真相資料を作る中で心性を高める
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2016年9月12日】私が法輪大法の修煉を始めたのは、ほとんどの同修と違う動機でした。当時、姪が法輪功を紹介してくれた時、「自分が受益するだけでなく、子供の性格まで改善されるのよ」と言われました。私は心が動いて、「息子は若くて気が短く、いつも心配だ。一方、娘はなかなか就職ができない。もし私が修煉をすれば、娘が幸運を得て、思い通りの就職先を見つけることができたら、それは完璧なことではないか」と思いました。

 最初の目的が純粋ではないとは言え、法を深く学ぶにつれて、私が心配していたことに変化が現れました。まず、息子はだんだんと穏やかになり、たまには、身を処する道理を聞いてくれるようになりました。娘もようやく就職が決まりました。立派な企業ではありませんが、一応安定した職場で、それも一件落着しました。一方、私は修煉して間もなく、長年の鼻炎が治りました。いままで、点鼻薬を絶え間なく使い、夜寝ていても、鼻が詰まって目が覚め、一晩に何度も目が覚め、疲れ果てていました。しかし、今は夜ぐっすり寝られるようになりました。これらの変化は、私の修煉の信念を強めてくれました。師父のご恩を受けて感謝にたえません。

 資料を作り、心性を高める

 私達の学法グループは7、8人がいて、平均年齢は60歳を超えています。皆の信頼を受け、私は資料拠点から資料を受け取る仕事を担当しました。最初のころは、1部か2部の資料をもらってきて、皆が順番に回わして読みました。しかし、最後に読む人はいつも先週の週刊になってしまうのです。私たちは、資料拠点の同修に、文句も言えないし、毎回受け取る資料が多かったり少なかったりして、学法クループの中で、十分に配分ができず、皆がお互いに競って見ようとして困った状況でした。同修達は、大法の進展についていけているのか、他の地域の同修より遅れていないかと心配していました。そこで、私に自分で資料を作りたいという一念が芽生えました。しかし、自分はもう60代で、パソコンの事もさっぱりわからないので、その気持ちがあっても、諦めるしかありませんでした。

 このような状況が長く続くと、衆生を救い済度するプロジェクトに支障を与え、次第に、同修たちのマイナスの感情が私に向かって噴出しました。愚痴を言う人、責める人、資料拠点に対して不満な人、さらに、私がもらって来た資料の量と質に対しても、意見が出てきました。私は本当に悔しくて、これは私の責任ではないではないかと思いました。遥々遠いところまで、何本もの大通りを渡り、また、道路もできていない土の道を歩き、毎回、資料を取りに行くのは、関門をくぐることと同じで、しかも、雨の日も、風の日も、体調の良い日も、悪い日も関係なく、同修達の期待に応えるため、私は絶対遅れたことはありませんでした。この大変さは同修たちにも言えないことがいっぱいあり、資料拠点に資料を求める時の大変さも私しか分かりません。私は本当に悲しく思いました。

 その後、師父からのご啓示によって、私は『西遊記』を思い出しました。私は自問しました。「三蔵法師がありとあらゆる苦難を乗り越えて佛経を求める道は、あなたより難しいのではないのか。彼は、様々な魔難に出遭い、様々な不公平を受けた時、あなたより強かったはずで、修煉の道に偶然なことはあるはずがない。これらはすべてあなたが修めるべき人心ではないか。これこそ師父があなたに按排された道ではないのか」と思いました。

 資料拠点の製作は大量の需要に追い付かないため、各グループに配布する資料の数を減らさざるを得なくなり、何度も手ぶらで帰って来ました。毎回こうなった時、私は使命を果たせない喪失感を感じ、これだけの同修に資料がなければどうしようと悩みました。すこし苦労しても構いませんが、師父の新しい経文を読むことができず、大法の進展に追い付いて行くことができなければ、それこそ大変なことで、地域の大法弟子の修煉にかかわる重大な問題だと思いました。家に帰ってから、私はじっくり考えました。「もしどうしてもだめなら、自分で作るしかない。資料拠点の同修の負担を軽減して、私が資料を担当する責任を果たそう」と思いました。さらに、「強制的に自分を勉強させることは、一見苦しいことでも、修煉者にとって、苦しみを嘗めることは必要ではないか」と思い至りました。もう考えることはありません。自ら資料作りを学ぼうと決意しました。

 真相資料を配ることは誰でも参加できることなので、私はまず家庭用の小型複写機を購入して、資料作りの第一歩を踏み出しました。最初の頃、コピーをするのも、怖くて、自分の部屋にいるのに、いつもびくびくしていました。時々、子供たちがちょっと声を大きくしても、恐れてしまい、今振り返って思えば、本当に馬鹿みたいな話でした。機械の反応は心性の向上と連動しました。資料を作るとき、私の気が散って、常人のことを考えたり、良くない気持ちに動かされていると、機械は必ず故障します。その後、それは、すべて自分の心と連動していることが分かりました。私が寛容になれば、機械は順調に働き、雑念が生じると、機械は絶え間なく故障します。しっかり修めることはすべてがうまく収まる前提条件だと分かりました。修煉は繰り返して磨き、繰り返して修めなければならず、近道もなければ特殊な方法もないことが分かりました。心が不安定になれば、法を学び、心性を修め、発正念をすればすべては安定に変わるのです。

 その後、私は機械のメンテナンスの知識も学びました。子供たちが家に居なければ、私は午前中も午後もコピーをして、毎回、ずっしりと重い資料を同修に届けました。その喜びは言葉で表現できません。私は一回、また一回、旧勢力の束縛を突き破ったと実感しました。妨害されたりもしましたが、自分は大法弟子という称号に恥ずかしくないと思いました。

 それから、同修達の資料に対する要求がますます厳しくなり、内容も種類もますます多く求められるようになりました。私は次から次へと機械を増やし、またインターネットへのアクセスや、ダウンロードの仕方を学び、少し複雑な小冊子も作れるようになりました。当時、技術に詳しい同修が少なく、一回教えてもらえば、あとは、自分の実践と模索に頼るしかありませんでした。習ったその日に覚えていても、翌日になると、忘れてしまい、3日目は再び勉強することが多くありました。私は息子に学習メモを書いてもらいました。すべての操作手順を私の分かる言葉で詳細に書いてもらって、毎回インターネットにアクセスする時、必ずメモと照らし合わせながら作業を進めました。これほど注意深くしていても、よくパソコンのプログラムを壊し、何度も取り付けをし直してもらいました。時々、息子はあきれて、「お母さんは覚えが悪い」と怒鳴りました。私もどうして覚えられないのかと焦りました。

 焦った後は心を静めて法を学びました。それでも覚えられなければ、発正念をして、私の記憶力を阻害している旧勢力と悪い物質を一掃しました。忘れたら覚え、覚えたら忘れるので、私は必ず「できない」という観念を突破しようと思いました。師父は「 法を正すことは必ず成功する」[1]とおっしゃいました。それなら、私がやっていることは「法を正すことは必ず成功する」ことの一部ではないでしょうか。「学んでも成功しない」という理はありません。何度も挫折を経験した結果、私はとうとう、パソコンで資料を作ることをマスターしました。そして、ずっと現在まで続いています。私は今も絶えず新しい技術を学んでいます。そして、この小さな資料拠点は今でも正常に活動しています。

 ここで、師尊のご加持とご加護に感謝いたします。また、技術の同修からの苦労を惜しまない指導に感謝いたします。すべての小さな花には多くの大法弟子の努力が注がれています。修煉は常人の仕事ではなりません。勲章もなければ褒め言葉もありません。あの黙々と奉仕する技術の同修に敬服します。それはただの技術ではありません。それは師父が私たちに与えてくださった衆生を救い済度し、邪悪を抑制する法器です。この領域に、私は果たさなければならない責任があります。大法は私に自信と奇跡を与えてくださいました。そのおかげで、私はずっと法を正す進展から落後してません。

 個人の修煉過程での体得です。適当でない所があれば、同修達の慈悲なるご叱正をお願いします。

 注:
 [1] 李洪志師父の経文:『各地での説法五』「二〇〇四年米国西部法会での説法」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2016/8/31/333491.html)
 
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