高い基準で人を量らない
文/中国の大法弟子
【明慧日本2015年2月9日】法輪大法の修煉者は修煉を通じて、世の中の人々に対して、和やかに対処することができます。しかし、明慧ネットで毎日掲載される同修の文章の中によく見られる問題があります。それは高い基準で人を量ることです。
多くの大法弟子は、学法し、煉功し、三つのことを行う中で、普通の人より、心性が高くなります。私たちは難関を乗り越えられないとき、人を救い済度する時、修煉中に些細なことが起こった時、あるいは、同修間で、お互いにやさしく接することができない時、また法輪大法が迫害された真相を聞かない衆生が現れた時、心は悲しくなり、様々な思いが出てきます。実はこんな時、私たちは高次元の理で人を量っているのです。私たちはすでに常人の境地を超えました。どうして高次元の理で常人を量るのでしょうか? それは間違っているのではないでしょうか? まして宇宙の大法はなおさらです。言い方が適当でないかもしれませんが、私たちが高い基準で蟻を量ろうとすれば、頭を下げ腰を曲げなければならず、疲れを感じませんか?
修煉の過程は自分を修める過程です。高い基準で人の過ちを量ることは、間違っていると思います。「善」と「忍」の基準に達していません。主意識の修煉は、最終的に世間、三界、情から超脱することです。高い基準で人を量ってはいけません。本当の慈悲は威力無限です。
次元が限られていますので、適当でないところがあれば、慈悲にご指摘ください。