【明慧ネット2013年9月3日】一年余り、不法な労働教養による迫害を受けた後、私はしばらく家にこもって法を学び、心性上の差を探し、色欲、惰性、安逸心、利己心を1つ1つすべて探し出し、それらを絶えず除去するようにしました。次第に調子が良くなり、真相を伝えることも徐々にやり始め、自分の状態は万全だと思うようになりました。
家は勤め先から遠く離れているため、自動車の免許を取らざるを得ず、教習所に申し込みをしました。「車庫入れ」を練習する時、教官はもう問題がないと判断して、私の代わりに試験に申し込んでくれました。しかし、実際にテストに臨むと、私は頭が真っ白となり、最初の「基準点」さえはっきり見えず、失敗して、試験官に車から降ろされました。がっかりするあまり、大法弟子である自分が、試験のためにこれほど悩むべきではないと開き直ったのですが、悔しくて仕方がありませんでした。心を静めて問題を探して見ました。練習の時によく出来ましたし、教習官も良いと言ってくれたのに、なぜ始めた途端に間違ったのでしょうか? 単なるミスであれば、せいぜい竿に当たったり、白線を踏んだりするぐらいですが、私の場合、始まってすぐに見間違ってしまいました。なぜでしょうか?
自動車を運転しない人は知らないかもしれませんが、この試験は教官が教えた「基準点」によって車を動かし、6本の竿で作られた二つの長方形の駐車スペース(車庫)の間を走行させ、駐車します。つまり、車の車庫入れと車庫出し、また車庫と車庫の間の移動作業であり、その間、車は竿に当たったり、地面に書かれた白線に踏んだりしてはいけません。それぞれの教官が選ぶ参照物は異なるため、見る「基準点」も異なります。学生はこれらの「基準点」と参照物の位置をしっかり覚えればテストを合格できるはずです。
テストが失敗した後、私はよく観察しました。なるほど、私が練習した場所には多くのバラック、煉瓦がありましたが、これらのものは試験場にありません。教習官が教えてくれたのはすべて正しいのですが、しかし、練習する際、私は無意識的にそれらの余計なものを参照物として加え、参照すべきでない「基準点」と参照物を見てしまい、教習官が教えてくれたものを変えてしまったのです。その結果、試験に失敗しました。
この失敗は、突然私の目を覚ましてくれました。修煉者がもし法から乖離すれば、それは大変恐ろしいことだと思いました! また旧宇宙が乖離したことと大法弟子が見舞われた迫害も思い付きました。師父は何度も旧宇宙の勢力がどのように形成されたのかをおっしゃいました。長年法を学んでいたのに、これらの法の中で自分を見ず、それはすべての生命の深い教訓であることも悟れませんでした。師父がおっしゃった以上、弟子として今後、それを戒めとしなければならないのです。私はやっと気づきました。自分は長い間、入念に法を学び、心を修めることを軽視し、次第に法から乖離してしまったのです。表面上では、毎日は学法と煉功をし、真相を伝え、正念も発して、法の要求に合致しているようでしたが、しかし、すでにかけ離れていても、まったく気づかず、時間が経つに連れ、その乖離がますます大きくなりました。なぜなら、私達が基準をしたのは人間行為の表面で、師父の法ではありませんでした。
師父は心を修めることを再三に強調されました。しかし、自分は心が動かず、ただ機械的に仕事を為していました。さらに、仕事の量の多さや積極的な態度から、自分のことを素晴らしいと判断してしまうことすらありました。運転は参照物と「基準点」を基準にしていますが、修煉者は法を基準にしなければなりません。本を読むだけでよいのではなく、いかに修めかは大事です。法理に基づいて行動し、問題に会ったらまず法理と師父の要求を思い出し、どうすれば早くやり遂げることができるかを考えることです。けっして形式だけに行うものではありません。
師父はおっしゃいました。「しかし、法を正されていない生命は以前の宇宙の法理で行動し、それをもって大法弟子を量るのです。大法弟子が自身が認めている基準に達してからはじめて、それらの生命は納得し、大法弟子が妨害されずに向上し、それらを救う資格を持つようになると思っています。」[1]
法を正す期間の大法弟子であろうと、法がこの世を正す時の大法弟子であろうと、修煉をすれば、心を修めることは基本です。「心性の高さは功の高さ、これは絶対の真理です。」[2]しかも、私達はこれほど偉大な歴史的使命を持っており、あれこれ修めて、心性が上がらなければ、円満に達せなければ、それは無駄ではないでしょうか? 修煉ということはこれほど厳粛なものです。普通の人の試験は通らなくても、再び受けることが出来ますが、師父が与えてくださった貴重な歴史の機縁をいったん逃してしまえば、本当に永久の遺恨となります!
数日前に、何人かの真相をよく伝えている古い同修は、ちっぽけなことでトラブルを生じ、何回も大泣きをしたそうです。私は心性を高めるべきじゃないかと思いました。多くの古い同修達は十数年来、毎日のように外で衆生を済度することに奔走し、家庭環境もとても良く、家族の支持も得られており、師父がこのような弟子を見落とすわけがありません。師父がすべての弟子に出来るだけ早く向上して欲しいと望んでおられます! 大変お疲れ様ですが、くれぐれも心を修めることを忘れないように、ここですべての同修に呼びかます。
個人の体得ですので、ご指摘をお願いします。合掌!
注:
[1] 李洪志師父の著作:『各地での説法十一』「二十年説法」
[2] 李洪志師父の著作:『転法輪』