「苦しみ」についての理解
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 【明慧日本2014年7月5日】人間は「苦しみ」の中にいます。私の理解では、この「苦しみ」には二つの側面があります。一つは肉体から来る苦しみで、つまり「物質的な苦しみ」です。もう一つは、人間が世の中で形成した観念による苦しみで、いわゆる「精神的な苦しみ」です。神が人間に「苦しみ」を与えようとする時、もっぱらこの二つの側面から顕れてきます。

 まず「物質的な苦しみ」を見てみましょう。人間の目は細胞で出来ているため、人間は自分より高い次元の宇宙の真相が見えません。その故、人間は「迷い」の中におり、そのこと自体は肉体から来る一種の苦しみです。これ以外に、この体は寒さにも、暑さに弱く、喉が渇いたり、お腹が空いたり、病気になったり、痛みを感じたりすることのすべては苦しみです。これらの苦しみはいずれもこの体から来るもので、全部「物質的な苦しみ」に属します。

 もう一面の苦しみは「精神的な苦しみ」と言うものです。人間は世の中で生活し、いろんな「良い」と思われる観念を持っています。それは他でもなく、世の「名、利、情」に対する執着心そのものです。自分が「名、利、情」を得れば、「良い」と判断し、甚だしきに至っては、成果を上げると他人より一段優れていると思ってしまいます。一方、「名、利、情」を少しでも失ったり、不足だと感じたりすると、悪く、辛く感じます。これは人間が世の中で形成した観念による精神的な苦痛です。

 しかし、人は世の中の「名、利、情」を求める時、実は他の生命を傷つけてしまい、罪業を作ってしまいます。高次元の神は人間に苦しみに耐えさせ、債務を返済させようとしたら、人間の「物質的な苦しみ」あるいは「精神的な苦しみ」を利用することになるでしょう。すべての「苦しみ」はただこのような理由と因果輪廻の報いによるものに過ぎせん。

 大法修煉者にとって、人間社会で修煉することも、この二つの形を通して、苦しみに耐え、業を消去し、それと同時に、苦難の中で大法によって自分を律して、自分の心性と次元を高めるほかありません。それでは修煉者にとって、いかに「物質的な苦しみ」と「精神的な苦しみ」に対応すればいいでしょうか? 私は自分の理解をお話しいたします。

 「物質的な苦しみ」に関しては、それは肉体から来る苦しみで、それに耐えてしまえば、業を消去することが出来るのです。しかし自分を高めたければ、肉体の苦しみにいくら耐えても、次元の向上には限界があります。師父は『転法輪』の中で、「心性の高さは功の高さ、これは絶対の真理です。」と説かれています。従って、大法修煉と言うのは主に心性の向上に力を注ぐため、「精神的な苦しみ」は一番多く顕れてきます。

 「精神的な苦しみ」について、師父は『転法輪』の中で、「これも部分的には役に立ちますが、われわれの法門では、これを主な方法とはしません。われわれは基本的に、人と人との間の心性の摩擦の中で業力を転化させるのであって、普通そうやって転化を実現するのです。人間がトラブルの中、または人間同士の摩擦の中に身を置かされた時の苦痛は、肉体的な苦痛よりも辛いものです。わたしに言わせれば、肉体の苦痛は最も耐えやすく、じっと我慢すれば、何とか耐え抜くことができます。しかし、人と人とがいがみ合う時の心は、最も制御しにくいものです。」とおっしゃっていました。

 私個人の理解では、人の精神的な苦しみは、人間が世の中で形成した観念によるもので、「名、利、情」に対する執着から来るものです。人は世の中「迷い」の中で、宇宙の真相、真理が見えず、「名、利、情」を自分の人生の精神的な支えと見なし、それは不可欠で、なくてはならないものだと思ってしまいます。このような誤った観念は自分に無限の精神的な苦痛をもたらし、「名、利、情」をいったん失ってしまえば、精神的には徹底的に潰れてしまいます。

 どうして共産党は毎回の政治運動で、「名誉上で汚す」方法で民衆を迫害するでしょうか? それは邪悪には人間の執着心が見えており、この方法で人を迫害するのです。例えば、「文化大革命」で、劉少奇はどうして三日間で共産党に潰されたでしょうか? それは彼が世の中「名、利、情」に執着しており、いったん濡れ衣を着せられ、剥奪されると、彼は耐える事が出来ず、精神的にはたたきつぶされてしまいます。

 共産党は大法を迫害した時も同じ「名誉上で汚す」手法を使いました。しかし、共産党がいくら大法弟子を罪に陥れ、泥を塗り、名誉を汚しても、天地を覆い隠した勢いで迫害しても、15年間、大法弟子を倒すことが出来ませんでした。なぜでしょうか? それは大法弟子が宇宙大法を修め、世間の「名、利、情」を放下し、宇宙の「真・善・忍」に同化しているからです。大法弟子は世の中「名、利、情」に執着しないため、共産党はいくら「名、利、情」の上で、濡れ衣を着せ、略奪しても、大法弟子を揺るがす事が出来ませんでした。

 反対に、修煉しない人であれば、彼は世の中「名、利、情」に執着し、これらのものを精神的な支えと見なし、いったん罪を陥れられ、名誉が汚され、彼の「名、利、情」を徹底的に剥奪され場合、この人は簡単に打倒させられるでしょう。それはこの人が執着しているからです。

 『転法輪』の中で、師父は「あなたに一つの真理をお教えしましょう。絶えず執着心を取り除くことこそ人間の修煉の過程のすべてです。」とおっしゃいました。師父は直接私たちに、世の中の「名、利、情」に対する執着を放下するようにと教えてくださいました。

 修煉者は世の中に対する執着心がなければ、当然邪悪がどう動かすことも出来ません。「名」に対する試練は、ただ「名誉を壊す」ことを通じて、修煉者を魔煉するに過ぎません。歴史上、正法を修煉して成就した覚者は、すべて「名、利、情」の試練と魔難を受け尽くし、最後に自分が佛法上でこの上ない威徳を確立し、自分の果位を成し遂げたものばかりです。

 今日、大法弟子は共産党の15年間の天地を覆い隠すような「名誉上で汚す」に対し、邪悪の厳しい試練の前で、「名、利、情」を放下することが出来れば、大法弟子の誰でも平然として、この巨大な難関を突破する事ができ、しかも、この貴重な修煉環境で、自分の大法での威徳を成就することが出来るのです。

 ですから、「苦しみ」とはなんでしょうか? それは人間の感覚で、人心の執着によるものです。修煉者は人心を放棄することが出来れば、その「苦しみ」から抜け出すことが出来ます。人の執着を放棄して初めて、「苦しみ」から抜け出し、この世の「苦海」から出て行くことが出来るようになります。

 
(中国語:http://big5.minghui.org/mh/articles/2014/6/30/294104.html)
 
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