文/中国の大法弟子
【明慧日本2016年12月24日】万古に未だかつてなかった未曾有の正法の時期に、私は正法時期の大法弟子になることが出来て、比類ないほど幸運で光栄です。自分の修煉過程を振り返ってみると、私はいつも恩師が見守って下さっていることを深く深く感じるのです。
内に向けて探し 心性を向上させる
ある年の冬、私たちの田舎グループの同修は県に行って、そこの同修たちと交流しました。どのように法を良く学ぶか、心性を向上させるか、年末を利用して当地の民衆にどのように法輪功の真相を伝えて衆生を救うか等を交流しました。私が到着した時にはすでにたくさんの同修が部屋の中にいました。この時、私は男性同修のAさんが電話で同修と詳細に連絡しているのを見ました。部屋の中にいた同修は不満そうに「あなたはなぜこんなところに電話をもって来たの? こんなに多くの人がここにいるのに、安全に注意しないの!」と言うと、彼は強い口調で「私が電話をもっていなかったら、あなたはここが探せますか!」と言ったので、私は「あなたが電話をもっていなくても私たちはここを探せますよ」と言うと、Aさんは大声で「あなたには恐怖心がある! 帰って下さい! 早く! 急いで帰って下さい!」と言いました。このような突然の事に直面して私はどうしたら良いのか分からなくなり頭が真っ白になりました。この時、彼はまた大きな声で私に帰るように言いました。他の同修が引き止めましたが、私は鞄をもって、いったん外に出ました。私が扉を閉める時、彼はまた同修に大声で「恐怖心がありここにいることが出来ない人は早く帰ってください!」と叫びました。
一人で冷たい風の中を歩いていると、だんだんと冷静になってきました。師父がオーストラリアの学習者に対して説法なさったことを思い出しました。ある同修が師父に彼の姉が皆の前で会場を追い出された話を思い出しました。私の涙はとめどなく流れて、心の中で悔しくて師父に、「師父、弟子が帰ってしまったのは良くなかったと知っています。私はどうすれば良かったのでしょうか?」と言いました。私は彷彿と師父の説かれた説法が聞こえました。「煉功者として、あなたといざこざがあった人、目の前であなたを辱めた人に対して、あなたは『忍』をしなければならず、淡々としていなければならないばかりでなく、その人に感謝しなければなりません。もしその人があなたにいざこざを起こさなければ、あなたはどうして心性を高めることができるのでしょうか。辛い目に遭ったときに黒い物質を白い物質に転化させることができるのでしょうか。どうやって功を伸ばすのでしょうか?」[1]
私はだんだんと落ち着いてきました。師父がおっしゃった「ですからわたしは皆さんに教えます。あらゆるトラブルが起きる時、心がたいへん不愉快に感じる時、あなたは自分の内に原因を探すしかありません。原因は間違いなくあなたの内にあります」[2]を思い出しました。師父はすべての原因は自分の内にあるとおっしゃられたのですから、私はやはり心を静かにさせるべきで、内に向かって探さなければいけません。そうです。Aさんは早朝から、厳寒をものともせず同修を誘導していました。ある時は食事をする暇もなく忙しかったのです。私はどれほど思いやりがなかったでしょうか。それに言い方も善の念ではありませんでした。確かに自分には恐怖心があり、面子を重んじる心、闘争心、人に言われたくない心がありました。また自分が傷つくのを恐れ、他人を顧みませんでした。何か事が起こればまず先に自分のことを考えるのが、良いと言えましょうか? この数年間一体何を修めていたのでしょう? ここまで思い至ると本当にとても汗顔のいたりでした。心の中で、私が出て行ったせいで同修はとても気まずい思いをしているのではないか? と思いました。彼を探して謝るべきだと思いました。
次の日、私はAさんを探して、「私の昨日の態度は良くありませんでした。あなたは気にしないでください。私たちは皆内に向けて探します。向上してきたらそれがなによりも良いことです」と言いました。Aさんは恥ずかしそうに「ごめんなさい。私が良く出来ていませんでした」と言いました。私たちはお互いに笑いました。それからまるで何事もなかったように、共に協力して私たちが行うべきことを行いました。自分が法の中で正しく回帰して、同修を改めて見ると、感じが良いと感じるようになるのです。
昨年、ある日の夜11時半、同修が急いでやって来て、「警官が今、某郷鎮で江沢民を訴えることに参与した大法弟子を連行しています。実名で江沢民を告訴した同修は早く隠れたほうがいです!」と言いました。私はまず自分の心を落ち着かせました。事実ではない気がして、2人の同修を探して状況を確認しました。まず皆に心を落ち着かせて、「これは師父の按排ではありません。旧勢力による按排です。私たちはそれを認めてはいけません」と、発正念を多くしました。
次の日、私と同修のBさんは予定通り朝の列車で100キロメートル近い外の郷鎮に二十数部の訴状の用紙を届けに行きました。前夜の件の影響で私は少し気にしてしまい、あまり行きたくありませんでした。Bさんに「私たちはまだ行きますか?」と聞くと、Bさんは確固として「私たちは決めたことは必ず行います。遅らせたりしてはいけません」と言いました。私は同意して行くことにしました。
私たちは早起きして列車に乗り、2時間半かけて到着した時、二十数人の同修がすでに「まだか、まだか」と待ち遠しそうに待っていました。彼らはこの付近の各村から来ていました。ある人は四十数キロ遠方から急いで来たと言い、ある人は息子がスクーターで送ってくれた、ある人は夫が送ってくれた、ある人は徒歩で歩いて来たと言いました。最高齢の人は70歳を過ぎていました。このような場面を見て、私は自分を恥じ入りました。自分はなんと利己的なのかと思いました。何か妨害が起きたらまず先に自分を守ろうとしていました。同修に確固とした一念がなければ、私たちは来なかったでしょう。そうしたらここで待っている同修はどうなるのでしょう? それは全体にどれだけの大きな損失を与えることになるのでしょう! 私は自分を今一度落ち着かせて同修と協力して、訴状を整理して印刷しました。
皆で各自交流をして、積極的に訴状を書きました。またどのように三つのことを良く行うかの過程を話しました。私はとても感動しました! 本当にとても良かったです! 同修たちの多くの輝かしい物語を見ました! 同時に自分がとても差があることも実感しました。
師父の話をよく聞き、多くの人を救う
師父は「特に中国大陸の大法弟子は、一人一人みな表に出て真相を伝え、あらゆるところに真相が伝わるようにし、人のいるところに漏れることなく真相を伝えるべきです」[3]と説かれました。
中国の大法弟子は人を救う緊迫性を深く認識しました。2005年5月、不当に労働教養処分を受けてから家に帰った翌日から真相を伝える活動に参加し、衆生を救い、三退の大潮流の中に入りました。まず法を良く学んで、正念をもち、やっと真相を良く伝えることが出来、やっと人を救えるのだと知りました。うまく話せなくても話すようにして、だんだんと話せるようになり、3~5人から、100人を三退させるまでになりました。
この数年間、雨でも風でも、停留場、市、村、大型路線バス、冠婚葬祭、町中至る所すべて、私たちが真相を伝える良い場所です。家を出れば、救われることを待っている衆生に出会うことが出来るのです。街を歩いていると、救われることを待っている衆生がいて、目を輝かせて私を見ています。私は微笑みながら彼らの前に行って挨拶します。ある時、談笑しながら世人を手伝って三退をさせました。ある時は、罵る人に出会いました。私の腕を引っ張って公安局へ連れて行こうとし、110番通報しようとしましたが、私は「慈悲は能く天地の春を溶かし正念は世中の人を救う可し」[4]という法を覚えていました。師父の慈悲なるお守りの下、毎回危険を免れることが出来ました。
田舎の農民は旧正月の時、大多数が年画(旧正月に室内に貼るめでたい絵)を好んで貼ります。私と同修は一緒に田舎の観光バスに行き、微笑みながら皆さんにお辞儀をして「皆さん、こんにちは。正月用品はもう買いましたか? これから帰るのを待っているのですか?」と挨拶しました。皆さんは「そうですよ」と言いました。私は「皆さんに福を贈りに来ました。年画を持って来ましたよ。皆さんは福を持って家に帰って下さいね! 楽しく年を越してください、いいですか!」と言いました。皆さんは「いいですよ!」と言いました。私は「この画を見てください。とても綺麗でしょう? 上には『真・善・忍は素晴らしい』と書いてあります。家に帰ったら壁に貼ってください。いつでもこれの通りに行うようにしてください。そうすれば家庭は睦まじくなり、五穀豊穣になります。皆さん、ここも見てください。ここには『法輪大法は素晴らしい』と福の文字が見えます。誠心誠意念じれば身体が健康になり、災難を免れることが出来、福報を得ます」と言いました。
彼らは皆笑顔で手をあげて「欲しいです!」と言いました。私は「いいですよ。皆さんに1枚渡します」と言いました。私は皆さんに渡しながら言いました。「江沢民と共産党は互いに利用して真・善・忍を修めて良い人になろうとしている大法弟子を迫害しました。さらに冷酷非道にも、大法弟子の臓器を生きたまま摘出して売買し、暴利を貪っています。この星で未だかつてなかったほどの罪悪を犯しています。これは天罰を受けることになります。皆さん、党、団、隊に入ったことのある人は、それらの一員と見なされます。私たちがどうしてそれらの悪人に代わって無実の罪を背負わないといけないのですか? ですから、皆さんは一刻も早く脱退してください。平安を保ち、災難を逃れ、それら邪悪の党の副葬品にならないようにしましょう。皆さん、この機会を決して逃さないでください。早く脱退して平安を保ちましょう!」と話すと、どの車も全て六十数人が脱退しました。
毎回、観光バスに行ったり、面と向かって話すとき、人が多い時、私は『天赐洪福』などの明慧の真相週刊を取り出して微笑みながら「私は皆さんに福を持って来ましたよ! 誰もが見たらその人には福があります。ある年配のお姉さんは、半身不随になって7年、オンドルの上に寝ていて話をする気力すらなく、寝ている時間が長くなったため背中に床ずれが出来てしまいました。膿汁が流れてマットにしみ込んで、オンドルも濡れました。このような病人が何時間か経って良くなり、ベットから降りられるようになったのです。薬も飲んでいないし注射もしていません。どうして良くなったのでしょうか? それはすべてここに書いてあります」と皆さんに言いました。
この話を聞いて、皆さんが真相の週刊、資料のディスク等を取り合うように欲しがりました。私はまた来た人に三退もさせてあげました。ある人は「すでに脱退しましたよ」と言い、ある人は「車が出発するまでまだ時間があるから、もっとたくさん話して下さい」と言いました。またある人は「法輪功は良いものですよ! 私の親戚が黄疸性肝炎にかかって、黄色く変わってしまい、医者からもう数日も生きられないと言われましたが、大法の本を読んでから、現在も生きていますよ。とても素晴らしいです。常に『法輪大法は素晴らしい』と念じていて、皮膚もいい感じです。私はこれらを見たから全部知っています」と言いました。私は「あなたは本当によく知っていますね。とても良いことです。皆さん、まだ三退していない人はいますか? 一刻も早く脱退してください!」と言いました。皆さんは嬉しそうに脱退しました。ある信仰をもつ人もこの雰囲気の中で何も言わなくなりました。ただ静かに聞いているだけでした。
年の暮れ、私たちは明慧が発表した年画、福字、掛け軸、卓上カレンダー、切り紙細工や真相の資料をとても多く車に用意して、人通りの多い場所を歩き回りました。大きな市に行って、一軒一軒回って真相を伝え、三退を勧めました。得た効果は非常に良いものでした。私たちは4、5人の同修で真相を伝える小グループを作りました。年の暮れの2カ月近くの間に、4千人余りを脱退させました。
私たちはバイクに乗って真相を伝えに行ったりもしました。トンネルを通り抜ける時や、田舎の小路を通る時にとても便利でした。誰かが路にいるのを見ると私たちは話しに行きました。1人が発正念し、1人が会話し、会話に行きづまるともう1人が補足します。出会った人が多い時は、路を質問する方式で話しかけます。「あなたたちは涼みに来たのですか? ちょっとお伺いしますが、○○村はどうやって行けば良いですか?」というと、彼らは熱心に私たちに教えてくれました。私たちは彼らに「あなたたちは本当に良い人ですね。本当にとても感謝します。私たちもあなたに一つのとても良い事を教えましょう。平安を保てる良い事を教えます。私たちのような一般庶民でも身体が健康になることが出来ますし、無事になれます。子供も心配をかけることが少なくなります。そうでしょう! ですから、あなたたちは必ず覚えてください。『法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい』と誠心誠意に念じれば災難を免れることが出来ます!」と言いました。
彼らは皆「そうですね」と言いました。私は「三退して平安を保つ話を知っていますか?」とききました。彼らは皆「知っています!」と言いました。「では脱退しましたか?」ときくと、ある人は「学校に行ったことがないので、入団していません」と言いました。私は「そうですか。では脱退する必要はないですね。法輪大法は素晴らしいと覚えるだけで大丈夫です」と言いました。ある人は「私は少年隊に入ったことがあります。あなたは私の脱退を手伝ってくれますか」と言いました。私は「あなたに別名をつけて脱退させてあげますね。○○で良いですか?」と言いました。彼は爽やかに同意しました。ある人は「なにか資料などは持ってないですか?」ときいてきました。私は「ありますよ」と持っていた明慧週刊と、お守りなどを彼らにあげました。
彼らに満面の笑みが見えました。私は心の中で、本当に彼らのために喜びました! 私は世人が真相を渇望していることを見ました。真相を理解することを待ち望んでいるのです。これから必ず時間を大切にして多く学法し、良く法を学び、三つのことを良く出来るようにして、多くの人を救い、師父に少しでも心配をかけないようにして、多く安心してもらえるようにしましょう。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『法輪功』「第三章 心性を修煉する」
[2] 李洪志師父の著作:『シンガポール法会での説法』
[3] 李洪志師父の著作:『精進要旨三』「人心を放下し、世の人々を救い済度する」
[4] 李洪志師父の詩:『洪吟二』「法正乾坤」