人間の観念に左右されてはいけない
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 【明慧日本2017年3月9日】旧正月の前に帰省した私は、ある同修の家を訪ねました。同修は「私の今の状態は非常に悪くて目がはっきり見えず、血糖値も高いのです」と言いながら、病院で撮った目の写真を見せてくれました。同修が自分の病状に驚いて、そこから抜け出せないことを見て、私は「今後、このようなものを見ない方がいいです。修煉者には病気がありませんから」と言いました。

 実は、私自身にも深い教訓がありました。数年前のある日の夜中、ベッドにいた私は突然動けなくなり、眩暈がひどくて目を開けることができず、言葉もはっきり言えなくなりました。子供は急いで私を救急センターに運びました。退院の際、医者は診断書に診断結果をいっぱい書き込みました。その後、各種の症状がよく出てくるので、それが大きなストレスになって私に圧し掛かりました。人がいない時、私はこっそりと診断書を取り出して見たりして、見れば見るほど気になってなりませんでした。ある日、私は「修煉者には病気がなく、このすべては自分が求めてきたことだ」と意識しました。私は診断書を捨てて、もう二度と考えないことを決意しました。しかし、それは口で言うほど簡単なことではなく、症状が現れてくると、どうしても病気と結び付けてしまいます。よくない考えが出て来るたびに私は一生懸命に排斥し、以前よりずっと良くなったものの、今でも徹底的に取り除いたとは言えない感じです。

 修煉前の私は病気の問屋で、「風が吹けば倒れる人」と会社の同僚から言われていました。体がよくない私は医学書をよく読みます。出てくる症状を見ればすぐに病名を連想し、すでに観念になってしまいました。大法を修煉してから全身の病気が消えました。しかし、今はそれらの病気の症状が再び現れてきて、それらの観念も一緒に戻ってきました。私はそれらの病気の症状とそれらの観念が互いにつながっていることに気付きました。それらは物質であって生命でもあります。あなたがそれらを認めれば、それらにコントロールされてしまいます。「実のところ、人間は先天の純真さ以外、一切の観念はみな、後天的に形成されたもので、自分ではないのです」「もし、この後天的な観念が強くなってしまうと、この観念が逆に、人間の本当の考えと行いを支配するようになりますが、この時、人はそれを自分の考えだと思ってしまいます。ほぼ、すべての現代人がこのようになっているのです」[1]

 私はそれらの観念が本当の自分ではなく、後天的に形成されたもので、私の肉体を迫害しようとする旧勢力の仕業であることに気付いた後、きれいに取り除くための発正念を行いました。

 近年、わが地区では病業の妨害を受けている年配の同修が多く、肉身を奪われた同修もいました。私の知る限り、彼らの病業に関する認識は曖昧で、人間の思惟や認識、観念から脱皮しておらず、甚だしきに至ってはそれらの観念を自分だと思い込んでいました。彼らの一部は常人の執着や情に惑わされて、心が法や修煉になく、不動産を買ったり、孫の面倒を見たり、子供たちの食事の用意でてんてこ舞いになり、常人生活を本業として修煉を二の次にしました。このすべてが旧勢力の迫害の口実になりました。師父はこうおっしゃっています。「大法弟子はどんなことをしても、法を第一位にしなければなりません。どんなことを扱う時でも、まず法のことを考えなければなりません」[2]

 これらの教訓を思い起こすたびに、私は師父のお話を聞かなかった自分を責めました! 私は多くの年配の同修がこのような状態にいると思います。

 もう一つは、病業の迫害から自力で抜け出せない時、人心や執着が現れて、この時に師と法を信じる度合いが減り、修煉に対する信念も動揺してしまいます。一例ですが、ある同修は「私は堅い信念を持って大法を修煉していて、三つのことも行っていますが、なぜこんなひどい迫害に遭ってしまい、師父はなぜ私のことを気にかけて下さらないのか?」と考えました。実は、このような心にはすでに師と法を責める意味合いが入っていて、とてもよくない心です。あなたは内に向けて探しましたか? あなたは真に師と法を信じましたか? 三つのことを行うことは要求されている基準に達しましたか? 後どれぐらいの距離があって、どれだけの人心と執着、観念を持っていますか? もし私たちが皆しっかりしていれば、旧勢力は迫害できますか? あなたはどれだけの時間において怠惰、麻痺、だらけて精進していませんでしたか?

 師父はこうおっしゃっています。「あなたのどの執着も、あなたの修煉を台無しにしてしまいます。どの執着もあなたの体に異常を来たし、大法に対する確固たる信念を揺るがしてしまいます」[3]

 私自身も精進していなかった教訓を乗り越えました。恐らく他の同修も同じような経験があったと思います。病業による迫害の中にいる同修の皆さん、どうか師父の教戒を謹んで覚えて頂きたいです。「法は一切の執着を打破することができ、一切の邪悪を打破することができ、一切の虚言を排除することができ、法は正念を固めることができるのです」[4] 法をしっかり学び、いつ、どこにいても法に基づき、人間の観念に左右されないようにすれば、病業の迫害は消え去り、修煉環境も根本的に変わります。

 個人的な認識ですが、妥当でない部分があれば同修の慈悲なるご指摘をお願いします。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「誰のために存在するのか」
 [2] 李洪志師父の著作:『各地での説法二』「二〇〇二年ボストン法会での説法」
 [3] 李洪志師父の経文:『二〇一五年米国西部法会での説法』
 [4] 李洪志師父の著作:『精進要旨二』「妨害を排除せよ」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/3/6/343902.html)
 
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