文/中国の大法弟子
【明慧日本2016年9月13日】ある日、同修が電話をかけて来て、「病気になった。血圧が高くて、うとうとしている」と言いました。私は、師父は『轉法輪』の中で、「『病気』という言葉さえ聞きたくありません」1]とおっしゃったじゃありませんか。それは虚像です、妨害です」と言いました。彼女は電話で「お姉さん、あなたの一喝で目が覚めました。分かりました」と言って、翌日また法を学びに来ました。
私は81歳です。1997年10月から、幸運にも法輪大法の修煉を始めました。それから、私の人生には天地をひっくり返すような変化が起きました。
昔、私はめぐり合わせが悪いとよく言われました。35歳の時、息子4人と娘1人を残して、夫が亡くなりました。その時、長男は16歳、末っ子はわずか5カ月でした。子供たちを養うために、私は夫が務めていた職場でアルバイトをして、そこで5年間トイレ掃除をしました。汚くてキツイ仕事でした。クリーニング屋でも仕事をしました。1人で5人分の仕事をしました。過労は私の体を壊し、69キロの体重が36キロまで下がりました。顔もしわだらけになりました。さらに、私は変な病気にかかりました。それは誰かに首を絞められているように、息が苦しくて、いつ窒息して死んでもおかしくない状態でした。
1997年、長男は私に法輪功を勧めてくれました。病気治療のため、私は法輪大法の修煉を始めました。以下では、修煉後に、私の身に起きた不思議な事をいくつかお話しして、人々に、法輪大法は正法であること、佛法であること、真に修めれば奇跡が起きることを伝えたいと思います。
読み書きのできない私が、法輪大法の本を読めるようになった
私は学校に1日も通ったことはありません。読み書きのできない私はグループ学法に参加しても、同修達が本を読むのを聞いているだけでした。師父は『轉法輪』の中で、「気功は修煉にほかならない」、また、「わたしはここで病気治療の話をしませんし、病気治療などもしません」、さらに「人は、以前に悪事を働いたために生じた業力のせいで病気になったり、魔難に遭ったりしています。苦しみを味わうことはほかでもない業を返すことなので」、「もしあなたが病気のことばかり考えるその心を捨てられないのなら、われわれは何もしてあげられないし、どうすることもできないということを強調しておきます」[1]とおっしゃいました。
師父の法は、一つ一つが私の心に留まり、私はいつも泣きながら聞いていました。師父のお言葉は、私の一生の苦しみ、疲れ、怨恨を全部取り去ってくださいました。私は気持ちが明るくなり、元気になりました。そこで、『轉法輪』、師父の説法ビデオ、録音テープを取り寄せ、指導員の助けの下で、毎日、異なる時間帯のグループに参加して、法を学びました。また、夜は、かならず師父の説法を一講聞き、寝食を忘れるほど没頭しました。
精進する心を見られた師父は弟子を加持してくださいました。ある日、法の一つのフレーズを読んだ時、師父がその次の言葉を私の頭に反映させてくださると、私は朗々と読めるようになりました。私は感激して涙を流しました。師父に叩頭して、感謝しました。それから、私はいつもひざまずいて、師父の説法を聞き、1時間聞いても、少しも疲れを感じず、頭もはっきりしていました。
読めない字があれば、息子や嫁、孫に聞きました。ある日、外孫に「寡」という文字をどう読むかと聞きました。外孫は、「おばあちゃん、それは未亡人の意味ですよ。あなたの事ですよ」と言いました。私も笑いました。字を読めただけではなく、意味も分かりました。
師父のご加持と同修の助けの下で、私はほぼ『轉法輪』を読めるようになりました。
嫁は実母に法輪功を勧める
私の左目は、60年間、ものがはっきり見えませんでした。法輪大法を学んだ後、それが自然に治癒し、字が読めるようになりました。そして、すっかり白髪になった髪は、黒髪が生えて、特に頭の後ろの髪は黒くてつやつやでした。
大法弟子の使命は人を救うことです。どう救えばいいのかと考えた時、まず、家族を救わなければならないと思いました。子供たちに、「法輪大法は素晴らしい」、「真善忍は素晴らしい」を知ってもらわなければならない、嫁達に、大法の修煉をしている姑はよい人で、殴られてもやり返さず、罵られても言い返さないことを見せなければならない。そして、なにも気にせず、いつも楽観的で明るく、気取らず、困難があれば先に解決に当たり、金と労力を惜しまない姿を見せなければならないと思いました。
四男の嫁はお母さんに法輪功を勧めました。彼女は、「私の義理の母を見てください。4人の嫁と仲良くしているのに、あなたは1人の嫁とも喧嘩ばかりしていて、どうするんですか?」と言いました。
大法の素晴らしさと深い内包はすべての人を惹きつけています。息子3人と嫁4人は全部『轉法輪』を2、3回読んでいます。娘は法輪功の資料作りを手伝っています。私が資料作りにお金を寄付しても、子供たちは一切愚痴を言いません。そして、一番良い果物を買ってきて師父に差し上げるのです。
ある日、体に、また息苦しい、窒息の症状が出てきました。子供たちは大変心配して、泣きながら、私を病院に送ろうとしました。私は、「これは病気ではありせん。虚像です。妨害です」と言って断りました。私は落ち着いて足を組み、発正念をしました。師父にご加持をお願いして法を暗唱しました。すると、何事も起きていないかのように、症状は直ちにおさまりました。子供たちも驚いて大法の不思議さを目撃して感心しました。
真相を伝える中での不思議な話
真相を伝えたり、DVDを配ったり、横断幕を掛け、真相シールを貼る時、大法の資料を運ぶ時、私は心の中で必ず師父の法を暗唱しました。「大法弟子とは何でしょうか? 最も偉大な法が造成した生命です。(熱烈な拍手) 磐石のように確固としており、金剛不破なのです」[2]と暗唱しました。私は恐れる心がなく、いつでも正々堂々と法を実証しました。
2000年、邪悪が最も狂気に迫害した時、私は布を買ってきて、1メートルの条幅を作りました。同修はそれに「法輪大法は素晴らしい」、「真善忍は素晴らしい」と印刷してくれ、私は布の両端に袋を作って中に石を詰めました。夜、場所を選んで、条幅を掛けました。私は条幅の一端を握って、頭の上で力一杯回して、ジャンプして、投げました。ぴゅう、と音を立てながら、条幅はとても高いところに掛かり、私もびっくりしました。心の中から、「師父、ありがとうございました」とお礼を申し上げました。翌日の朝、確認に行ったら、条幅は風に振られ、「法輪大法は素晴らしい」、「真善忍は素晴らしい」の黄金の文字がキラキラと光っていました。往来の人はみんな「法輪功の人は凄いね」と言いました。
またある日、法輪功の資料を配布した時、夜、大雨が降って、私はたくさんの資料を持って、団地の中で一軒一軒に配りました。もう一棟のビルに行こうとした時、地面に雨水がたくさん溜まっていて、道がはっきり見えず、私は一歩を踏み出すと、深い水の中に落ちそうになりました。その瞬間、師父は私を水溜まりの向こう側に運んでくださいました。家に帰ってから、靴を洗おうと思って見てびっくり、靴には少しの泥もついていませんでした。
19年間、私は薬を一錠も飲んだことはありません。いつも使いきれないほどの力があり、子供たちにも迷惑をかけていません。友達や親せきは皆「法輪大法は素晴らしい」を知っています。
注:
[1]李洪志先生の著作:『轉法輪』
[2]李洪志先生の著作:『各地での説法四』「二〇〇三年ワシントンDC法会での説法」