文/四川省の大法弟子が口述し、同修が整理
【明慧日本2016年8月5日】
尊敬する師父、こんにちは!
同修の皆さん、こんにちは!
私は四川省の大法弟子です。字がわからないので、口述したものを同修に頼んでこの交流会に投稿する原稿をまとめてもらいました。それによって大法を実証すると同時に、師父に感謝を申し上げます。修煉の中で私を手助けしてくださった同修にも感謝を申し上げたいと思います。
私は今年80歳です。最初は病気があったために大法の修煉を始めました。その時、肺気腫、胃腸炎、腎盂腎炎、関節炎、鼻炎など、7、8種類の病気を患っていて、1年に3回ほど入院していました。当時、大法の門に入ったのは、大法が私の病気を治せるかどうか、大法に入って試したかったからでした。
1997年3月、同修と一緒に学法し、師父の説法ビデオを見て、法輪功は病気を治すためのものではなく、修煉だということがわかりました。法輪功は自分が以前聞いた事もない奥深い大法でした。学法で私の人生観念が変わりました。最初、体が辛い時にこっそりと薬を飲みたいと思う時もありました。しばらくすると、師父がそばにいらっしゃって見ていらっしゃると思うようになり、薬は飲みませんでした。そして、3カ月が過ぎると、全身の病気がいつの間にかなくなり、薬も飲みたくなくなりました。その時から今までずっと健康で、薬を飲んだ事はありません。たまに病業の関を乗り越えなければならない時もありましたが、師父が私の体を浄化してくださっているのだとわかっていましたので、師父のご恩に本当に感謝いたしました!
大法を学んで、体が良くなったばかりでなく、字もわかるようになりました。学法を始めた時は字がわからなかったので、夫(同修)に字を教えてもらいました。しかし、迫害が始まると夫は修煉しなくなってしまったので、同修に教えてもらいました。わからない字は、同修がメモに書き出し、本の中の、私が知っている同じ発音の字の所に挟んでくれました。今は『轉法輪』をぜんぶ読み通すことができ、他の大法書籍でもごくわずかの字がわからないだけになりました。私は努力して学法し、すぐに『論語』を暗記し、さらに『洪吟』と『洪吟二』なども暗記することができました。
堅く修煉すれば警官は私に対してなすすべがない
10年余りの修煉の中で、中国共産党に2回不当に連行されました。
1回目は、1999年7月23日の朝の事で、私たちはいつもの煉功点で煉功していました。その時、警察は私たちを警察署へ不当に連行し、別々に取り調べを行い、いわゆる「反省書」を書くように要求しました。その時、2人の警官が私を不当に取り調べました。そこで私は「私は字がわからないので、字が書けません」と伝えました。私は何かしらを書かなければならなかったようなので、警官に頼んで「殴り殺されても修煉します」と書いてもらいました。私は警官たちに「もともと私は肺気腫を患っていて、この病気を一体どこの医者が治せるでしょうか? さらに私は多くの病気を患っていました。ですから修煉しなければ私は死んでいました」と伝えました。私が生死を放下したので、警官たちは私を解放するしかありませんでした。師父が私を守ってくださっていたのでした。
2回目は、不当に連行された同修が、警察に私のことをしゃべったからでした。私は再び不当に連行されました。不当に連行される前日、胸騒ぎがして、違和感を感じたので、家の中の大法の資料をすべて持って行ってもらいました。しかしそれでも胸騒ぎがしたので、私は自分に「あなたは『洪吟』や『論語』を覚えられないのですか? あなたは『真・善・忍』を覚えられないのですか? あなたは法の中に飛び込めないんですか? あなたが法と共にあるのであれば、大法の資料がないからといって、誰があなたをこのような状態にできるでしょうか?」と言いました。すると、胸騒ぎは収まりました。そして次の日の朝8時、警察署、公安局、私の職場と夫の職場の人間が来て家を探した後、私を不当に連行しました。しかし、師父が予め按排してくださったので、警官も職場の人間も何も見つけることはできませんでした。
警官たちは私を警察署へ不当に連行し、何人もの警官が私を囲み、不当な取り調べを行いました。その間、私はずっと正念を発していました。警官たちが私に「修煉を止める」と書かせようとしてので、私が「私は字が書けません」と言うと、警官たちは私に「修煉を止める」と言わせようとしたので、私は「私はペテン師ではないし、こそどろでもありません。もしペテン師なら、あなたたちに『修煉を止めます』と言っておいて、家に帰ったら修煉すると思いませんか? もしこそどろなら、夜にこっそり修煉すると思いませんか? 人に向かって、悪人になれ、という人がどこにいますか? あなたたちは政治を行っているのかもしれませんが、私は政治には加担しません。私たちは佛を修め道を修めていますので、政治に介入しません。こういうことですから、あなたたちは私が佛を修めることに同意するのですか? しないのですか?」と言いました。
すると今度は警官たちは「他の2人の同修のことを知っているか?」と聞いてきたので、警官たちは2人の同修を捕まえたいのだ、ということがわかりました。そこで私は「彼らは男性ですか、女性ですか? どういう特徴の人ですか?」と言いました。すると警官たちは逆にあれこれと尋ねて来たので、私は警官たちを無視してひたすら正念を発しました。結局、警官たちは笑いながら自問自答し始めました。
11時過ぎごろ、結局、警官たちは何もできなかったので、私を解放するしかありませんでした。警官たちは「あなたが『修煉を止める』と言わなかったので、私たちはまたあなたに会いに行かなければならない」と言いました。私は警官たちを怖いとは思わなかったので「どうぞ来てください!」と言いました。その後、警官たちは本当に私を妨害しに来たので、私の家で警官たちに面と向かって法輪功が不法に迫害されている真相を伝え、警官たちの事務所まで行って真相を伝えました。すると、警官たちは私を妨害しに来なくなりました。
中国共産党の書記は私から真相を聞いた後、返す言葉がなくなった
はっきりと覚えているのですが、公安局の書記が私を嫌がらせに来たので、私は「私たちはこんなに良い人間なのに、どうしてあなたたちは私たちを苦しめるのですか? 私たち修煉者が素晴らしいのは、トラブルに遭った時は原因を自分に探し、売春や賭け事をせず、汚職や窃盗行為を行わず、たばこも吸わなければ酒も飲まず・・・」と言いました。すると書記は「やはり私も煙草も吸わなければ酒も飲まない」と言いました。そこで私は「たばこも酒もやらなくてもあなたは私たちにつらく当たりますが、私たちの師父は『做して求めざれば 常に道中に居る』[1]と教えてくださいました」と言いました。すると書記は何も言わなくなってしまいました。
さらに私は「あなたも私も心の中で善行を積み上げ、それでもわいせつな書物や汚職は叩けば叩くほど氾濫していますが、今の社会がどのようであろうと『真・善・忍』は何も間違ってはいないのではないでしょうか? 中国共産党は私たちが耐えられなくなるまで苦しめようとしています。しかしそれでも大法弟子は街中を歩き回り、生死の危険も顧みず真相を伝え、良いことと悪いこと、善と悪の区別をつけるよう人々に勧め、将来淘汰されないようにしようとしています。私たちは一心にあなたたちのためを思っているのに、あなたたちはいつも私たちに対してめんどうを引き起こそうとする・・・」と言いました。実際、私は教養がなく、これらの言葉はみな『明慧週刊』や各種の真相資料、善を勧める手紙などで見たものを暗記したものだったのです。書記は私の話を聞くと何も言えなくなり、ただ「おばあさん、早く帰って飯を炊きなさい」とだけ言いました。明慧ネットで発表された資料の中で、真相を伝える多くの内容を学んだので、明慧ネットに投稿した同修に感謝しなければなりませんでした。
師父が病業の関を越えるのを手伝ってくださり人々に衝撃を与えた
私は重い病業の関を乗り越えた経験があります。
2001年の6月から7月にかけて、突然、重い病業の情況が現れました。吐血し、うみが出て、それが1カ月近く続きました。さらに1週間ほどご飯が食べられず、咳をした時は両方の肺を刃物で切られたような痛さでした。家族はおびえたような顔をしていました。娘が私を病院に運び込もうとしましたが私は同意しませんでした。また、家族が家に医者を呼んで点滴させようとしましたが、それにも同意しませんでした。夫は、私が家で死ぬことによって悪い影響を受ける(夫は職場では中国共産党の書記をしている)ことを恐れ、職場の局長と事務所の主任などを呼んで私を病院に運び込もうとしました。私は「私は行かない、死んでも構わない、私は死を恐れない」と思いました。そこで私は家族と夫の職場の人たちに「病院へ行かない」と伝えました。
その後、よく考えてみたのですが、私が死ぬことへの影響は大きく、もし私が死んだら、大法を破壊することになってしまうのではないかと思いました。「師父、私は法を破壊する鬼になるわけにはいきません」と師父にお願いしました。すると、3日もしないうちによくなり、しかも顔色もとても良くなりました。そして、体が良くなったのを機に、いろいろなところへ行って真相を伝えました。職場の人や隣人、知り合いは皆驚き、どうして私がこんなに早く良くなったのか、信じられませんでした。多くの人が驚き「大法は本当に素晴らしい」と言って真相を受け入れました。これはみな、師父がなさったことでした!
真相を理解した人々が私が真相を伝えるのを手伝った
真相を伝えた中でのある出来事については忘れられません。
2002年に夫が入院したので、私が夫の看病をしました。いつも歩きながら真相を伝え、どこに行くにしても、いつも真相を伝えていました。
ある時、夫が物理療法の治療を始めました。いつも病院内には10~20人の病人がいました。数日前、病院に行った時、私は病人たちにずっと真相を伝え、多くの人が真相を理解しました。その時、正午に近かったので、法を実証しなければならないと思い「私は煉功しなければなりません」と医者に言いました。医者は同意しました。そこで私は座禅を組み、立掌して正念を発しました。
私が正念を発していた時に、病院に1人の病人がやって来ました。男性の病人で、まだ真相を伝えていない人でした。その男性は隣の病人に「彼女は何をしているんですか?」と聞きました。すると他の病人がその男性に「彼女は煉功しているのだ」と伝えました。「彼女は何を煉功しているのですか?」「法輪功です。」「法輪功を煉功しているだって? 政府は法輪功を禁止しているはずだ!」すると、また別の女性の病人がすぐに「なぜ彼女が煉功せずに済むでしょうか? あなたの周りを見てください、彼女より健康な人がどこにいますか? 彼女は法輪功を学んでいるから健康なんですよ! 見てみなさい、彼女はもうすぐ80歳なのに、60過ぎにしか見えないでしょう?」と答えました。すると、その男性はすぐに何も言わなくなってしまいました。
夫が入院するために病院に行った時、私も夫について行きました。その時、夫は私に「あなたはお金のかからない食事を食べたいのか、あなたはお金のかからない部屋に住みたいのか? たくさん人がいる所で法輪功を宣伝したいだけなんだろう?」と言いました。そこで私は「私が必要ないなら帰りますよ、あなたに迷惑はかけませんから」と言いました。私が帰ってしまうと、誰も夫の面倒を見る人がいなくなってしまうので、夫は私が帰ってしまうことには同意しませんでした。
夫の病室では、以前真相を伝えたことによって法輪大法に触れた同修の夫婦がいたのですが、迫害により修煉しなくなったので入院することになったのでした。ここで私と会ったことによって、その夫婦は再び大法書籍と資料を手に取り、再び修煉の道に入りました。これらはすべて師父の慈悲なる按排であり、師父は一人の弟子をも見捨てることはなさらないのです。
自分に必要なので資料を作る
真相を伝えるためにはDVDやパンフレットが必要なのですが、いつも思うように資料を入手できませんでした。入手できたとしても時間的に間に合わなかったり、あるいはまったく手に入らなかったり、あるいは質の問題があったりしました。質の問題というのは例えば『共産党についての九つの論評』のDVDの場合でいえば、DVDが一式揃っていない事もあったのです。そこで2004年、私と同修は自分で資料を作ろうと考えました。さらにこの考えは「至る所に花を咲かせる」という師父の要求にもかなっていました。
しかし、私たちに教えてくれる人は誰もいませんでした。それでも私たちは待ちきれなかったので、2007年、真相を知ってはいたが当時まだ大法を修煉し始めていなかった(今はもう修煉している)知り合いに資料の作り方を教わりました。そしてついに、技術系の同修と連絡を取り、インターネット、ダウンロード、プリントを少しづつマスターし、チラシ、パンフレットやカードなどの作り方をマスターしていきました。私は年を取っているうえに教養がなかったので、まったくパソコンを触ったことがない段階から資料を作るための基本操作をマスターするまで、その技術系の同修がどれほどの苦労をしたかは推して知るべしでした。
現在、私たちの所で咲いた小さい花は静かに咲き続けて既に数年が立ちました。私たちに協力してくれた技術系の同修に、ここで特別の感謝の意を表したいと思います。
生生世世法の為に生きる
長年真相を伝える中で、一つの習慣が形作られました。それは「毎日、まず三つのことを考え、次に家庭生活の事を考える」ということでした。出かける時はいつでも真相資料を持って行き、どこに行っても真相を伝え、真相を伝えないと気持ちがつらくなりました。私は統計を取っていなかったので、自分が三退させた人が何人いるのかわかりませんでしたが、これは重要ではありませんでした。
私は同修に声をかけて真相を伝えに行き、大法と関係あることであれば、いつでもできるだけ協力し、円融しました。
大法弟子は師が法を正すことを手伝うために生まれてきたのですから、生生世世法の為に生きているのです。もしも三つのことをしっかり行うことに打ち込まないのであれば、生命に実質的な意義はなくなります。またそうであれば、師父に大変申し訳ないことになります。
昨年の5月のある日、同修に頼まれて、師父へあげるための線香を20箱買い、十字路まで歩いて来た時、信号が青に変わったので通りを渡り始めたら、突然マイクロバスがものすごい勢いで突っ込んできました。私は反応できずに地面に倒れ、線香も数メートル先まで飛んで行ってしまいました。その時、私は地面に倒れたまま身動きがとれず、周りにいた人たちが「信号無視をするべきではない」と運転手を責め立てました。運転者はひどくびっくりし、私を支えながら何度も謝罪の言葉を口にしました。そこで私はすぐに運転手に「心配しないで、大丈夫ですから、私は法輪大法を修煉していますので、あなたに面倒を掛けません」と伝えました。その後、運転手にバス停までマイクロバスに乗せていって貰うようお願いしました。運転手がマイクロバスを運転している間、運転手に真相を伝えると、運転手は三退し、真相資料を渡すと全部受け取り、感謝の言葉を何回も繰り返し口にしました。これは命を取りに来たのだ、と私にはわかり、師父の法身がまた私を守ってくださったのだとわかりましたので、弟子は師父に感謝申し上げました。
修煉の中で、私も多くの魔難に遭いました。夫もなくなりました。娘が不動産売買の請負をやりたい、というので私は制止したのですが、娘は聞く耳を持たず、最後には失敗しました(今の家庭環境は正常に戻りました)。同修に「たばこを吸ってはいけない」と説得しようとしましたが、理解してくれませんでした。また、協調をはかっている同修が偏った判断をしていたために、私に対する大きな誤解を招いた事などの魔難に遭いました。時には自分の心の中に恨みがあることもありました! 師父は「絶えず執着心を取り除くことこそ人間の修煉の過程のすべてです」[2]と説かれました。私は返本帰真の道を歩む大法弟子ですから、人心を求めるわけにはいきません。人間と神の念は紙一重です! ですから、よくない心を排除し、大法弟子が持つべき寛容、慈悲、大善大忍の心を修煉し、三つのことをしっかり行い、いつの日か師父にお目にかかった時に、後悔で涙を流さないようにしたいと思います。
注:
[1] 李洪志師父の詩『洪吟』「道の中」
[2] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
(明慧ネット第12回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)