軽率な発言は鋭利な刃物のように人を傷つける
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2015年8月24日】私の常人の同僚の1人はとても人付き合いが良く、穏やかで、人の品定めをするようなことはしません。彼女は人と話をする時、常に相手の立場に立ち、親身になって話を聞くことができるので、皆は好んでいろんな世間話を彼女とします。彼女は皆に好かれて、人受けが良く、もめ事を起こすようなことは一度もありません。もちろん、身の処し方の基本、生命の存在する意味や本質からみれば、常人と大法修煉者は根本から違います。しかし、一部の大法弟子の人との接し方は、恥ずかしいことですが、常人にも及ばない時があります。

 私たちは三つのことを実行していますが、一部の同修は口を修めることにおいて、あまり望ましい状態ではありません。例えば、常に他人の欠点を口にし、非難し、不満をもらしたり、自分を信じさせるために誇張したり、噂話を流したり、また、秘密を守れません。自分がテレビで見た常人の名利、色欲などの物語を興味津々によく話し、話す際にも、相手の気持ちや反応、相手が受け入れられるかどうかも考慮せず、自分の基準で他人を判断します。このような言動は家族の前でとりわけ目立ちます。

 実は、口を修めることは側面からみて、私たちの修煉の状態を確実に反映しているのです。冷静に考えてみれば、他人の短所を追及し、他人を責めたり、愚痴ばかりこぼしたりしている時、自分にまだ寛容で善良な心が足りていると言えますか? 慈悲であるとはなおさら言えません。私たちが誇張して話す時、噂話を流し、他人のプライバシーを守れない時に、自分の信用も失ってしまうことに気付いたことがあるでしょうか? 常人の名利・色欲の話をしている時は、まるで他人に良くない物質を投げつけているかのようです。相手が受け入れられるかどうかも考慮せず、ただ一方的に話している時、自分の顕示心が災いしているのではないでしょうか? 自分の基準で他人を量る時に、すでに大法の法理に背いているのではありませんか?

 「口は災いのもと」ということわざがあります。古今東西、軽率な発言が悲劇を引き起こした例は数え切れないほどあります。特に人類の道徳観念が低下した今日では、往々にして他人の一言で暴力を振るい、甚だしきに至っては、命を落としてしまうことさえあります。

 修煉者として、口を修めないことからもたらされる結果はもっと深刻です。業を作り、徳を失い、常人の反感を買い、排斥されるだけでなく、自分の修煉環境を複雑にし、甚だしきに至っては、解けない問題が生じ、人為的に衆生を救い済度することに支障をきたしてしまいます。もしそれが原因で、もともと修煉しようかどうか迷っている同修にマイナスの影響を与え、大法と修煉から離れさせてしまう結果を招いたら、私たちはどう責任を負うことができるでしょうか。

 同修があることを良く行えなかった時は、自分が口を修めることを十分に重視しなかったからかもしれません。あるいは、口を修める面において、自分は他人より良くできていると思い、格差を感じ取ることができなったからかもしれません。もしそうであれば、私たちは本当に直ちに重視すべきです。他人が自分に不満があったり、甚だしい場合には、自分と対立したり、衝突が起きたりした時には、まず自分を見て下さい。自分の軽率な発言が原因ではないでしょうか? それとも、自分の執着心が発言の中に現れ、人を不愉快な気持ちにさせ、反感を買ってしまったのではありませんか?

 私たちは決して自分の主張ばかりに夢中になってはならず、もっと相手の状態に気を配らなければなりません。相手と意見が一致すれば、良い結果を導くことができるのではないでしょうか? 自分のことばかり主張したがる人とは誰も付き合いたくないはずです。

 もちろん、口を修める面において、徹底して良く行うには心を修めることから始めなければなりません。以前の様々な常人の観念や習慣を根底から改めなければなりません。常に相手の立場から物事を考え、どんなことでも、人のためを思い、私心を取り除き、大らかで寛容かつ慈悲深い人であれば、口を修める面において、どこにも不足するところはないと思います。

 私自身ですが、以上述べた良くない例がかつて多く起きていました。今現在でもある程度残っており、口を修めることは容易ではないと痛感しています。しかし、今は師父がいて、法があり、私たちに決意さえあれば、良く行えるようになるはずです。実際に、私たちも必ず良く行うべきです。

 鋭利な刃物は人を傷つけることができますが、口を修めなければ、私たちの口は刃物と同じように人を傷つけるのです。甚だしい場合には、もっと深刻な結果をもたらしてしまいます。私たちは大法弟子であり、重大な使命を担っています。口を修める面においてもっとより良く修めなければなりません。

 以上は私個人の次元で認識したことです。不適切なところは、同修の皆さんの慈悲なるご指摘をお願いたします。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2014/11/21/300545.html)
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2014/11/29/147087.html)
 
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