文/河南省の大法弟子
【明慧日本2015年2月28日】私は農村の大法弟子です。1997年に法輪大法を学び始めました。十数年来、師父のご加護の下、私は右によろけ左によろけながらも修煉の道を歩んできました。
わが家は三人家族で、2010年に妻は脳卒中の後遺症で動けなくなり、息子は先天性知的障害者であるため、家の中の事や農作業の全ては私がしなければならず、煩雑な家事をすることが私の昼間の時間の行動を全部占めてしまいました。私は大法弟子の責任と使命を考え、私は夜の時間を利用して真相資料を配ることにしました。
私は朝2時に起床し、発正念をしながら自転車で村内を回り始めました。私は事前に用意した真相冊子を衆生の家のドアの周辺のきれいな所に置き、勝手に投げ捨てたり、あるいは汚い所に置いたりしませんでした。配り終わって帰宅の途中に、私は次のように発正念をしました。「真相資料が人々の中で広がり、資料の一枚一枚が衆生を救う最大の効果を発揮し、邪悪に壊され、取り去られることがないように…」。そして6時に家に着き、全世界の定時の発正念に参加していました。
時には妨害に遭遇しますが、師父のご加護の下、いつも無事でした。
ある日、空は暗く、霧も濃かったのです。私は自転車である橋を渡るとき、そこに積もっていた砂に阻まれ、転んでしまいました。真相資料が地面にまき散らされ、私はそれをきれいにかき集め、前へ進むことにしました。全く痛みは感じませんでした。ある時には暗闇の中で、自転車のチェーンが外れてしまい、私は師父に助けを求めながら短時間で直したことがあります。ある日、干上がっている小川を渡るとき、私は突然一種の恐怖に襲われ、髪の毛やうぶ毛も逆立ちました。私はこれは他空間から邪悪が私を妨害していると気づき、心の中で「守護神たちよ、これらの邪悪や腐った鬼を一掃して下さい」と念じました。すると、恐れる感覚はすぐに消えました。
その間、心性の試練もありました。ある日、ある村で資料を配り終えて帰宅しようとしたとき、ある人は近くのドアの中から出て来ると懐中電燈をまっすぐに私に向けて照らしました。私は緊張しました。私は自転車に乗ると「さっさとここから離れよう」と思いました。そして、村から出る前に私はある急斜面に遭遇しました。その時ペダルを漕ぐ力が強すぎたせいか、自転車の後輪が凹み、タイヤが外れました。私は自転車から飛び降りて、手でタイヤを引っ張り、「まっすぐになれ!」と念じ、タイヤを歪んだ後輪の枠に何とか嵌めました。私は再び自転車に乗るとその場から立ち去りました。実際振り返ってみると、後ろからは誰も付いてきていないので、先程の驚きは無駄なものでした。
その後、私は真面目に内に向けて探し、自分の多くの人心を見つけました。それは静寂を求める心、トラブルを嫌がる心、人に会いたがらない心、そして資料配りが何ものにも影響されたくない心などです。まさに「相は心から生じる」[1]です。まさに師父が説かれたように、「怖くなればなるほど、本当に病気にかかったような気がしますが、その心こそ取り除かなければならないものです。そこから教訓を学ぶことによって、あなたは恐怖心を根絶し、高まってくるのです」[2]
絶えず努力してきた結果、今現在私が配った真相資料は千枚ほどに上り、周辺の数十の村に届きました。
しかし、時々資料を受け取ったはずの村の村民と話をすると、誰一人真相が分からず、中には法輪功を邪教と称する人もいて、私は失望感を覚えました。このような人心により旧勢力に隙に乗じられたせいか、恐れる心や安逸心が再び出てきて、私は何とも表現できない一種の抑圧感を感じました。そして、ある巨大な力に抑えられて私は身動き取れず、衆生を救うことを思うと、すぐに何かに阻まれてしまいます。それから毎日、私はやりきれないほどの常人の雑務に追われ、仕事の効率も悪く、少しの仕事だけで半日が費やされ、毎日忙しくてなりませんでした。三つのことのうち、いつも二つしかできず、学法と発正念だけでした。衆生を救う事は少しもできず、時には対面して直接一人か、二人に真相を伝えても、まともに出来ていませんでした。
しかし、私は学法を緩めませんでした。私がはっきり知っているのは、修煉者として、学法をしっかりしていかなければ全てが終わりだという事です。大法を学ぶ中ではっきり分かったのは、衆生を救う事をしなければ、大法弟子でなくなります。師父はこう説かれています。「修煉が良くできて、毎日本を読んでおり、煉功時間も長く取っているという人がいますが、これは法を正す時期の大法弟子の修煉ではなく、修煉していません。なぜでしょうか? 大法弟子は昔の僧侶ではなく、自身の円満成就だけを考えているのではありません。大法弟子に使命があるから、『大法弟子』と呼ばれているのです。個人の円満成就が目的ではなく、あなたはたくさんの生命を円満成就まで導くのです。ですから、必ず行うべきです」[3]
法を正す時期が終わりに近づき、時間が限られています。私はいつも自分の名前を呼びながらこう言いました。「あなたは衆生を救わなければいけない。毎日こうしてダラダラ過ごしていけば、法を正す時期が終わったとき、あなた、そしてあなたが担当する範囲内の非常に多くの衆生も一緒に淘汰されてしまいますが、それでもいいのですか?」自分の責務を考ると焦りを感じてなりませんが、私は何が原因でこのような状態になってしまったかは分からず、その状態から突破できずに毎日暗い顔をするばかりでした。体の状態も悪くなり、長い間結跏趺坐ができず、膝の関節が固くて痛く、静功を煉功するとき手で右脚を抑えなければなりませんでした。そして長く静功を煉功していなかったので、心の中は辛くて、涙をこぼしそうでした。私は自分が旧勢力の按配した道を歩んでいるように感じ、もがき過ぎて力が尽き果てたかのようでした。この状態はすでに数カ月も続いています。
師父は私が悟らないのを見て、私に啓示してくださいました。最近の『明慧週刊』を読んだ時、私はある同修の交流文章の中にあった「為他好」(他人のため)という三文字に心を震わされました。その三文字を見て、私はその場で泣き出しました。その同修が観念を変え思想境地が大きく変化を遂げたのを見て、私は涙を流したのです。自分の事を振り返ってみると、十数年修煉してきましたが、私は未だにどう修めるべきかもよく分かっていませんでした。私は自分のやっていることを達成させるべき任務だと考えていましたが、真に「為他好」(他人のため)という慈悲心を修めていませんでした。基点は「衆生が救われること」に置かれていますが、しかし、心底から「衆生の為」に考えていませんでした。『龍泉寺』という詞に「一歩の遥か天廷に上り」[4]というくだりがありますが、私が思うには、人間と神の違いは手が届かないほどの違いなのです。同じことをしていても、出発点が違い、境地が違い、効果も違ってきます。厳密に言えば、今まで自分がやってきたことの中には、潜在的で察しがたい「為我」(自分の為)という利己心があって、私は結局、旧宇宙の利己的な属性から抜け出していませんでした。長い間私は個人修煉の状態に陥っていたのもそのためだったと思います。自分の思想境地、物事を考える基点、方式はその属性を超えていないからです。
師父の慈悲なる啓示と苦心の済度に感謝致します。弟子は大法に同化するよう努力し、全ての人心を取り除き、慈悲心を持って衆生を救い、自分の誓約を果たします。師父、どうかご安心ください。修煉の路上にどんな困難があっても、弟子は大法を修煉し続ける心を堅く持ち、精進と更なる精進をもって師父のご恩に報います。
注:
[1] 李洪志師父の経文:『各地での説法十』「大紀元会議での説法」
[2] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
[3] 李洪志師父の経文:『二〇一三年大ニューヨーク地区法会での説法』
[4] 李洪志師父の詩:『洪吟三』「龍泉寺」
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2014/10/3/146218.html)