内部からの妨害に注意してください
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2015年5月24日】同修と接触する中で、彼らが普遍的に、心が静かではない事に気づきました。心を静めて煉功、法を勉強、発正念できる人が少ないです。もちろん、この中に家族の幸せ、個人の幸せ、名利情にあまりにも執着して、真に修煉していない人がいます。このような人に心を静める方法はありません。しかし一方で、個人の名利情も放下でき、一心に修煉に没頭したい人が、なぜこうなったのでしょうか? 私は観察を通して、ある原因に気づきました。つまり内部から妨害に対し、はっきりした認識がなかったからです。

 一、一部の同修は自分で解決すべき、自分が乗り越えなければならない個人の問題を、学法グループに持ち込み、みんなに解決してもらおうとしている一方、多くの同修もまた、「熱心」に解決しようとしがち

 例えば、夫がまた私を罵ったのですが、これは一体どういう事なのか? 皆さんの意見を言ってみてくださいとか、私の息子は今、私と対立しているのですが、その原因を皆さんで分析してくださいとか、または家の誰々はどうして真に修煉しないのか、どうすればいいのか? あなたたちの意見を聞かせてくださいとか。このような具体的な問題は、自分で法に照らし、内に向けて探す必要があります。外に向かって求め、学法グループに持ち込んで解決できる事ではありません。

 以前、私もある同修を知って、彼女の個人修煉の問題をいつも私と相談しに来て、私は嫌でたまりませんでした。毎回相談に乗って話し終えると、私の心は静まらなくなって、数日かけて調節して、やっと正常に戻れるのでした。師父は私に関わってはならず、彼女が自分で本を読んで解決するように、繰り返して告げてくださいました。しかし、形成した習慣は変えがたいもので、彼女がたまに側に来て言い出す時、私はやはり我慢できず、言ってしまいました。顕示心からなのでしょうか? 本当にひどく妨害してくるものでした。実はこのような現象は私だけではなく、たくさんの人に共通しています。私は法理からこの妨害を認識できたのですが、相当多くの同修たちは悟らなかったことで、妨害され落ちてしまいました。私は以前、数人のよく修煉できた同修と知り合いました。彼らもこのような、いわゆる同修を助ける中で、知らず知らずのうちに落ちていって、名利心や顕示心などの心が湧いてきて、人心がひどく膨張させられ、一人が亡くなり、一人は妥協した後亡くなり、一人は不法に拘禁され、もう一人は話す態度が得意満面で、止めなければもとても危険です。

 個人修煉の問題、すなわち家庭のトラブルとか、夫婦のトラブルとか、子供の成績が悪いとか、病業の関とか、誰々の態度が悪いとか、色欲心を今も取り除いていないとか、これらの事は、自分で法をたくさん理解し、心性を向上させることで解決できます。何かというと外に向かって求め、外へ押し出さないでください。外に向かって求める悪い習慣であれば、なお更口にしないでください。ほかの同修もこのことで同修を助けていると思わないでください、そういうことになるとは限りません。

 私の認識では原因がいくつかあります。まず、具体的な関は自分で乗り越えなければならず、他人が手伝って乗り越えたとしても関を乗り越えたとは言えないので、後でもう一回同じ関がやってきます。以前、私もこのように人を助けていて、結局その人はずっと、その程度のことを乗り越えられず、私がかえって妨害されてどうしようもなくなったことに気づきました。最後に私は、彼の関は自分で乗り越えなければならないことが分かりました。あなたがもしずっと人助けをしていたら、旧勢力に他人の修煉を妨害していると思わせたら、よく人を助ける人を危険に合わせるかもしれません。実際、他人の具体的問題を積極的に解決してきた人の多くは、例を挙げませんが、正しくない状態を表した事があります。実は他人に一体どんな執着心があるのか、修煉中の同修には正しく言うことができないのです。正しくなければ業を作ることになりがちです。業を作れば自分で返さなければならず、たくさん業を作ったら修煉できなくなります。私もこのような業を作ったことがあります、非常に耐え難くて、修煉しなくなりそうでした。この問題を認識できた後、正常でない状態が消えました。現在はすでに、修煉の初期状態ではなく、私たちも新しい修煉者ではないので、異なる時期に異なる要求があるので、師父の法の自分に都合のよい部分だけを捉えないでください。今は法を実証する中で、自分の果位を円満する時になったので、異なる段階では要求も異なります。

 この面でのお互いの妨害は非常に厳重なので、この問題を解決せず、重視しないかぎり、多くの修煉がよく出来ている同修も、この問題で台無しになる可能性があります。いつも他人の具体的な問題を解決したがりますが、してはならず、この問題を重視していただきたいです。私が法からこの理を悟って、このような事をなくしてから、心が静かな状態に戻りました。法の勉強がよくできた時、発正念は静かな状態に入り、威力がとても強くなりました。これは以前、他人の問題に執着していた時には、感じていなかったことです。これは旧勢力が、私たちのこの面での法理がはっきりしていないことを口実に、隙に乗じているのです。たくさんの人にこの問題があるので、ぜひ用心してください。

 二、同修の間、どう助け合うべきかの問題

 同修の間で、どう助け合うべきでしょうか? 大陸の大法弟子は大道無形の道を歩み、それぞれ違う道を歩んでいます。厳格に言えば、同修の間のことは助け合うとは言えないのです。それぞれの境界が違うので、助けになれるのでしょうか? あなたは他人の執着が何か、正確に見分けられますか? 時にある同修が悟ったことは正しかったのですが、しかし、他の同修から見ればそれは執着であるかもしれません。それぞれ違うのです。つまりそれぞれ自分の道を歩んでいますので、せいぜい法を実証する中で協力が必要な時、よく協力すればいいのです。もしある同修が本当に自分で精進できないなら、学法グループに参加してもらい、みんなと一緒に法を勉強して正念を発すれば、これは良いのです。他の時間は自ら明慧ネットで同修のやり方を参考にして、心が修煉にあれば、自然に自分の道を歩み出すことができます。もしこの人の心が修煉になかったら、正念がないなら、いくら助けてあげても無駄です。かえって自分が妨害されてしまいます。互いに精進するよう声をかけて、師父が説かれた「比して学び比して修す」[1]に照らして自ら行なえば、一番の助けになります。内に向けて探したくなく、探し方がどうしても分からない人は、他人がいくら助けてあげても次元が上がりません。

 三、協調人が法に照らして認識できず、この問題を促進した。

 協調人とは言え、実は多くの協調人が法に基づいて行なっていません。大陸の大法弟子は、できるだけ自ら封鎖を突破して明慧ネットを見られるようにしておかないと、協調人に間違った道に連れていかれてしまっても、それに気づかないのです。私たち地方の協調人にもこのような問題があります。いつも学法グループの同修たちに、ある同修の個人的な問題を解決させていて、同修たちの心が揺り動かされ、その同修がああすべき、こうすべきと、あれこれ言い始め、とても賑やかで、新奇をてらう心と歓喜心を満足させています。なぜこれらの事に参与するのですか? なぜ法に照らして量らないのですか? 大法弟子は師が法を正す事を手伝いに来たので、人を救い済度することと関係ない事が、大法弟子の全体に妨害の作用をもたらしてはいけません。

 私にいかなる同修を指摘する意図はありません。ただこのような問題を目にして、とても厳重に感じました。実はすでにこの難に遭いながら、また悟っていない同修がいますので、明慧ネットを借りてこの問題について交流したいと思います。海外にこのような問題があるかどうかはわかりませんが、私の知っている限り、大陸では厳重です。忠言は耳に逆らうと言います。私もこの問題で転んだことがあり、法に基づき正しく悟ってやっと乗り越えましたので、ぜひこの問題に気をつけてください。

 個人の体験に次元の限りがありますので、不足なところは慈悲にご指摘願います。

 注:
 [1] 李洪志師父の詩:『洪吟』「實修」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2015/5/11/309017.html)
 
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