文/中国の大法弟子
【明慧日本2017年2月10日】最近、地元の数人の同修に厳しい病業の仮相が現れました。中には、人身が奪われたケースもあれば、師父のご加持の下、同修によって地獄の入口から戻った人もいて、まだまだ苦難の中で苦しんでいる人もいました。それぞれの状況が違うため、詳述しないことにしますが、以下では自らの魔難に遇った時の経験を話し、同修たちに参考にしていただきたいと思います。不足な所があれば同修からのご指摘をお願いします。
2007年の夏、私はバイクで仕事から帰る時、曲がり角で道端に積み上げてあるレンガにぶつかり、左足がレンガとバイクの間に挟まれました。その衝撃で足に激痛が走りましたが、決して人心が動じてはいけないと思い、幾つかのことをしてからやっと家に帰りました。帰宅して足を見ると、血が絶えず流れ、靴の中は血でびしょびしょになり、足の親指は大きく割れていました。
今までこのようなことに遇ったことがなく、心が多少不安になりました。同修と相談したら、「病院に行って、傷口を縫ってもらい、注射さえしなければいいじゃないですか」とアドバイスをもらって、病院に行きました。医者は傷口を縫ってくれ、破傷風の予防注射をするようにと言いました。私はそれを拒否したため、結局、医者から自己責任の合意書に署名するように求められました。
家に帰った後、これはいったいどういうことだろうかと思い、法を学ぼうと思いました。毎日大量に法を学び、煉功し、正念を発しました。同時に、医者と家族に言われる通り、汗によって傷口が感染しないよう、毎日足を上げ、扇風機で乾かし、足が水に濡れないようにして、食事も、ニラ等を食べないように気をつけました。修煉者としても、人としても自分が完璧にこなしていると思い、すぐに治ると自信満々でした。
数日後、病院で 抜糸して貰った時、包帯を外して見ると、傷口はほとんど腐り、しかも強烈な匂いがしていました。それを見た医者は大変驚き、医者も看護婦も、破傷風予防の注射をしなかったことで私を責め、「このままにすれば、足を切断しなければならない、甚だしきに至っては命が危ない」と厳しく叱りました。それから、医者は処方をして、毎日2回の抗生物質の点滴をとりあえず20日やって見なさいと言われました。私は棒で一撃を加えられたようでした。これはいったいどういうことだろうかと思いました。家に帰ってから、妻に私を同修の家に送ってもらって、心を静めて内に向けて探そうと思いました。
そこで私は毎日大量に法を学び、同時に内に向けて探しました。そして師父の法である「皆さんは人間の状態を変えようとせず、理性からも大法を真に認識するまで昇華しようとしなければ、機会を失うことになります。皆さんは、常人として百年千年来、骨の髄までしみ込むように形成された人間の理を変えなければ、人間としての表面の殻を取り除くことはできず、圓満成就できません。いつもわたしが皆さんのために業を消しているばかりで、皆さんが真に法の上で向上するのではなく、人間の認識、人間の観念から抜け出さないようではいけません」[1]を思い出しました。
私は分かりました。「お腹がすいたら食事をし、眠くなったら睡眠をとり、病気になったら、注射して薬を飲む」と言うのは人間の道理です。私は注射をしませんでしたが、「傷口が濡れてはいけない、汗が出たら感染する」という考えは人間の道理ではないでしょうか。一部の同修のように、病院に行かなくても、食事療法をしているのは、内心はやはり病気と見なしていることと同じではないでしょうか。自分は二股をかけて、片手は人間をつみみ、片手は神をつかんでおり、これでどうして治るだろうか、と思いました。
これらの人心を全部放下しようと決意しました。私はずっと下ろせなかった足を地面に下ろし、包帯を外して、何も起きていなかったかのように歩きました。数日前、シャワーを浴びた時、水に濡れないようにしていましたが、今度、私は思い切って水で足を洗いました。しかし、人間の観念は時にはとても強く、翌日シャワーを浴びる時、また「水に濡れないように」という人心が浮かび上がりました。私は歯を食いしばって、水で足を洗い、このように何度も繰り返して、ようやく恐れる心を無くしました。人間の観念は実に頑固なものでした。
内に向けて探すと、事故を起こした時、色欲の心が動じたことが直接の原因だと分かりました。以前、色欲において大きな過ちを犯したとことがあるため、私は同修の前で、そのことを暴きました。こうして、腐った足の傷口に次第に新しい肉が盛ってきました。しかし、足指は以前より随分大きくなり、大きな傷跡が残り、私に教訓を残してくれました。その後、交流によって、同修も同じように怪我をして、私より随分状況が酷かったのに、彼らはとても正念が強く、人心を動じず、何事も起きていないように行動し、怪我はとても早く治り、傷跡も残らなかっと聞きました。
魔難に遇った時、人心ではなく、大法で修め遂げた正念を持って対応しなければならないことを悟りました。人と神は一念の差で、正念が強ければ強いほど治るのが早いのです。魔難はあなたに向かって来るのです。「静かに思う幾多の執着の事を 人心を片付けば悪は自ずから敗る」[2]と、師父はすでに解決法を私達大法弟子に与えて下さいました。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「警告の言葉」
[2] 李洪志師父の詩:『洪吟二』「哀しむ別れ」