「協調」について
■ 印刷版
 

文/中国の大法弟子

 【明慧日本2015年3月22日】協調というのは、仕事ではなく修煉です。自分の能力を実証することもありません。協調人は人に命令を出したり、人を管理したり、人を修めさせるのではなく、自分がしっかり修め、堅実に物事を行うのです。協調する過程で、絶えず自我を放下し、法の中に溶け込みます。

 協調というのは、大法弟子の責任であり、どんな時でも法を師父として、師父が何を求めておられるかを考え、衆生のこと、そして、同修および全体のことを考えなければなりません。

 協調というのは、無私無我の境地であり、他人のことを自分のことと見なします。そして、同修が向上できるように、魔難を乗り越えるように、しっかり修煉の道を歩めるように、多くの衆生を救うことができるようにと考えます。そして、大法の法力と大法弟子全体の力を発揮できるように、私たちは積極的に人を協調することもできますが、他の人から協調されることも平然として、受け入れることができます。

 協調というのは、相手の不足や足りない部分に気づいたとき、「しっかり行うべきことを考えれば、不完全だと思っている部分を黙々と補うべきです。これこそ大法弟子が行うべきことです」(『更なる精進を』)

 協調というのは、大法弟子が迫害されたとき、私たちが大法から得た確固たる正念で、そして、この正念をもって同修と一体になり、邪悪を解体します。

 協調というのは、人に誤解されたとき、不当な扱いをされたとき、言葉の暴力を受けた時、寛容な心で、善をもってすべてのことを喜んで受け入れることです。

 協調というのは、トラブルがあった時に、つらく感じても、無条件に内に向かって探し、真に修煉し、着実に修煉し、意気消沈しないことです。 

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/9/30/230321.html)
 
関連文章