明慧法会|一心に衆生に慈悲深くする私こそ本当の私である
■ 印刷版
 

文/中国の大法弟子 尋真

 【明慧日本2016年5月15日】

 尊敬する師父、こんにちは!

 同修の皆さん、こんにちは!

 「師父、私は本当に真の修煉者でありたいと思っています!」。越えがたい関に直面した時や誤ったことをしてしまった時、いつも深く心の中でこの言葉を何度も繰り返しました。確固たる意志を持って誠実でありさえすれば、師父の慈悲深い加持を感じることができ、すべての陰気は瞬く間に晴れ、一陣の暖かい流れがすぐにさんざめく心を静めてくれたのです。

 目に涙が浮かび、意気地がない弟子はまた師父を心配させてしまいましたが、慈悲深い師父は再び弟子を泥沼から引っ張り上げてくださいました。この1年の修煉は、このように着々と真の修煉者になる過程であり、大法の慈悲と知恵が頑なな自我を一つ一つ打破していき、歩む道はたやすくはありませんが、そこにはもっと大きな殊勝さと美しさがあるのです。心を変えることから始まり、自我を放下し、師と法を信じるに至った、これがこの1年の最大の悟りです。

 根本的な執着を探し真の修煉者になる

 私は2010年に修煉の道に入った青年大法弟子です。修煉はいつも良かったり悪かったりで、意志が確固としていないために、幾年来自分を甘やかし、多くの魔難を招いてしまいました。2014年の年末、修煉は手痛い停滞に陥りました。発正念では掌が倒れ、煉功する時にぼんやりしてしまい、学法に集中できず、常人とのトラブルが絶えませんでした。夜はいつもエレベーターに乗ってる夢を見て、エレベーターが途中で止まってしまい、空中にぶら下がったままで今にも落ちそうでした。

 状態が悪いことを知って焦り、努力して修煉しなければならないと思いました。サラリーマンなので、毎日3時40分前に起き、朝は暗記した法を念じ、夜に学法し、通勤途中に説法を聞きました。自分の持つすべての空間と時間を修煉のために用い、常人の雑事を全て放棄し、資料を作って配り、周りの人に真相を伝えました。「自分ができる最大の努力を行なってきたのに、どうして修煉状態が悪くなってしまったのか」を悟ることができました。周りの人は、私がとても緊張しており、眉間にいつもしわを寄せ、何か大きな心配事があるかのようだと言いました。それを聞いて「大法弟子の修煉は易しくないということ、大法弟子がどれだけの責任を負っているかあなたたちにはわからないのだ、それなのに『何か大きな心配事があるかのようだ』などと皮肉った言い方をして、これだけ大きなことなのに、のんびりとしていられるわけがないではないか?」と不平に思いました。私はどうやら悪循環に陥ってしまったようで、状態が悪くなればなるほど緊張し、努力して改善しようとしたのですが報われず、失望と失意が修煉状態をさらに悪化させました。

 この状態は常人とひどいトラブルが起きた時まで続き、その時になってやっと悟ったのでした。同じ部門のある作業員はいつも遅刻して出勤し、1カ月の半分以上を遅刻し、早い時でも十数分、遅い時は30分以上遅刻し、作業中にぶらぶらと出て行ってしまい、一度出て行ってしまうと1時間近く戻らず、計算してみると、1日の仕事時間はとても少なかったのです。仕事の質も悪く、毎回納期に間に合わず、他人の仕事の成果を奪い取り、だらけている状態は、私のめちゃくちゃな修煉状態とほとんど同じで、4、5カ月続いていました。最初は善念を持ってその作業員と腹を割って話して導くことで、仕事に対する興味と情熱を引き出そうとしました。しかし、良い状態は長く続かず、1、2週間で元の状態に戻ってしまいました。その後はやむを得ずその作業員と一緒に仕事を完成させながら、ゆっくりでいいので良い方向に向かって行ってくれることを願いつつも、仕事の質は保障しなければなりませんでした。最後に、顧客が苦情を言い出し、私の仕事量に余裕があるので例の作業員がダラダラしてしまうのだと陰で言われている、と会社の管理職が私に話しました。

 あんなに多くの仕事をこなしていたのに、その時は本当にとても悔しくなり、昼休みも忙しくて食事どころではなく、例の作業員のため、会社のために頑張って来たのに、どうして最後には他人から非難される結果になってしまったのでしょうか。例の作業員と腹を割って話そうとしましたがうまくいかず、というのも、その時も作業員がうそをついたことで、悔しさ、腹立ち、不平などが一瞬に爆発し、私は非常に強硬にその作業員を叱責した後、その作業員自身が何をすべきかについて、その作業員に良く考えさせました。しばらくして、顔がむくんできたので、自分が間違っていたと悟り、その作業員に謝って許してもらうと、「自分が何をすべきか考えることが確かに必要だった」とその作業員は言い、私に感謝しました。すると突然、頭ごなしに一喝されたかのように感じ、「自分こそ、いったい何をしなければならないのかを考えなければならないのではないか?!」と感じました。

 内に向けて探し、同僚の状態は自分自身の修煉状態の反映であることに気づきました。毎日学法し煉功しているように見えますが、心は法に則っておらず、ずっと気が散っており、もっと詳しく言えば、私は大法を用いて自由と保護、明晰な頭脳、高尚な道徳、健康な体、博学な知識、そして最終的には円満成就を求めており、このような強烈な欲望を持ち、内心から自分を変えようとせず、自分を保護し、大法を利用して様々な執着を満足させようとし、結果として邪悪を助長していたのでした。私こそ、自分が何をすべきかがわかっていない人間であり、大法の修煉を始めましたが、本当に修煉を始めてはおらず、真の修煉者にはなっていなかったのでした。

 多くの大法の仕事をしてきましたが、出発点は自分のためであり、しかもそれが奥深くに隠されていたことに気づきました。良いことを行っても、他人が感激しなければ心の中で不平に思いました。これは名誉を求める心で、他人のことを本当に思っていたわけではありませんでした。いつでも大法を基準に用いて他人を量り、人の短所を掲げ、これによって同修の向上を助けていると思っていましたが、実際これは嫉妬心で、大法を用いて自分の好き嫌いの観念にふたをしていたのでした。大法を言い訳にして、常人の生活と修煉を対立させていましたが、これは怠けであり、面倒なことを嫌い、常人から妨害されるのではないかと心配していたのでした。たとえ大法弟子が行うべきことを行ったとしても、上に挙げたような事を条件としたうえで、次元の向上を得ようとしていたのでした。雷がとどろくかのように頭の中でさらに多くの執着心の一つ一つが映画のように、そして、すべての執着が数珠つなぎになって現れました。私の心の中は「自我」で満たされており、まるで青天のへきれきのように以前自分が良いと思っていた状態がめちゃめちゃにたたき壊されたのでした。

 「ついに気が付いた」という感覚を覚え、頭と心を覆っていた分厚い物質を取り除き、大法に照らしてみると、私の修煉は実際にはまだ出発点に立っていました。なぜなら心から自分を変えようとしていなかったからであり、修煉で魔性を取り除くどころか、逆に魔性を助長し、さらにそれを奥深いところでふたをしてしまい、師父の毎回の並大抵でない苦心を伴ったお導きでも悟らず、最後に1人の同僚の離職によって私を目覚めさせることになったのですが、同僚が離職するという結果になるとは想像もできなかったことでした。

 心から自分を変えようと決意し、精進し始め、自我を放下し、衆生を救い済度し、すべてを師父の按排に従って行いました。私は師父に「師父、弟子は心の底から真の師父の修煉者になりたいと思っています」と師父に誓いました。

 もう一度例の作業員と長い時間話し、作業員の辞職の決定を尊重するとともに支持し、多くの良い点を指摘し、同時に善意を持って不足している点をも指摘し、「必ず良い未来があるはずだ」と、励ましました。とてもよい話し合いで、話し合う中で系統的に大法の真相を伝え、作業員も同意し、自分から脱党しました。『共産党についての九つの論評』のDVDを渡すと喜んで受け取りました。作業員が離職した当日、同僚たちと一緒に送別会を開き、美しく包装された神韻DVDを贈ると、作業員はとても感動していました。その夜、作業員はメッセージを送って再度私に感謝の意を表しましたが、これは、生命が救われた後に、その生命が大法の師父に恩を感じたことを表したものでもありました。師父は悪いことを良いことに変えられ、善をもってすべてを解消なさったのでした。

 慈悲深い師父はいつも愚かな弟子が悟るのをお待ちになっており、それ以後、明慧の交流文章を読むととても感動し、心を込めて法を学ぶことで、師父は私に「自我に執着し自分を保護しようとすることで、顕示心と嫉妬心が生まれてくる」と、根本的な執着があることを教えてくださったのでした。それ以後、私の修煉は新しい状態に入り、関を乗り越え放下した後は毎回、修煉の美しさとは何か気づくようになりました。それは体の健康ではなく、超常の理を知る事でもなく、トラブルや利益を前にして素早い行動を起こすことでもなく、それは他人のために行う本当の素晴らしさであり、慈悲をもって世の中のすべてを見ることであり、衆生に対する憐憫が生まれ、衆生を大切にする美しさでした。

 慈悲心を持って真相資料を配る

 中国共産党の中にいて、中国共産党によって束縛されてしまった衆生に真相を理解してもらうために、毎日仕事の休憩時間を利用して少量の資料を配り、時間をおいて、高層ビルで集中して資料を配りました。私は1人で修煉しているので、唯一の交流ルートは明慧ネットと師父の教えなので、このような険悪な環境下では、師を信じ法を信じることによってのみ歩んでいくことができるのです。思想に少しでも偏りが生じれば、すぐに一歩も動けなくなってしまっていたでしょう。しかし、正しい念を持っていれば、師父がそばにいらっしゃることを感じることができ、毎日資料を配りに出かけることを師父がご覧になっていると思っているので、常人からすると表面的には危険に見えますが、宇宙大穹の中では大法弟子だけがこのような無上の光栄にあずかれるのであり、この事に考えが及ぶと毎回、誇りと神聖さで心が満たされ、恐れる心は小さくなりました。

 ある時、暗い廊下で窮地に陥り、明かりが全くなく、1人の女の子が一人ぼっちで真相資料を背負って階段の所に立ったまま一歩も動けず、その時は非常に怖く感じました。この時、二つの選択肢がありました。一つはもと来た道に戻り、資料を配らないという選択、もう一つは正念をもって前へ進み、すべてを師父にお任せするという選択でした。私は目を閉じて師父に「師父、私を外に出させてください、すべてを師父にお任せいたします」と申し上げました。そして、壁に寄りかかりながら一歩一歩歩いて行き、大体2、3階くらい上ったと思うのですが、一歩一歩が穏やかで、足を踏み外したり、足が滑ったりすることもなく、恐れる心が取り除かれると、突然明かりが見えてきました。弟子の一歩一歩を師父は見守っていらっしゃるので、私たちは行うべきことを止めずに、前に進んでいくべきなのです。

 完全に自我を放下し、慈悲心を持って一部一部資料を配った時、師父は大法の素晴らしさを私たちに体験会得させてくださったのでした。ある寒い日、二十数枚の真相DVDを準備して住宅地域に配りに行きました。住宅地域は職場から離れているので、食事をする暇もなく、まず正念を発して場を清め、建物の中にいる衆生に向けて正念を発しました。衆生が救い済度されるのを妨害しようとしていたすべての邪悪を片付け、縁のある人が資料を受け取れるようにし、邪魔されないように、縁のない人を遠ざけました。昼休みになって少し休んでから寒風の中を出かけました。建物の高さは大体18、9階あったのですが、エレベーター内の監視装置を避けるため、いつも階段で一番上の階までのぼり、それから1階ずつ下に降りて、それぞれの階で1、2部の資料を配りました。その日は体全体がポカポカしており、階段を上っていてもとても軽やかで、衆生がすぐに新しい神韻を見てくれることを心の中で希望し、資料を配る時は必ず心の中で「皆様に幸せが訪れることを願っています」と祈りました。家の中で人の声が聞こえた時も、いつものように避けたりせずに資料を置いて来たのですが、これができたのは私が正念を発していたからでした。縁のある人なら必ず資料を受け取るはずで、家の中にいた人は資料が届くのを待っていたのではないでしょうか。玄関で子供がおもちゃの車を押しているのを見かけた時に資料を1部あげれば、純真な子供であれば必ず神韻が好きになるはずだ、と思いました。その日はとても順調で誰にも邪魔されず、衆生は家の中で真相が届くのを待っていたのでした。

 食堂に戻って食事をしていた時、親切な店員を見て涙が流れ、こんなにもかわいらしい生命がまもなく直面するであろう大難を知らないなんて、こんなにも多くの善良な人々がまだ救われていないのを知り、衆生のことを思うと辛くなり、衆生はもしかしたら輪廻転生の中でこの日を待っていたのかもしれず、そうであれば何人かの人は永遠に機縁を失ってしまうことになってしまうかもしれず、にもかかわらず真相を伝える言葉が出てこないことが悲しくなりました。この瞬間、周りのものすべてが非常に遠く感じ、衆生もまた小さくかわいそうな存在であるように見えてきました。何が本当の私であるのかをついに悟り、大法に同化し一心に衆生に慈悲深くする私こそ本当の私である、と悟りました。

 職員訓練の中で真相を伝える

 大法の無限の威徳は私の知恵を開いてくださり、非常に理知的で、明晰で、きめ細かくて論理的な思惟を師父が与えてくださったので、半分の労力で人の2倍の仕事をすることができました。私は経済分野の仕事をしており、専門的な研究能力が優れているため、在任したどの職場でも業務評価ではいつもトップで、あらゆる研究開発の成果は職場で最も売れ行きの良い商品となりました。同時に大法弟子として体現した穏やかさと高尚な道徳が同僚たちとの心の距離を縮めました。

 一昨年の年末、マクロ経済運営についての掘り下げた分析を私が行う、という提案をある同僚が提出し、「これは師父のお導きであり、専門知識を用いて真相を伝え大法の潔白を実証すべきだ」と悟りました。しかし、すぐに気をもみ始めました。一つの部門に10~20人の人がおり、公にこんなに多くの人たちに真相を伝えるのは心細く感じ、社長に気づかれてしまうのではないかと恐れ、誰かに通報されるのではないかと恐れ、他人は受け入れてくれないのではないかと恐れ、さらに、自分はうまく伝えられないのではないかと恐れ、名声とメンツを心配しました。プレッシャーを感じて息が詰まりました。正念でこのプレッシャーを取り除かなければならないことはわかっていましたが、最後の決定を下すことを人心が妨害していました。どうすればいいのか、学法しさえすれば、師父は「法は一切の執着を打破することができ、一切の邪悪を打破することができ、一切の虚言を排除することができ、法は正念を固めることができるのです」[1]、「旧宇宙の生命として、全ての生命の要素も含めて、法を正すことにおいて、私の選択の中で、全ての生命は皆私が選択したことにしたがって、その選択を圓容し、皆さんの最も良い方法を出してください。私が欲しいものを改めるのではなく、私の言うとおりにそれを圓容するのです。これが宇宙の中の生命の最大の善なる念です」[2]と教えてくださいました。大法に基づいてみてはじめて「私は人心を用いて師父の按排を量っており、自分を第一におき、縁のある衆生が真相を聞くことをまったく望んでおらず、師父の教えとは反対方向に向かっていた」ことに気が付きました。師父と法を心に修めると、気をもんでいたことすべてが雲散霧消してしまい、「できるかぎり最大の努力をしてこの事を行い、師父が求めておられるものを円融し、最大限の善念を尽くそう」と決心しました。

 その当時の荒れた経済の事から始めようと決め、家の値段の高騰、国民の内需の不足、環境破壊による経済的代償など、みんなの日常生活に関係する事例をいくつか挙げ、その後は、事例の分析を通じて、「中国共産党の数十年にわたる信仰、道徳、伝統文化の破壊」という問題の根源を探り出し、大法の真相を引き出すことにしました。職員訓練の内容が多かったので、2回に分けて行い、上半期は主に荒れた経済の本質と分析について講義し、下半期に主に真相を伝えることにしました。

 上半期の職員訓練はとても順調な滑り出しで、みんな心を揺さぶられ「深みのある内容で頭がはっきりとしてきた」と言いました。出だしが成功したので自信が増し、「お正月は時間に余裕があり、充足した学法の時間が得られ、午後の職員訓練も問題は起こらないはずだ」と考えました。しかし、私たちは修煉者で、あらゆるすべては大法の師父から与えられたものですが、ひとたび歓喜心が起きれば、旧勢力に隙を突かれてしまうのです。もともと、どんなことがあっても7日間で職業訓練を終わらせなければならないのですが、訓練はなかなか進みませんでした。その原因はある一面から見れば、妨害が多く、家の中の雑事に追われたり、自分の体が消業でつらい思いをしたりしたことでした。別の面から原因を見れば、これはさらに本質的な問題で、真相を伝えることは修煉の過程であり、もし心性が向上しなければ、高い次元に妨害され、つまりその妨害は「常人のものの考え方を用いてしまう」という形で表れて来ます。もし常人のものの考え方を用いるのであれば、どんなに努力してもアイデアが浮かばなくなってしまうのです。あっという間に7日間という期限が近づいてきて、焦り、恨み、顕示心、名利心、恐怖心が交錯して、頭の中で爆発し、やっとホワイトボードに何行かの文字を書き出すことができただけでした。

 師父は慈悲深く、法の中で愚かな弟子を導いてくださいました。職業訓練の期間中に明慧の交流文章を見た時、ある同修は「『共産党についての九つの論評』は中国人に対して真相を伝える効果が大きい」と語っていました。筋道を立てて考えた後、『共産党についての九つの論評』を中心として真相のスライド写真を準備して、経済分析の講義の中に『共産党についての九つの論評』を挟み込むことにしました。たとえば、「大躍進(訳注:1958年に毛沢東が発動した、工業・農業などの飛躍的な発展をめざす社会主義建設総路線の運動)と大飢饉(訳注:「大躍進」政策による3年間に起きた大量餓死)は国家経済が国民にもたらした損失であること」を話し、さらに「中国共産党が行った経済の基礎である工、商、農に対する三大改造」について分析し、その後、「思想領域を改造し、信仰及び人権を踏みにじった事」について話しました。会社の作業員のほとんどが80後(訳注:一人っ子政策後に生まれた人)や1990年代に生まれた人で、中国共産党の暴政とうそを見抜けていないため、さらなる説得力を得るために、真相の写真と映像を付け加えたいと思いました。映像を選んでいた時、ある難題に突き当たりました。海外ウェブサイトで歴史の映像を探し当てたのですが、編集されておらず内容が不完全で、もし自分で編集と整理を行ったら、大量の時間を消費することになりそうでした。もし『共産党についての九つの論評』の映像を断片的に切り取って直接使用したならば、版権問題に触れるだろうか、と考えました。自分の根本的な動機を深く探った時、この「版権問題」に関する考えが「恐れ」から来ているのだとわかり、職場で公に『共産党についての九つの論評』を放映することは安全ではない(『共産党についての九つの論評』の映像にはみなマークが付いているため)ことを恐れ、誰かに通報されることを恐れていました。実際考えていたことは自分のことだけであり、衆生に真相を受け入れさせ救い出すのにどうすればプラスになるかという考えからスタートしていなかったのでした。人心と恐れを放下し、『共産党についての九つの論評』の映像から一部(まったく加工せずエピソードを付け加えただけ)を切り取りました。

 職員訓練当日の、訓練が始まったばかりの軽やかな心と比べ、今は心臓がはり裂けるのではないかと思えるほど緊張し、プレッシャーが大きくなっていました。職員訓練が午後の時間に設定されていた時、午前中に資料を熟読すると同時に、午前中いっぱい高度な発正念を行うと、天目で他の空間の光が見え、体も熱くなり、思想は何もない状態に達しました。今まで長時間の発正念でもこんなに状態が良くなったことはなく、これは師父が加持してくださり、しっかり行うように励ましてくださっているのだとわかりました。

 会議室に入った時、この上なく荘厳な感覚を覚えました。なぜなら師父と無数の神が小さな会議室を注視なさっていたからで、これはまさに正邪の大戦でした。

 解説に合わせて法輪功の真相映像が会議室の大スクリーンに次々と投影され、作業員たちは何も話さず静かに見ており、ある作業員は中国共産党の残虐さに対して舌を鳴らしながらため息をつき、ある作業員は中国共産党の狂ったような各種の運動にただ頭を振るだけでした。大法の真相を伝え始めた時、「みなさん、ここまで見てきた映像の中で経済に対する共産党の破壊を見て取ることができましたが、経済改造を行うには根本的に中国人の思想をコントロールする必要があります。なぜなら経済の基礎をコントロールすることによってはじめて思想を改造し、信仰を圧殺することができるからです。これからみなさんにお見せするのは、誰もが知っている例ですが、この団体は多くの不公平と迫害を受けており、今、私たちが唯一できることは真相を暴くことだけです」と言って真相を伝え始めました。

 気持ちを抑えながらも確固として「1999年以前の中国各地での煉功の写真と各メディアの大法に対するプラス報道」を紹介し、「迫害後に世界各地に大法が広まっていった写真」を紹介しました。マウスは軽々と動き、大法の写真は一筋の金色の光のように暗闇の中の腐敗物質を突き破り、中国共産党の邪悪と嘘は和やかで美しい写真の前では逆に醜さと低俗さを露呈していきました。みんな興味を持って見入り、声も出さず、まるで時間が静止しているかのようでした。そして、「偽りの天安門焼身自殺事件」を説明すると騒然となり、続いて王進東がスローガンを叫んでいる映像の一部分を映しました。そして「みなさん、王進東はもっともやけどがひどい焼身自殺者とされていますが、常識的に見て、ガソリンで焼かれた場合、燃焼速度がきわめて速いので、非常に苦しく、必ず走り回って痛みを和らげようとするはずです。しかし、この王進東は走り回らないばかりか、座禅を組んでおり、さらに大声でスローガンを叫んでいます・・・」と、偽りの天安門焼身自殺事件の疑問点を指摘しました。作業員の中に笑い声が起こり、みんな、中国共産党の偽計を見破ったのでした。

 大法の真相を伝え終えた後、中国共産党という邪教の本質について分析を行い、まず中国共産党体制と宗教形式の似ている所を一覧表で対比し、その後で、党の教えと正教を一覧表で対比しました。正教は神を信じるが、党は無神論を教える。正教は人の心と道徳をはぐくむが、党の教えは全ての伝統と道徳に反対する。正教は平和と非暴力を唱えるが、党の教えは階級闘争をあおる・・・、話がまだ終わらないうちに、聞き手である何人かの作業員たちは小さな声で「中国共産党は邪教だ。真相がわかり目覚めた衆生は大いに喜ぶだろう」と話し始めました。

 職員訓練の最後に三退を勧め、蔵字石の写真を説明し、すべての作業員に向かって厳粛に「今日話した内容はとても重く、中にはためらう人もいるかもしれませんが、それは仕方のないことで、人それぞれ受け取り方が違うからです。しかし、みなさんに素晴らしい未来があることを希望し、みなさんの魂が救われることを希望し、善良と邪悪の間で重要な選択をしてくださることを希望します」と言いました。その後、作業員に「中国共産党、共青団、少年先鋒隊を脱退したい人はいますか、脱退したい人は手を挙げてください」と聞きました。何人かの作業員がその場で同意し、何人かは態度を明らかにしませんでした。

 職員訓練が終わった後も緊張とプレッシャーを感じ、作業員の反応が思ったほどではなく(全員が三退したわけではなかった)、予想した成果を挙げられず、名利心とメンツを重んじる心が打撃を受けたように感じ、いろいろなマイナス思考が私を妨害し始めました。しばらくしてから正念を発し、「今回、真相を伝えた目的は衆生を救い済度することで、個人の名利を追い求めることではない」と、考え方を出発点に戻しました。師父に加持を求め、もう一度一人一人に(会社内通信ソフトウェアを使って)聞いてみることにしました。なぜなら師父が今回の機縁の下地を作ってくださったのですから、大法弟子として衆生のために責任を負い、自我を放下しなければならなかったからでした。

 一人一人の作業員に対して、職員訓練の内容が受け入れられたかどうか、内容が重すぎるということはなかったか、三退して平安を保ちたいかどうか、を聞き直しました。実は作業員たちは絶対に受け入れないだろうと思っていたので、どんな質問にも受け答えできるように心の準備を整えていたのですが、結果はかなり意外なものとなりました。すべての作業員が受け入れ、「私はいつもあなたが話してくれた以上のことを見ており、みんないつもネット封鎖を突破している」と言ったり、「以前から知っていましたが、今回の訓練で、やはり共産党が邪教であることがさらによくわかり、私は佛を信じ共産党を信じないので、共産党を脱退し、自分のために本当の信仰を見つけます」という作業員もいました。絶対反対するだろうと思っていた同僚の作業員も「あなたが連絡してくるちょっと前にもう共産党を脱退したんです、というのも、祖父は共産党が法輪功を支持していた時代の古い共産党の幹部で、『法輪功は素晴らしいのだから必ず冤罪をそそぎ名誉を回復する』という確固とした信念をずっと持っており(これは常人の善良なる願望であるが、大法については誰も判定することはできない)・・・」と言いました。万古より救い済度される機会を待ち続けてきた7、8人の生命を、私の人心と観念のためにもう少しで失うところだったのです。意気地のない弟子は本当に師父に対して申し訳が立たないと感じ、自責、感激、感動で涙が止まりませんでした。

 今回の職員訓練では、訓練をうけた部門の全ての人がその日のうちに三退しました。ついに「最大の善なる念」に対してさらに深く悟り、大法弟子として無条件に師父が求めておられるものを円融し、最大限の努力を尽くして完全に自我を放下すれば、衆生に最大の福報をもたらし、自分の生命にも最大の向上をもたらすのです。これは師父の洪大な慈悲であり、衆生が救い済度されるための下地をお作りになるためにどれだけのものを師父が費やされたのか、にもかかわらず、大法弟子が人心を用いて師父の按排について考えたならば、本当に多くの生命を投げ捨てることになったでしょう。

 自我を放下してはじめて衆生を救い済度することができる

 大法の要求からすれば、私はまったく遅れており、自我への執着が深くて強く、この交流原稿を書いていた時も顕示心と自己を実証しようとする心が思い出したかのように湧き出て来て、妨害がとても多かったのです。主意識が強くなく、自分で自分の執着をコントロールできず、思想業力が頭の中で思い乱れた時はとても辛く感じたため、この原稿を書く時に思想業力の存在を暴露しなければならなかったのです。最も純粋な心を用いてこの法会の文章を完成させ、この1年の自分の修煉をしっかりと整理し、新しい道のりへの出発点にしたいと思います。

 言い出した以上は実行しなければなりません。精進すると決めて、強烈な自我を放下し、本当に内心から自分を変えてはじめて師父の救い済度に申し訳が立ち、ずっと期待を抱き続けている縁のある衆生を救うことができるのです。

 師父の慈悲深い済度に感謝いたします!

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『精進要旨二』「妨害を排除せよ」
 [2] 李洪志師父の著作:『二〇〇三年元宵節での説法』

 (明慧ネット第12回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2015/11/5/318556.html)
 
関連文章