90歳で亡くなった修煉者が残した貴重な遺言
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明慧日本2015年7月6日】

 一、かつてのAさん

 去年、90歳のAさんが亡くなりました。Aさんは1997年に修煉を始めて、字は読めませんが、毎日師父の説法テープを聴いて、勤勉に煉功をしていました。1999年、迫害が始まった後、Aさんは厳粛に息子と娘たちに「しっかり修煉を続けてください。今回こそ、中国共産党は本当に終焉を迎えます。以前、共産党は地主や知識人を闘争の対象にしたのは、常人と闘うことに過ぎません。今回、共産党は闘争の対象を間違えました!」と言いました。Aさんは力の及ぶ限り法輪功真相を伝え、また同修たちと一緒に息子と娘たちを連れて、大法の潔白を実証するために天安門に行きました。あの恐怖に満ちた年代に、Aさんの家庭は千万人の大法弟子の家庭と同じように大きな迫害に遭いました。Aさん本人と3人の娘は相次いで洗脳班、留置場、刑務所に入れられて、息子と息子の嫁は迫害から逃れるために仕方なく家を離れました。しかし、Aさんと子供たちは、師父と大法に対する固い信念であの苦難に満ちた時期を耐えてきました。

 二、「病」に陥ったAさん

 このような老人が、2014年6月のある日、突然ものが食べられなくなり、何を食べても吐き出しました。2カ月経っても好転せず、息子と娘たちの心は動揺し始めました。特に末娘のBさんは、迫害の中で残虐な拷問に耐えられなくなって、出所後、修煉を止めてねずみ講に加入しました。Bさんがお母さんにねずみ講で宣伝している栄養食品を食べさせたところ、Aさんはそれを食べてもっとひどく吐きました。AさんはBさんの作った食事をとても警戒し、また子供たちに「誰も私を病院に入れないでください。あんなところに行ったら二度と家に戻れない」と言い聞かせました。

 三、正邪の大戦

 何も食べない母親を見守りながら、修煉はしているが理性を失った長女は「私たちはこれで善をやり遂げたといえますか。お母さんが痩せこけて、お母さんが餓死するのをただ見るだけでしょうか。他の人は私たちをどう見るでしょうか」と叫びました。修煉しない長男も早くAさんを病院に運ぶようにと提案しました。その時に、法理をはっきり分かっている次女は「みんなあれこれと騒いで、とてもお母さんを愛して、とても親孝行をしているようですが、実は全部自分自身のために過ぎません。責任を負いたくないだけです。みんなはお母さんのために考えたことがありますか? お母さんの思考力はしっかりしていますよ。お母さんはずっと『私は煉功者なので、病院に行きません。行ったらきっと戻れないから』と言ったではありませんか。あなたたちはお母さんに葬儀用のものを準備して、お母さんに『何が好きなのか』と聞いた時、お母さんは『私はただ真・善・忍が好きです』と答えたではありませんか。あなたたちはどうしてお母さん自身の意思を尊重してあげないのでしょうか」と話しました。それを聞いて、騒ぎが収まりましたが、Aさんが再度人事不省になった時、家族は反対意見をおしのけて、Aさんを病院に送りました。

 四、病院にいる時のAさん

 医者はAさんに全面的に検査を行って、「何の病気もない」という診断結果を出しましたが、それでもAさんに点滴や注射などを施しました。病床で昏睡状態に陥った母親を見て、次女は「お母さんをこんな辛い目に遭わせたのは、我々の親孝行の心ですか、お母さんへの愛ですか? いいえ、旧勢力が私たちの情を利用してお母さんを害しようとしているのです! 私たちは旧勢力のしようとしていることを実行させているのです」と思いながら、思わず涙が流れました。その時。2時間も人事不省になったAさんは突然目を覚めて、「ここはどこですか」と聞き、次女が「病院です」と教えると、Aさんは嘆いて、「私を病院に入れることにあなたも賛成したのですか? 旧勢力もできないことを、あなたたちはやり遂げたのですね」と話しました。

 入院した翌日、Aさんの目が光って、微笑んで両手を合わせて、嬉しそうに「師父が私を迎えに来ました」と言いました。修煉をしている息子と娘たちも両手を合わせて、静かに母を見守っていました。Aさんのその表情とその動作は何時間も続きました。その後、彼女の顔色は黄色から黒くなり、体もかさかさな枯れ木のようになりました。しかしAさんの意識ははっきりしていて、「家に帰りたい、ここは私のいるべき場所ではないです。私の体を私自身が主導します」と言いました。息子と娘たちはAさんの意思を尊重して、すぐ注射針を抜いてAさんを家に運びました。

 五、家に帰った後のAさん 

 家に帰った当日の夜、Aさんはたいへん元気がよくて子供たちと一晩中会話をしていました。翌日の夜になると、Aさんはずっと大声で叫んでいました。叫んだ内容は誰も分からなかったのですが、人の名前のようでした。Aさんは天目が開いており、「ベランダに2人います」と言いました。子供たちは「では、早く彼らと善解しましょう」と提案すると、Aさんは「しかし彼らは私と善解をしようとしません」と答えました。

 Aさんの声はとても大きくて、ビル全体の住民も聞こえました。2カ月もろくに食事を摂っていない90歳の老人に、どこからそのようなエネルギーがきたのでしょうか? 住民らも不思議に思っていました。そして、Aさんのお腹からは海の波音が聞こえました。『轉法輪』に書かれた「一方、摩訶不思議に聞こえるでしょうが、人間の身体の内部、分子からミクロ世界の微粒子までは、まるでこの宇宙と同じように広いのです」のとおりでした。息子と娘たちはAさんを囲んで一晩中発正念をしました。それは本当に正邪の大戦でした! 2カ月あまり妨害をされて、Aさんはとうとう安らかに目を閉じました。

 六、懇ろな遺言

 Aさんは臨終の時、子供たちに二つの願望を伝えました。一つ目は、貯金の半分を大法の仕事に寄付することでした。ここで補足しますが、ふだんもAさんは大法のことにお金を惜しむことがありませんでした。二つ目は、自分の命の最後のストーリを書き出してすべての大法弟子、特に病業に陥った大法弟子にこのように伝えてほしいということでした。「自分の歩んできた修煉の道を大切にしてください。師父が苦難を嘗め尽くして浄化してくださった我々の体と命を大切にしてください。私たちは自分の体を気の向くままに壊す理由はどこにもなく、栄養食品や薬品で体を汚してはいけません。私は法理が分からなくて病院に行ったのではありません。子供たちの情は『柔らかいナイフ』のようにじわりじわりと私を害し、『親孝行の心』が私を死に追いやったのです。私は現地の全体の修煉環境に溶けこんでおらず、長期にわたり自分の人心を除去していなかっこともあって、とうとう修煉の途中に命を奪われました。最後まで修煉を続けていくことができなかったのは、私の最大の慚愧であり心の痛みです!」

 尊敬するAさん! あなたは命の最後のときでも他の同修に伝えることを忘れず、同修たちの修煉のために配慮しました。同修たちよ! くれぐれもAさんが命がけで伝えてくれた教訓、沈痛な最後の言葉忘れないでください。難関を乗り越える中で正念をしっかり持って、100パーセント師父と大法を信じて、親子の情に動かされないように、病気の虚像に戸惑わされないでください。自分は修煉者であり、李洪志師父の弟子であり、自分の体は師父が苦難を嘗め尽くして浄化してくださったもので、中に決して有害なものを入れてはいけません。いかなる人心も取り除いて、旧勢力の迫害を認めず、全体の環境に溶け込んで、周囲の修煉者とよく交流してください。大法の基準で自分を厳しく要求して、修煉の道を正しく歩みましょう。

 七、最後に

 Aさんは他界しましたが、妨害は終わったわけではありません。修煉している数人の息子さんと娘さんはそれぞれ自分の空間場が清浄でないと感じ、時々、卑しい生命からの妨害も感じていました。母親のことをめぐって彼らは内に向けて探したとき、それぞれ自分の言行に正しくない部分が見つかりました。

 次男とお嫁さんは、「お母さんを病院に入れようと、私たちは発正念をしに来た同修らを追い出しました。お母さんに申し訳なかったと思っています。ふだんは時間がないことを理由にほとんどお母さんと一緒に学法をしていませんでした。新経文が発表された後でもお母さんに一回だけ読んであげただけで、ふだんお母さんと心性の交流をしていませんでした」と話しました。

 長女は「私はとっくの前から旧勢力に邪魔されて理性を失っていたことを、今になってやっと気付きました。ふだん、お母さんの修煉状態に何も問題がないとずっと思っていたので、たまにお母さんから文句や愚痴をこぼされた時に、私はお母さんの執着を指摘してあげず、かえってお母さんの機嫌を取るために、その人心に順応して慰めの言葉を贈りました。もしもっと前にお母さんに指摘していれば、きっと今日のような結果にならなかったでしょう」と泣いて悔やみました。次女は「入院するかしないかの問題において、最後に私は妥協しました。皆さんがとても興奮したのを見て、大法に不利な事でもしてしまったらと心配して、肝心な時に妥協してしまい、今はとても後悔しています」と話しました。

 交流した結果、法に上に立っておらず、一体を形成しておらず、旧勢力に隙に乗じられたと、兄弟たちは考えを一つにしました。それから、兄弟たちは多く学法をして、集中的に発正念をして、心と心が寄り添うことで、母を失った悲しみから立ち直りました。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2015/4/4/307081.html)
 
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