根本的な執着を取り除き 師父の真の弟子になろう
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 【明慧日本2014年4月18日】大法の修煉を始めて15年来、私は自分の心の奥深くに潜んでいる人心に気づいていませんでした。2012年8月、ある同修から父親を亡くし、利己的な姉を怨んでいるという話を聞きました。帰宅の途中、私はその同修の話を思い出し、自分の体験と比べながら考えているうちに、突然自分のある心に気づきました。それは、「他人に良くしてもらいたい心」と「報いを求める心」です。この時、師父の法が脳裏に浮かんできました。「做して求めざれば、常に道中に居る」(『洪吟』「道中」)

 家に戻ってから、私は静かにこの「求」という字を思い浮かべ、内に向けて探してみると、名利を求め、「報いを求める心」「他人に良くしてもらいたい心」など多くの人心を見つけました。情が引き起こすこれらの執着心が、ずっと私の言動を左右していたことに驚きました。

 しかし私は長い間、その心をはっきりと認識できず、心性の関を乗り越えられない度毎に、自分は情が重いからの一言で片づけてしまい(同修達も私は情が重すぎると言っています)、その心の根本まで深く掘り下げませんでした。というのも私は、修煉をまだ始めていない社会人の時から、賞金や奨励、賃上げにも淡々とし、自然に任せており、修煉を始めてからも、定年退職後、以前にも増して名利への執着がなくなっていました。そのようなことから、名、利、情を修めることに関して、私自身、もともと昔から名利を求める心を持っておらず、ただ情を取り除くことにおいて非常に苦労していると思っていました。  

 今回、内に向けて探してみると、この「他人に良くしてもらいたい」「報いを求める」心が、驚くべきことに私の心の奥深くに潜んでおり、それらの心が満たされなければ、恨む心が生じてくることに気づきました。

  2011年の甥との心性の関を思い出してみると、その時、表向きには私は姉への情に執着していたように見えますが、深く追求してみれば「名を求める心」と「報いを求める心」がありました。そして他空間ではそれらの求める心によって形成された良くない物質が私の情に対する執着を増強し、その影響で私の言動は理智に欠け、私は常人そのものになっていたのです。

 私は1998年の4月に修煉を始め、その後、二番目の姉と甥も相次いで修煉を始めました。2000年12月、私達は法を実証する為に上京し、不当に連行され、地元の警察署に連れ戻されました。私は足の怪我及び心臓病で、2千元もの罰金を不当に徴収され、解放されました。一方、姉は3年の労働教養を強いられました。その後、師父のご加護の下で、姉は身体検査が不合格だったこともあり家に戻れましたが、中共による13年間にも及ぶ迫害の中で、5回も労働教養を強いられ、4回も労働教養所内で迫害を受け、邪悪の巣窟の中で2008日間、また甥は5年間も拘禁され、1年の労働教養と4年の刑務所生活を強いられ、邪悪の巣窟の中で、1825日間の暗黒の日々を過ごしました。

 2011年、姉と甥の2人が刑務所から家に戻ってきてから数カ月経たないうちに、甥は法理がしっかり理解できず、天目が開いたある同修と一緒に他の地方へ行こうとしました。同修の多くから、その行為は法に則っていないと指摘も受け、私も彼と交流を試みましたが、手ごたえはありませんでした。いよいよ彼が発つ前日の午後、姉は泣きながら私を訪ね、「一緒に彼を阻止してほしい」と頼んできました。この時、私は人心が動き、お金で彼を引き止めようと考えました。そして甥の家に行き、彼に「あなたが刑務所にいた4年間、私はあなたを何回も訪ね、貯金をおろして物を買い、出所する当日は2台の車を使って(900元)迎えに行き(610弁公室に再び連行されるのを阻止するため)、少なくとも3千元はかかりました。どうしても行くと言うなら、このお金をきちんと私に払ってから行きなさい」と言いました。甥はすかさずこう答えました。「私はあなたに会いに来てほしいなどと頼んでいません。ここはあなたの家ではなく、私の家です。出しゃばらないで下さい」と言って、甥は私の顔を殴って傷つけました。私は悔しくて我慢し切れず、自分が修煉者であることを完全に忘れてしまいました。

 家に戻ってから、私はベッドに身体を投げ出して横たわり、携帯電話の電源を切り、来訪者を無視しました。それから3日間というもの、私は師父の法像にお香を捧げず(恥ずかしくて師父のお顔を見る勇気がなかった)、外出もしませんでした。私は甥に殴られたことは見過ごす事はできないと思いました。これはまさに私自身の問題ではないでしょうか? 振り返ってみると、この数年来、私は姉と甥のために公安局や警察出張所、拘禁所、検察や裁判所の間を往来し、彼らを見舞い、様々な方法で師父の経文を渡そうとしてきました。その中で私は何を修めてきたのでしょう?

 内に向けて探してみると、自分の心の深くに潜んでいる様々な人心に気づきました。名利を得る事、報われる事や他人から良く思われたい心、嫉妬心、彼に対する怨む心もあります。また、彼を見下す心があって、私は彼を同修と思わず、甥として考え、目上としての立場を崩さず、毎回交流の際、叱責するばかりでした。彼に何か前世からの借りがあったかもしれないとも思いましたが、何をしても気に入ってくれません。 

 そして私は自問しました。「私がこの数年、中共の迫害を受け、彼ら母子を救出する過程は、そもそも自分の修煉過程ではないか? ほかの同修を救出するために私はあちこち奔走したが、私の心は動じていなかったか? これらの最も邪悪な場所に行って、真相を伝え、衆生を救う過程において、どれだけの恐れる心を取り除き、どれだけの安逸心を取り除き、どれだけの慈悲心を修め、どれだけ師と法を信じる正念を強めてきたのか? またこの過程で向上し、その結果、目に見えない貴重なものをどれだけ得たのか? そしてこの一切は、感謝の一言や物質的なお返しのようなものとは全く比べものにはならないのではないか? それなら、何を悔しく思うのか? 常人から良く思ってもらいたいことを求めるのは、やはり常人の事に執着しているのではないか?」

 師父が『轉法輪』の中でおっしゃった通りです。「あなたが相手に感謝するのは当たり前ではありませんか? あなたは本当に心から相手に感謝しなければなりません。本当にそうなのです」「常人の中で捨てられないような心を、全部あなたに捨てさせなければなりません。どんな執着心であれ、それを持っているかぎり、さまざまな環境の中でそれを少しずつ削り落とさなければなりません。さまざまな失敗を経験させ、失敗の中で悟らせることこそ修煉なのです」

 師父、感謝致します! このつまずきによって私ははっきりと悟りました。私自身、ここ数年ずっと著しい心性の向上がないと感じていましたが、この深く隠されていた私心によって、顕示心、闘争心、歓喜心、嫉妬心のなどの様々な人心が引き起こされていたのです。 

 私の心は開かれ、法理が明晰になりました。私は発正念し、これらの人心を解体できるよう、師父に加持を願いました。

 その後、同修達が私に会いに来て、グループ学法に来るよう誘われ、そして皆がいま『洪吟三』を暗記していることを伝えてくれました。私は同修達に励まされ、夜9時過ぎに簡単に部屋を掃除し、師尊の法像に三束のお香を捧げてから『洪吟三』を暗記し始めました。第五篇まで暗記したとき、感謝の涙が私の懺悔の心を洗いました。「人生短し、来て宿に泊まる。来た時に立てた誓いを忘れるべからず。路上の名、利、情、仇に躊躇し、何時に悟って家院に返るのか」(『洪吟三』「痴」)。真夜中の12時の発正念までに、私は27篇の詩を暗記できました。

 翌日、家のドアを出たとき、全てが明るく、輝くように見えました。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2014/4/7/284013.html)
 
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