体に不健康な状態が現れた同修に伝えたい
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文/山東省の大法弟子

 【明慧日本2016年8月21日】1年ほど前から、現地の複数の同修の体が良くない状態に陥りました。ある同修は以前とても力が強く、重い荷物を肩に担いで走ることもできたのに、今は少し動くと疲れ果てたと感じます。ある同修は以前足がとても軽く、長時間階段を上って法輪功の資料を配っても疲れなかったのに、今は手ぶらで少し歩いても疲れます。ある同修は病気を患い、亡くなった人もいます。

 それらの情況について、年配の同修2人が私と数時間交流をしました。より多くの同修とその体得したものを共有するため、交流の内容を文章に作成するようにと2人に頼まれました。下記はその日の会話のメモです。

 体に現れた「病気」の状態に対して、師父は説法の中で大法弟子に多くの法理を説かれました。体に現れた不健康な状態の背後には、人によってそれぞれ異なる具体的な原因が存在しています。そのため、ここで話した内容がすべての同修の具体的な情況に合っているとは限りません。そこで、3人の同修の例を挙げて、旧勢力の妨害が現れた時に、修煉者としてどうすれば良いかについて、個人の見解を述べたいと思います。

 Aさん(70代男性)の状況

 Aさんは1996年に修煉を始めました。修煉する前にAさんは重病に苦しみましたが、修煉してから病状はだんだんと消えました。20年来Aさんはずっと修煉を続け、特に1999年に大法が迫害され始めても、断固として修煉を続けると宣言しました。多少恐れる心を持ってはいますが、平穏に三つのことを行っていました。欠点といえば、同修と口論を起こす時、具体的なトラブルに陥って良し悪しを判断しがちでした。

 2015年、Aさんに突如肺炎の症状が現れ、呼吸困難で咳をしていました。しばらくして咳止めの噴霧器を使用し始めたAさんは7月に数日の旅行に出て、帰って来てから咳がひどくなり体も痩せました。

 ある日の夜、彼は私の家に来て、1時間あまり私と交流しました。私は「Aさん、これは病気ではなく、修煉する前の持病がまた発症したのではありません! では、それはどういうことでしょうか? 旧勢力が按排した妨害と試練だと思います。あなたが本当に師父と大法を信じ切っているか試されています。実は、私に言わせれば、それは虚像だと思いますよ。師父が授けて下さったものなら何でも最も良いものだと信じて、普通に生活して普通に三つのことをやれば良いのです。ただ自分は本当の修煉者だという自覚を持って、心から師父と大法を信じることが大前提です」と話しました。

 Aさんは「私はずっとそれを病気と思っておらず、真相伝えも中断していません。ただ咳がとてもひどくて、本当に我慢できません」と言いました。私は「噴霧器を使っているなら、あなたはそれを以前の持病として思っています。師父は『精進要旨・道法』に「もし、心性または行動にその他の問題がないのであれば、きっと邪悪な魔が皆さんの放任している隙につけ入っているに違いありません」とおっしゃった言葉を覚えていますか? あなたは口で「放下した」と言っていますが、行為において放下していません。それはつまり病気を求め、病気を受け付けることになってしまうので、旧勢力はあなたを見逃すはずがありません! 今、あれこれの執着を探すのを止めてください。そのように探すのは、まるで邪悪にあなたを妨害する理由を与えることと同じです。当面の急務は心を正しく持って主意識をしっかりさせ、体の正常でない現象をすべて虚像だと思ってください。咽頭炎、肺気腫、肺結核のような病名が頭にポンと出てくるとき、直ちに否定して取り除いてください! それは後天的な観念、思想業、外来の妨害そのものです。決してあなたの主元神の出した考えでも何でもないのですよ」と話しました。Aさんは時に頷いていましたが、その日はずっと元気がなく、言っていることも法理に合っていませんでした。

 私は引き続き「Aさん、本当の自分を取り戻して、元気になってください。私たちは20年ほど一緒に修煉してきた仲間なので、体や健康に関する法理に対する理解を私は洗いざらい全部言いました。正しいかどうかも分かりません。いつでも、自分を本当の修煉者だと思ってください」と話しました。それ以後、私の妻と他の同修もAさんと何回か交流を行ったのですが、Aさんは根本から病気の虚像を否定しておらず、最近、「病状」はますますひどくなっています。

 Bさん(73歳女性)の状況

 もう一つの例は地元のBさんです。Bさんは古い大法弟子で、数カ月前に突然半身不随の症状が現れました。私の家に来て階段を登る時、足元がふらふらして転びそうになり、家に入ったら息切れして、しばらく話すこともできませんでした。

 Bさんの心理状態は、それを病気と思っていないものの、時々やはり心配もしました。実は私に言わせれば、Bさんは体の症状を病気と思っていなくても、正念は確固たるものではありません。私と妻はAさんと交流した内容をBさんに話して、率直に私たちの見解を述べました。最後に、Bさんは私と妻が法理から悟った言葉の「これは虚像だ、師父が私たちに授けて下さったのはすべて最も良いものだ。私は師父の言われた通りにする、私は本当の修煉者で私はきっと健康を取り戻すことができる」と何回も繰り返して、帰りました。

 3週間後、Bさんはまた我が家を訪ねて、とても嬉しそうに「私の体は良くなりました。有難う」と我々夫婦に近況を報告しました。私と妻は「あなたの心性が向上して、大法の素晴らしさを実証したのです。おめでとうございます」と励ましました。

 Cさん(70代女性)の状況

 最後の例はCさんです。小学校も卒業していないCさんは、師父と大法を少しも疑っていません。Cさんの修煉の道は比較的平穏で、激しい起伏がありませんでした。ある日、私のカメラが偶然にCさんの体に現れた法輪を撮影しました。法輪は幾層にも重なり合って、色とりどりで美しくて、神聖で壮観な瞬間でした。

 昨年、Cさんに突然「帯状疱疹」の症状が現れました。中国では俗称「腰に巻き付く蛇」といい、非常に痛いのです。疱疹が腰を一回りするところまで広がったら命の危険があると中国では思われています。大人の男性でさえその痛みに耐えられず叫んだりしますが、Cさんはご主人と子供たちにも知らせず、1人で耐えてきました。

 治ってからのある日、Cさんは淡々とその事を言ったので、かえって聞く側の私たちはとても驚きました。委細を聞くと、Cさんは「痛みは20日間ぐらい続きました。その間も、真相を伝えることを一日も休まず、家事もいつものとおりにやりました。それは病気ではないと私は分かっているので、私はそれを良い事だと思っています。師父が我々を加護されているので、それが病気か何かと考える必要もありませんと語りました。Cさんの水のような淡泊な態度から、病気に対する彼女の修煉の堅固さ、この上ない大法の素晴らしい力を誰でも感じ取れるでしょう。

 以上の三つの例を読んで、読者も何か悟りましたか。私と妻がその中から悟ったことが以下の七つです。

 (一)、いったん体に良くない状態が現れた時、頭に一番先に現れたのがどんな念なのか、気を付けてください。もし今の「症状」を昔の持病に結び付けるような念であれば、それは間違いなく観念或いは思想業力で、直ちに除去しなければ旧勢力に隙に乗じられかねません。

 (二)、どんな行動をとるかですが、思考と逆の行動を取ることが大切です。つまり、体に良くない状態が現れた時、本能的に煉功学法も休みたくなり、その時にその本能に従がえば、ますます煉功と学法をしたくなくなります。その時に「旧勢力が私に学法と煉功をさせたくないのなら、かえって私はしなければいけない」と思って、旧勢力の按排を否定します。

 (三)、無意識の状態に頭に現れた病名、昔病気を患った時の体の辛さ、病院に行こうと思う念、医療費がどうなるかを考える念などを、厳粛に否定して除去します。たとえ一瞬の念でも見逃すわけにはいきません。それらは後天に形成した観念、思想業力と外来の妨害だからです。それを否定し取り除くこと自体が心を修める過程で、法に同化する過程でもあります。

 (四)、疲れやすくなるのは、地球上の時間が早くなっていることと関係があるかもしれず、修煉の後期の今、修煉者自身の動く力が足りなくなるのが原因かもしれません。山登りに例えれば、最初はとても速く登って、終点に近づけば近いほど遅くなり、最後に足を持ち上げることも難しくなります。その時、心境の変化を見逃さずにできるだけ正しい心理状態を保ちます。同修たちが何気なく言った「死ぬほど疲れた」、「死ぬほど眠い」、「死ぬほど腹が立った」などをよく耳にしますが、口にすることはその良くない状態を認めて強化することになり、知らず知らずに自分の体を異常な状態に引っぱっていくのです。

 師父は『二〇一五年米国西部法会での説法』に「しかし、あなたはそれらの小さいことを軽視しないでください。邪悪は隙に乗じてくるのです。多くの学習者は小さい過ちのせいで命まで失いました。本当に非常に小さいことが原因だったのです」と私たちに説かれました。最後の段階に来て円満成就に対する基準もより高くなり、自分を厳しく律することができなければ、円満することができないと、私と妻は悟っています。小さいことにおいても心性を修めなければ、だんだんと大きい間違いにまで積み重なります。それでも小さいことと言えますか? 家庭の中、同修との間、勤め先、社会活動の中で、私たちが出会った小さいことは実はすべて修煉者のとても頑固な執着心に向かって起こったのです。気を緩めると心性を高める機会を逃すだけでなく、同時に邪悪に我々を迫害する理由を与えるのです。

 (五)、心を修める過程はどのようなものか、私はこう理解しています。頭をはっきりさせて自分が何を考えているかが分かり、頭に浮かんだ思いは自分のための「私」のものか、それとも他人のために思いやるものか、正のものか邪なものか、良いものか悪いものか、大法の法理に合うものか背くものかがはっきり分かれば、法理に背く念を否定し解体して、進んで大法に同化します。修煉者がその状態に入ることができれば、つまり内に向けて探し、内に向けて修める状態に入っています。

 (六)、法を正す時期の大法弟子である我々の修煉は、個人の円満成就のためではなく、自分をよく修めて衆生を救うためです。潜在意識の中に少しでも「個人の円満成就のため」が隠れているなら、それは旧宇宙の「私」を強めることになります。私たちは宇宙の未来のため、法輪大法の永久不変のため、計り知れない衆生のために修煉すべきです。

 (七)、現時点で体に大きい問題は出ていませんが、長期にわたって三つのことをしっかり行えない修煉者がいます。修煉が全体的に終わる時に、そのような修煉者の次元、到達できる果位はどうなりますか? 体に良くない状態が出ていなくても修煉を怠ってはいけないのです。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2016/1/21/322487.html)
 
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