文/黒龍省の大法弟子 静怡
【明慧日本2016年12月13日】修煉する前、私は体が弱く、いろいろなことを気にし過ぎて、人を許すことができず、平凡な人間なのに傲慢な性格でしたので、当時の生活のプレッシャーと重苦しさは想像が付きます。1997年10月、偶然に法輪大法の修煉を始めました。私は師父のおっしゃる通りを自分に要求し、何があっても内から探し、師父を信じ大法を信じ、だんだんと変わり、生活の楽しさが実感でき、日々幸せを感じていました。
師父を信じて病業を乗り切り、体がますます健康に
1997年に修煉を始めて以来、病業の形で師父に数えきれないほど身体を浄化していただきました。多かれ少なかれ、それらは常人の病気の形で現れましたが、修煉の初期にはっきり認識できず、常人の病気だと思って対応した以外は、十数年間、常に「師父が私の体を浄化してくださっているので、良いことだ。師父の按排以外は一切いらない」と思っていました。そう考えて、その通りにすれば、いつも勢いが強かった病業はすぐに去って行きました。仕事や勉強を休んだことがなく、いつも休みの日、あるいは1人で家にいる時に現れると気付きました。
先週日曜日の朝食後、突然頭が重くて、最初は乗り物酔いのような感じで、全身の調子が悪く、少し横になれば、良くなると思いました。しかし、10分後に気持ちが悪いと目が覚めて、トイレに行ったら、物凄い勢いで吐いたり、下痢したりして、胃から腸まで3秒毎に激痛があり、便座に座りながら、足がベンチを踏んでいました(胃と腸の激痛で体があがらず、ちりちりに縮んでいた)。目の前にボールを置き、激痛の後また下痢をして吐き、人生ではじめて滝のように汗が流れました。私は心の中でずっと「師父が按排してくださることは受けますが、それ以外は一切いりません」と言っていました。
ある時、失神するほどの痛みを感じて、我慢できず、心の中で「師父、もう限界です」と言いました。今考えれば師父に申し訳なかったと思います。私が我慢できなかった部分を師父が替わりに負担してくださったのではないでしょうか。1時間以上トイレにいましたが、戻って来て昏睡し、また数回下痢と吐きを繰り返し、痛みは全然止まりませんでした。午後になったら少し良くなり、4時過ぎに、全身の痛みと胃腸の痛みに変わりました。
夜は早めに休みました。翌朝アラームが鳴ると痛みが消えて、通常通りに煉功し仕事に行きました。一日中あまり食欲がなく、あまり動きたくなかった以外に、他の反応はありませんでした。3日目に通常通り食欲が戻りました。もし常人の病気なら、ここまでひどければ、こんなに早くは治らなかったでしょう。
法の中で修煉し、師父が智慧を開いてくださった
私は正式な大学に入れず、自修の短大に進学し、その後大学に進学しました。結婚後、安定した仕事ができるように、大学院に進学したいと思いました。その時身内にからかわれ、私は受からないと思われました。その年は全国の大学院受験のピークでしたので、親戚の某某が大学の時にあんなに優秀だったのに、受からなかったよと言われました。
当時、1999年は全国で法輪功が弾圧され迫害されました。私は受験勉強をしながら、厳しい環境のなかで是非を判断し、師父と大法を疑ったことはありませんでした。受験の直前にも、政治の問題について、私は大法を汚辱する内容を覚えず、もし試験で本当にこのような内容が出たら、私は答えないと決めました。師父は私の心は法に従っていると見られ、智慧を開いてくださったので、試験はとても順調でした。試験に大法を汚辱する問題も出ませんでした。最後に、私は受験生の中で3位という優秀な成績で大学院に合格しました。その後、私はまた博士課程にも受かり、その間毎日午前中に学法と煉功を続けましたので、午後に論文を書く時に頭がすっきりし、結果的に私は3年で卒業し、優秀博士論文を獲得しました。
師父の教えに従い、内から探し法をもとに判断する
卒業後、私は高校で働きました。職場は明らかに学校のような単純な環境ではなく、いろいろな人と出会い、いろいろな事がおこり、いつも私を悩ませました。しかし、私は法で判断し、師父の話に従い、内から探しました。このことを言うのは簡単ですが、実行するのは非常に難しかったです。常に不満、悔しさ、怒り等の気持ちを抑えていました。法に従うか、自分の気持ちに従うかの戦いの時に、私は自分の怒りを強く抑えて、自分にこのように言いました:
——大法弟子ではないですか? 師父の話を聞きたくないのですか?
——はい! 聞きます!
——それなら、法の要求に従いなさい! 師父の要求に従いなさい!
そして、私は大法の要求通りに従うと自分に強制しました。「自分の意思に反して納得しない」かのように見えましたが、師父のおっしゃる通りに従う度に、転機が現れ、全て順調になりました。さらにありがたいことは、自分の心がもっと広くなったようで、他人の気持ちが理解でき、気持ちがさらに穏やかになりました。
就職したばかりの時、私はただ普通の教師でしたが、いつも大法に従い仕事をしていたので、校長先生に注目され、役職がどんどん上がりました。昇進する度に私は法で悟り、役職の変更を常人の昇進と思わず、私は今の環境での修煉ができたので、師父が環境を変えてくださったと思っていました。環境が変わる度に、接触する人も仕事も変わり、ますます複雑になりました。
最初のころ、教員室にいた2人の年上の先生は、やり辛い仕事を全て私のところへ廻しました。私は法で自分を要求し、毎日出勤する時に、自分に「今日も大法弟子らしく、頑張りましょう!」と言っていました。これにより、彼らは少しずつ私に優しくしてくれました。
そして、また役職が上がり、私は副主任になりました。毎日各教員室と私の上司に対応していましたが、実質的に人を管理する力はありませんでした。私は自分の立場を理解し、師父の法を思いながら、「これは名利心と嫉妬心を取り除く良い機会だ」と自分に言いました。納得できないときは、自分はまだ修めなければならないところがあるのだと思いました。私は文句を言わず、この役職で4年間働きました。4年間、私が勤勉に働いたことを学校の上司に注目され、2014年、私は分院院長の役職を任され、分院の責任者になりました。全分院の学生及び教師、全学校の各部門及び学校の上の人達と付き合うとき、いろいろな面で私が自ら協調、管理をしなければなりませんでした。当時の分院は業績の不振、人心は閑散として、風紀は乱れていました。私はどこから手を付ければよいか分かりませんでした。
学法中に私は、師父が私にこのような環境で修煉させたいのだと分かりました。私は自分に、「物事は全て法で判断しなければならない」と言っていました。私は仕事のやり方は師父の真似をしていました。いつも仕事が終わって帰宅したら、私は独り言で師父に、「師父、私は諦めたいです、もう責任者から降りたいです」と言うと、すぐにそれは違うと認識し、また師父に「師父、私は困難を恐れてはいけません。それは大法弟子らしくないです。師父がいらっしゃるので、私は頑張ります」と言いました。不思議なことに、仕事中に師父がいつも私に智慧を与えてくださり、すでに2年が経ちましたので、私は分院をしっかりと管理でき、本校に認めてもらい、しかも教員と学生が表彰される実績も続々出て来ました。
私個人の智慧と能力でここまではできないと分かっていました。師父にずっと私を見守っていただいています。私は気持ちも、意識も法に従い、正しく行動すれば、師父に智慧を与えていただき、困難を排除していただけます。私の考えが不足の時、いつも偶然のように誰かに注意を与えられ、あるいは誰かが偶然に言ったことが私に聞こえたので、過ちを避け0ることができました。
十数年の修煉の中で、法に従い自分を要求し、師父の言うことを聞くとき、失うのは心身の中の悪いことで、得たものは大きい度量と快楽な気持ちと日々の幸せな感覚でした。
以上は個人的な体験であり、不適切なところは同修の皆さんのご指摘をお願いします。