文/中国の大法弟子 凌雪
【明慧日本2015年8月17日】私は今年70歳です。98年末に法輪功の修煉をはじめました。始めて8カ月経っていないのに、迫害が始まりました。それから十数年来、師父のご加護の下で、また同修たちの助けの下で歩んできました。ここで修煉の道のりで最も深く感銘した数件の事柄を師父に報告し、みなさんと交流したいと思います。
一、正々堂々と修煉の道を歩む
2002年の春のある日の午前、警官は私を警察署に無理やり連行しました。警官は「あなたたちは何の活動をしていますか?」と聞くので、私は「何もしていません」と答えました。警官は「◯◯さんを知っていますか?」と聞くので、私は「誰も知りませんし、何も知りません」と答えました。私がだまっているのをみて、警官が怒鳴りながら「俺たちが何も知らないとでも思っているのか! A(女性)が逮捕されて、労働教養所へ尋問に行った時、Aがお前の事を全部白状したぞ」と脅しました。「お前にヒントをやる。法会の問題や資金の問題や資料の問題を全部白状しろ!」と怒鳴った。私は心の中でびくびくしましたが、表面では冷静に「それはあなたたちに脅されて、無茶を言っただけです」と言うと、この一言で、警官は何も言い返せなくなって、立ち去りました。しばらくして、別の警官がやって来て、「言わなければ、労働教養所送りにして、数年間の判決を下してやる!」とまた脅しました。しかしそれも無駄でした。
午後3時過ぎ、私は警察のトイレの壁に縦1メートル横20センチぐらいの窓を見つけ、ここから逃げようと思った途端、大法を修煉する人に師父は正々堂々と修煉するようにと教えてくださったのだから、犯罪者のように逃げ隠れしてはいけない、必ず師父のご加護があるので、どこへも逃げたりせず、これからも同修と一緒に大法の仕事をやりとげよう、という一念が現われました。すると、全身が軽やかになって、先ほどの場所に戻りました。約30分が過ぎ、警官が入って来ましたが、態度が穏やかに変わっていて、「帰っていい!」と言ってくれました。
私は正々堂々と警察を出ました。家に帰って心から「師父、ありがとうございます!」と言いました。
二、正々堂々とパトカーに向かって歩いた
2006年のある夜、同修と共に真相を書いてあるシールを貼りに出かけました。山沿いの道を歩くと、パトカーが、私たちを尾行しているようでした。我が家が警察にとても近いので、警官たちは、みな私の事を知っています。同修が「パトカーだ、どうする?」と聞くので、この時に向きを変えて逃げたら、かえって警官に怪しまれ、追いかけてくるかもしれないと、私は同修に「大丈夫よ、このまま前へ歩いて行きましょう」と言いました。
200メートルぐらい進むと、同修は「パトカーが前で止まり、車から2人降りてきた」、「どうする?」と同修聞いてきたので、「私たちが行なっていることは最も正しく、最も良いことなのだから、警官に向かって、正々堂々と歩いて行きましょう」と言いました。同修は私と腕を組んで、扇子で扇(あお)ぎながら、堂々とパトカーに向かって歩きました。彼らのそばを通った時、振り向いて彼らを見ました。彼らは互いに向き合って、俯いており、私たちがそばを通った時、顔をあげる勇気もなく、本当に一正が百邪を圧することができたのです!
パトカーが行ってしまったことを確認してから、私たちはまた20数枚のシールを貼り終えて帰りました。この度のことで「何かに遭ったら、慌てず、心が動じないようにする」ことを悟りました。邪悪な警官たちに会ったときも、心の中に大法があり、不純な心がなければ、師父は必ず助けてくださり、関を乗り越えることができるのです。
三、困難な時は師父に助けを求める
数年前、私がベッドに座って発正念をして30分ぐらい過ぎると脚がしびれてきました。この時電話が鳴り、同修のAさんからだと分かっていたので、急いで立ち上がると、しびれた脚が感覚を失い、地面に座り込んでしまいました。それからというもの左足が痛くてしかたがありませんでした。私は痛さをこらえ、電話に出ました。同修が「行く?」と聞いてきたので、私は「行く!」と答えました。私は歯を食い縛って、できるだけ普通に歩き、この時、脚がどんな状態かわかりませんでした。ただ履いた靴がとても小さいと感じました。行く時は、同修が三輪車に私を乗せてくれましたが、帰り道は自分の足で帰ってこなければなりません。
私はできるだけ足の痛みを隠したのですが、やはり同修に見抜かれてしまい、事情を話しました。同修は励ましてくれました。夜座禅していると、左足がとても痛くてたまりません。翌日、朝市に出かけて法輪功迫害の真相を伝え、三退させなければいけません。この朝市は家から10キロ離れていますが、大変にぎわっており、多くの人が訪れるので、三退する人も多く、この人たちを救う機会を逃したくないと思って、師父に助けを求めました。
師父の写真の前で合掌して、「師父、今日は朝市の日です、私はそこへ真相を伝えに行き、三退させなければなりません。暫くの間、この足の痛みを止めてください」とご加持をお願いしました。その後歩いてみても、相変わらず痛みがありました。どんなことがあっても、痛くても行こう、ゆっくり歩けばいいのだと思いました。資料を入れたかばんを持って出かけましたが、寮を出た所で、足が痛くなくなりました。痛くないだけでなく、全身が軽やかになって、いつもより早く朝市に着きました。私は心のなかで「師父、本当にありがとうございます! 師父、ありがとうございます!」と叫びました。
朝市が終わって、家に着くと、足が再び痛くなりましたが、心の底から幸せに感じました。自分の業力はとても大きく、朝市の間は、師父が私のために耐えてくださいました。残りの痛みは、自分で返すべきだと思いました。このように朝市へ行く時は痛くないし、帰ってきたらまた痛みだしました。5日間で三つの朝市へ出かけ、多くの人を三退させることが出来ました。10日目、足が完治しました。この事を通して私は「師父に助けを求める時、治してくださればやりますというように、条件をつけてはならない。修煉は厳粛なものです。無条件に自分のやるべきことをしっかりと行なえば、必ず、師父は助けてくださいます。師父の法身がすぐそばにおられるからだ」と悟りました。
四、 基点を正しくすれば、奇跡が現われる
もう一つ私が深く悟ったことがあります。それは2009年の秋のことでした。私は同修たちと朝市で真相を伝え、三退させていました。突然、警官が来ました。その日同修6人が行っていて、2組に分かれて真相を伝えていました。警官は先にもう1組の同修たちを車で警察署に連行し、戻ってきて、また残りの3人を連行することになりました。待つ間、私にいくつかの疑問が湧いてきました。半年前、私たちは数カ月かけて『共産党についての九つの論評』(以後:九評)を配布して、夜中に村の一軒一軒を回り、朝は朝市で三退させる時に、『九評』もたくさん配りました。今『九評』を配り終えて、半年経ち、家の中にも手元にも資料がなくなっており、お守りしかないのに、今のこの時期に連行されるというのは、どうも、何かおかしい? これは私たちの心性を向上させるためなのだと悟って、私は恐れず、大勢の人の前で中国共産党の邪悪さを暴きました。
「あなた方はよい事をせず、悪い事ばかりしていますね。1989年、あなた方は、政府官僚の腐敗に反対する学生達を大勢殺して、今日また『真善忍』を修煉するよい人達を連行するなど、これら一連の天に背く、残忍な人殺しと、人としてあるまじき行為をして、天罰を恐れないのでしょうか? 法輪功が人に『真善忍』に基づき、よい人になるようにと教えているのは、人々が災難を免れるように、人々を救っているのです。あなた方がやっていることは、他人を害し、自分をも害しているのではありませんか? ご承知のように、四川地震、汶川地震で30数万人もの大勢の人々が亡くなりました。あなた方はそれら死んだ大勢の人々を生き返らせることができますか? 手足を失った多くの人達を、あなた方は元に戻せますか? 寝たきりの人々を、あなた方は立たせることができますか? 残りの人生をどう送りますか? 自分の人生の生き方が分からない人は、かわいそうではないですか?」と私は大声で話し始めました。
「あなた方は、これは上層部がやらせたと責任を転嫁しないでください。人を害することは犯罪です。文化大革命も上層部がやらせましたが、関係者は、みな殺されたではないですか? あなた方はこのように修煉者を迫害すれば、善悪には必ず報いがありますよ。いずれ、あなた方も応報を受けるでしょう。自分の両親や子供のためにも、悪い事をしないでください!」と言いました。
真相を伝える過程で、5、6人の警官がみな頭を下げて黙ってしまいました。それからパトカーが来て、私たちを警察に連行しました。午後から、私たちの家を捜索して、夜になっても釈放せず、私たちに「白状しろ」と脅しました。私は、「理由もなく連行され、何を話せばいいのですか? 分かるように説明をしてください」と言いました。私が部屋に座っていると、4、5人の警官が黙って、やりとりをして、私が簡単に落ちないと分かると、何も聞かなくなりました。しかし、突然警官が大法を誹謗中傷する言葉を言い出しました。彼の口を閉じさせ、黙らせるように、これ以上彼に業を作らせないようにと、私は師父にお願いしました。心の中で邪悪を滅する口訣を念じました。すると、大法を誹謗中傷していた警官 が咳をし始めて、喉に触りながら、「俺はしゃべり過ぎたかな。喉がなぜこんなに痛むのか?」と何度も何度も繰り返しました。私は警官に「こんなに素晴らしい大法を、不敬な汚い言葉で罵ったからよ! 痛いのは当然よ!」と悟らせるよう言いました。警官はすぐに、「私は大法の素晴らしさを知っています。大法を修煉する大多数の人はみんなよい人です。これから私もやりたいと思います」と言い終わると、彼の様子から見ると痛みはもう消えていました。他の警官の表情は、はっきりと見えなかったのですが、彼らもきっと、驚いていたと分かっています。
深夜12時すぎに、私たちは釈放されました。この件で、私は繰り返し何度も考えてみました。一日中、正念をたくさん発し、師父にお願いしましたが、効果が全くなく、夜になってやっと奇跡が現われました。夜になると、私に、これらの警官に引き続いて業を作らせず、済度される機縁を失わないようにと、慈悲の心が出てきました。師父は私たちに、誰に対しても慈悲でなければならず、大法弟子は誰に対しても優しくして、敵を作らないように、そして人を救い済度することを教えてくださいました。師父は私の慈悲の心が夜になって、でてきたので、助けてくださり、奇跡が現われたのだと分かりました。
それから、真相を伝え、三退させ、人を救い済度する中で、相手がいかなる態度でも、私はいつも笑顔を絶やさず、何を言われても心を動じず、後で後悔しないようにしっかりと行なうように心がけています。この件についても、せっかく師父がこのような機会を与え、私たちに人を救い済度させようとされたのに、私はよく行えず、機会を無駄にした上、三退を勧めることができませんでした。内に向けて原因を探すと、そこには、自分の修煉がしっかりできていなかったことと、恐れる心があり、私心がありました。これが分かった私は、今後、法に符合しないすべての執着心を必ず取り除こうと思いました。
15年来、師父のご加護と同修たちの助けの下で、自分がやるべき事を行ないました。しかし、まだまだ精進が足りず、これからもっともっと努力をして、最後の道をよりよく歩んで行き、師父と共に家にもどれますように! と決意しました。師父、本当にありがとうございます! 同修の皆さん、ありがとうございます!