遭遇したことはすべて良いことだ
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文/山東省の大法弟子

 【明慧日本2016年11月3日】私は1998年に法輪大法の修煉を始めました。修煉前、私は深刻なリウマチを患っていたため、肩、手の関節はペンチで曲げられたように変形し、足は気が遠くなるほど痛く、夜はほとんど眠れませんでした。しかし、不思議なことに、『轉法輪』のごく少数の段落を読んだたけで、これらの症状が全て消えてなくなりました。

 ここで、特にお話したいのは、私の現在の再婚後の家庭のことです。前の夫は私を見捨てて、幼い息子を連れて出て行きました。数年後、現在の夫は自分の息子を連れて私と再婚しました。

 私が修煉してから、夫は私よりも嬉しそうで、息子に「早くご飯を食べなさい。お母さんは法を学び行くから。お母さんがどれだけ良くなったかお前にはまだ分からないだろう」と言いました。その時から、私は怠けることなく、修煉の道をしっかりと歩んできました。大法を信奉しているという理由で、不当に判決が下され、済南の女子刑務所で5年間拘禁され、迫害された時でもそうでした。私は師父を固く信じ、大法を固く信じ、この一念を固く守ってきました。そして「必ずしっかり行おう」と自分自身を戒めました。

 警官が「大法は素晴らしい」と言わせないならば、自分の行動で示そうと思いました。私は法に対して、必ず責任をもって行動し、自分を厳しく律しました。あの厳しい環境の中、とうていできないだろうと思われるほど、私はやり遂げました。警官たちはついに大法に敬服し、大法弟子に敬服し、大法の素晴らしさを実感しました。ある警官は「僕も真・善・忍に基づいて行いたい、家族と大法の素晴らしさを分かち合いたい」と言いました。そして、彼は「大法の言われる通りに行ったら、家族全員が喜んでくれたし、自分も嬉しくなった」と言いました。

 今世で大法の修煉ができることは、一つの生命にとって、極めて幸運なことです。師父は「一人が煉功すれば、一家全員が受益する」[1]と説かれています。今の夫との間に、子供はいませんが、しかし、私が刑務所に5年間不当に拘禁されていたにもかかわらず、常人の夫は私を5年間待ってくれました。そして、夫は1人で、私の実の息子の結婚式まで準備し、取り仕切ってくれました。息子は実の母親がいない状況下で、立派に成長し、しかも、自力でマンションを買って、結婚しました。夫の連れ子も大法が素晴らしいことを知り、福の報いが得られ、高収入の職に就くことができました。

 しかし、修煉は厳粛なものです。向上すべき時に、まさしく師父がおっしゃったよう通りでした。「それが人の心の奥深いところを刺すような激しいものでないと効果が上がらず、向上につながりません」[2]

 今年の5月1日、夫の息子の嫁が出産し、私に産後の1カ月間、手伝いに行ってほしいと夫に頼まれました。私は人を救うことに支障をきたすのではないかと心配して、良くない観念や人心が飛び出してきました。気分が悪く、悔しくて、また「夫は不当な扱いをしている」と私心も重く、夫を怨みました。私の息子と夫の息子への対応が異なるなど、あれも、これも、さまざまなことを思い出し、心を引っかき回わされ、ますます鬱屈した状態に陥りました。

 同修と交流して、自分の良くない心を少しずつ見つけました。学法発正念を通して、それらを一掃し、師父も私に気づかせてくださいました。師父は「大法弟子は修煉を始めたその日から、あなたの人生は按排し直されたのです。つまり、あなたのこの人生は修煉者の人生となり、いかなることも偶然ではなくなり、偶然なことが現れることもありません。人生の道のりにあるすべては、あなたの向上と修煉と直接的な関係があります」[3]と説かれています。修煉の過程で起きたことは、いかなることも偶然なことは一つもなく、それなら、自分の観念、自分の好き嫌いで対応してはよくないと思いました。

 師父は説かれています。「修煉の中で、皆さんは良いことに出会っても、良くないことに遭っても、すべて良いことです。なぜならば、それらは皆さんが修煉しているからこそ、現れたことだからです。修煉者は、常人の心を持って、業力を持って、執着を持って円満成就することはできません」[4] 「修煉者は逆に問題を見ており、これらの魔難と苦痛を向上の良い機会と見なしており、すべて良いこととして、このようなことがたくさん来て、早く来てほしいのです。それによって早く向上するのです。一部の修煉者は『来ないように』とこれらの問題を外に押し出しており、これらの問題に出遭ったら、相手が自分に対して不満を持っていると思い、人に指摘されたくはありません。あなたは気持ちよく過ごしたいですが、それは修煉なのでしょうか? それで修煉できるのでしょうか? 今になってもこの観念がまだ変わっていなければ、師父である私でさえ、あなたがどのようにしたら圓満成就に向かうことができるのかが分かりません」[5]

 私は師父のお言葉通りに行い、心に受けた衝撃、体が耐えた苦痛をすべて良いこととみなし、たとえ、いくら辛くても、時には、涙をこらえて忍んでいても、心の中では嬉しく思いました。なぜなら、私の度量が広くなっていることが分かっていたからです。時には「どうして他人の好意が分からないのか」という考えが噴き出したりもしましたが、すぐに「これは外に向けて探している」と意識し、そして「周りの人は皆私が向上するように助けてくれている、心から彼らに感謝しなければならない」と自分に言い聞かせました。

 息子(今の夫の実子)の嫁が出産し、夫の先妻から電話があり「息子の所に行くから、うちの車で一緒に行きませんか」と言われました。私も行こうと決めました。翌日、夫の先妻、今のご主人と一緒に車で行きました。私は気分が良く、平然として、また自信たっぷりで、ずっと笑ったり喋ったりしていました。500キロも離れた目的地にあっという間に到着しました。法によって、心性が高まったからこんなに平然とできたのです。

 午後、息子は病棟から迎えに出て来ました。実の母子は賑やかに話しながら病棟に入って行きました。私は後ろからついて行きました。もし、私が大法の修煉をしていなければ、この息子の継母である私はきっと気まずく感じていたでしょう。しかし、私はそうではなく、ずっとにこにこしていました。その後、息子はやっと私のことに気付き、挨拶しました。

 自宅に嫁と孫娘が帰ってきました。私は昼食を摂る暇もなく、急いで洗濯をしました。それから、中庭をきれいにして、そして、洗濯した洋服やおしめを一枚、一枚干しました。今年の夏は異常に暑く、全身が汗でびしょびしょになりましたが、しかし、全く大変さを感じませんでした。それは、師父が私を助けてくださっており、私も常人の観念を超越し、さらに、真の大法弟子として、私のなすこと全てが大法弟子としてのイメージを体現し、大法の素晴らしさを実証していることが分かっていたからです。

 夫の先妻は4日後に帰りました。一方で、私は怨む心、安逸心を修めました。この過程で、私はお腹も空かず、疲れも知らず、洗濯をし、師父の説法を聞き、時間があれば正念を発し、煉功し、法を学びました。

 私は11日間そこにいました。毎日、平均して大きなたらいで3回洗濯をして、息子の嫁の下着まで全て洗いました。そして、洗っていない冬物まで、全てを取り出して、洗濯し、干して、畳んで、きちんと整理しました。手も荒れました。私は全く辛いと感じませんでした。代償を払えばその分だけ得るのです。悪いものは、師父がすべて良いものに転化してくださることが分かっていたからです。

 息子は私があまり食べないのを見て、たくさんのお菓子や果物、 干し肉などを買ってきて、食べさせようとしました。また、私のために洋服を買おうとさえしました。息子と嫁は私にとても感謝していたからです。私は「あなたたちの気持ちはいただきました。『法輪大法は素晴らしい』 『真・善・忍は素晴らしい』 『師父は素晴らしい』としっかり覚えてくださいね」と言いました。そして、「ずっとここいることができないことを分かってね。私にはやることがたくさんあります。私がしっかり行えば、皆さんも恩恵を受けます。私は師父が按排された道をしっかり歩まなければなりません」と言いました。息子はとてもよく理解し、支持してくれました。

 私を救い済度してくださり、また、こんなに素晴らしい大法を教え、導いてくださった師父に心から感謝いたします。修煉の中で、うまくいったり、いかなかったりすることがありましたが、ずっと師父に見守られてきた私は楽しくて幸せです。法の中でさらに精進して、師父のご恩に報いたいと思います。

 以上、不適切な所があれば、同修の皆さんの慈悲なるご叱正をお願いします。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『オーストラリア法会での説法』
 [2] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
 [3] 李洪志師父の著作:『ロサンゼルス市法会での説法』
 [4] 李洪志師父の著作:『精進要旨(三)』「シカゴ法会」
 [5] 李洪志師父の著作:『二〇〇五年サンフランシスコ法会での説法』

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2016/10/25/336754.html)
 
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