安排し続け、国内を支援していると思います。師父は何度も私達のために耐えられ、何度も終わる時間を遅らせ、私達はどうしたら師父に報い、どうしたら私達の衆生に面を向けることができるのでしょうか?

 私はただいっそう精進し、安逸心を徹底的に一掃し、自己を徹底的に放下し、同修と協力し、プロジェクトを円融して、衆生の期待に答えられるよう努力し、また、自分の努力によって、邪悪の中心地に留まって、邪悪を鎮め、人を救う同修達の圧力を軽減させたいと望んでいます。

 ここで、私は海外に出たい同修たちに言いたいのです。あなたが海外に出たいと思う時、自分は国内で大いに力を発揮できるのか、それとも海外で大いに力を発揮できるのかをよく考えてください。あなたは自分のために海外に出るか、それとも衆生のために海外に出るかをよく考えてください。

 適当でない所を、同修の慈悲なるご指摘を願いします。合掌。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2015/1/23/303546.html)
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2015/1/30/148170.html)
 
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