常人の状態に符合することについて
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文/無私

 【明慧日本2014年4月14日】私は1994年に大法の修煉を始めた古い学習者です。4歳から家族と一緒に大法修煉の仲間入りをし、現在すでに20年が経ちました。修煉の道において数え切れないほどのつまずきがありましたが、最終的に師父の慈悲なるご加護の下で乗り越えることができました。最近、学法して暗記することで「常人の状態に符合すること」について新たな理解がありましたので、書き出して皆さんと交流したいと思います。

 私の理解では、常人の中で修煉し、常人の中で衆生を救い済度する形式は師父から大法修煉者への要求です。それは大法の修煉ならではの形式でもあります。そのため、「常人の状態に符合すること」が必要になってきます。かつて「常人の状態に符合する」というのは、常人に異常と思われないように、できるだけ常人のやり方と一致することだと、私は誤って思い込んでいました。しかし、それはまさに名利心と虚栄心がまだ残っており、旧勢力に隙に付け入られている証拠です。何もかも常人と同じようにするのであれば、常人との違いはなくなるのではないでしょうか。仮にすべてにおいて法の基準に従って事をこなすようにすれば、常人は異常と思うどころか、超常的で素晴らしいと認めざるを得なくなります。法を広め、衆生を救い済度することにプラスの効果までもたらすことができます。

 当初の自分を振り返ってみると、学法が浅いため、明らかに人心と観念が多く残っていました。そのため、法を実証することまで制限されてしまいました。

 私達はこの世に降りて大法徒として師が法を正すことを手伝っています。執着を取り除き、衆生を救い済度する環境として常人社会を選んだに過ぎません。常人社会の習性や観念に完全に符合する意味ではありません。当初の理解はまさに常人の中における執着が取り除かれておらず、法理を曲解してしまった結果になります。旧勢力に隙に付け入られて、それが原因で根本的に執着を取り除くことができなくなっていました。

 学法を通じて、異なる次元の生命には異なる表現形式と状態があると悟りました。「常人の状態に符合する」というのは、常人社会の形式に一致することです。例えば、私たちの知っているように常人生活には衣、食、住があります、学業、結婚、仕事などが必要です。私達はその形式と状態に符合しながら、心性の基準を常人よりずっと高くしなければなりません。さもなければ、修煉者であることが、どうやって裏付けられるでしょうか?

 以上が、「常人の状態に符合すること」について、学法と修煉から悟った見解です。不適切なところがありましたら、慈悲なるご叱正をお願いいたします。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2014/4/9/289787.html)
 
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