文/中国の大法弟子
【明慧日本2017年7月29日】師父は私達に「未来恒久の圓容は皆さんの栄光と共に存在するのです」[1]と教えてくださいました。私達が最後に絶対の純粋さに至ってこそ、未来の宇宙は恒久の圓容を保つと私は悟りました。
師父はまた「ところが、あなたが修煉するとなれば、彼らは承知しません。『お前が修煉すると、お前は行ってしまい、しかも功が伸びるのだから、こっちは手が届かなくなり、お前をつかまえられなくなる』と、承知しません。あらゆる手段を考えてあなたを妨害します。修煉させないようにいろんな手を尽くして妨害し、あなたを本当に殺しに来ることさえありえます」[2]とも説かれました。
同修のみなさんは中国共産党の迫害に直面して、身体に現れた不正常な状態は邪悪が百方手を尽くして私達の修煉を妨げる現れであると知っています。最近私は非常に邪悪で、不明瞭な、しかし非常に深刻な迫害を体験しました。茹でガエルのように、修煉者を台無しにさせますが、あなたは気づきません。周りの同修をみると多くが似たような状態に陥っていますので、この体験をアドバイスします。
私は現地の協調人の1人です。とっくに生死を放下し、正々堂々と師を助けて法を正し、たくさんの修煉の物語を創りました。協調の仕事をするため、多くの異なるプロジェクトにおいて、異なる同修の協力が必要であり、男女の同修間の協力も少なくありません。私は修煉の厳粛さを深く知っているため、自分の言動に充分気をつけていました。しかし、その中に一つ非常に強い人心がありました。それは技術を持つ同修を鑑賞することです。彼らが法を実証するプロジェクトに便宜を与えたことに私は感激していました。男性の同修に対するこのような心が邪悪に隙に乗じられてしまいました。
修煉の過程において、修煉者は師を助けて法を正し、衆生を救い済度するなかで絶えず境地を昇華するよう要求されます。そうするには法理の指導が必要になります。しかし、最近私は忙しく心性を修めること、心を静めて学法することを忘れてはいませんが、常に法理が見えず、まるで自分が見えない網に覆われている感じでした。十数年間一緒に協力し合ってきた同修にも会いたくなくなり、よく知らない感じがしました。何回か彼女の無為の言動に刺激され、私は彼女は間違ってない、ただ彼女があまりにも優秀だから、私は彼女と距離を置くべきだと思いました。自分自身でもこのような思惟は可笑しい(実際、この思惟はすべて邪悪がむりやり私に押し付けたものです。彼女が私のことをあまりにもよく知っていて、私に対する邪悪な按排を見抜くことができるからです)と感じました。
ストーリーはこうして始まりました。昨年末1人の同修が強制連行されました。同修を救援するなか、絶えず彼の家族と会うために、家族を良く知っている同修にも参加してもらいました。彼らはみな99年以後、酷く迫害された同修で、長年刑務所に監禁されましたが、相次いで戻ってきました。しかしずっと自由な環境で修煉していた同修と比べると、しっかり修煉する面において差異がありました。その中の1人の男性同修は救援に参加するなかで自分の昇華を明らかに感じ、喜びと人情が混じって、私に対して依頼心が生じ、常に修煉と生活の中の嬉しいこと、悩み事を私に告げました。そして私の身辺にいてこそ向上できると強調しました。私が男女には区別がある、私達の修煉の道は師父が按排され、みな自分の特徴を利用して師を助けて法を正すだけだと指摘した時、彼は精神的に打撃を受けたらしく、修め続けられないような様子でした。
このような状態は非常に長い間続きました。私は本当に互いの関係をどう扱えばよいか分からなくなりました。もし彼が私のせいで修煉し続けられなくなったら、私は罪を犯したことになるから、彼に協力すべきだと何回も思いました。彼はたくさんの常人の技能を持っていて、人を救う多くのプロジェクトに便宜を与えることができます。しかし私は少し彼を怖がってもいました。どうして彼を怖がるのでしょうか。彼が男性だからです。常に耳元でお世辞を言い、時間が長くなると私の人心を引き起こすかもしれないからです。なんと言っても人間が修めているのです。しかし、却って自分がやはりしっかり修めていないとも思いました。私はこの過程において更に自分を純粋にさせ、彼の言動に影響されず、主意識が更に強くなれば、彼の修煉にも助けになると思いました。理由は充分でしたが、やはり不安を感じましたので、ほかの同修を訪れて口実を見つけようとしました。ほかの同修も私の話を聞くと、私の認識が正しいと言ってくれました。
しかし、本当に正しいでしょうか。昨日私と長い間協力し合っていた同修に会った時、彼女はずばりと問題の深刻さを指摘してくれました。「あなたのこのやり方は同修に害を与えています、時間が長くなるとあなたに対する彼の情を強くさせ、あなた自身もきれいでなくなります」と。私は突然目覚めました。自分を正視し、どうしてこのようなトラブルが現れたのか、そもそも私は彼の技能に非常に満足していて、かつお世辞の言葉を聞きたがっていました。これは私の生命の弱点です。邪悪は私の弱点を掴んで法を正す最後の時期に私にトラブルを造りました。私も自分が少しずつ彼に関心を寄せはじめ、少しずつ情が強くなることに気づきました。しかし、常に人心のため理由を見つけ、危険を潜伏させていました。邪悪は私の人心が少しずつ大きくなるのを待っていました。知らないうちに、取り除かれていない人心があったため、私はすでに邪悪の網のなかに入っていました。まずは法理が見えませんでした。それから、長い間協力し合っていた同修から離れていこうとしました。魔は彼女が私のことをよく知っていることを分かっていました。その次に、男性の同修は明慧ネットで人を救う技術を学び私に教えてくれたので、頻繁に接触していました。
我に戻ってから問題の厳しさが見え、一晩中眠れませんでした。ズバリと指摘してくれた同修の言葉は、師父が私を目覚めさせる苦心の按排でした。私は腐敗物を取り除くことを決心しました。「執着が一つも漏れることなく修め」[3]、自分とその同修との関係を正しく扱い、歴史上の因縁を善解しました。本当に「念を正しくすれば悪はじぐに崩る」[4]でした。この数日間その同修は私と再び連絡を取らず、実際私を離れると修煉できないわけではありません。私の空間場も非常に清く、明るくなりました。
ここで長期にわたり男女間で協力し合っている同修にアドバイスします。絶対に純粋な場合を除いて、自分に潜んでいる人心を見つけて、それを掘り出し、修煉の最後に自分に不要なトラブルをもたらさないようにしましょう。
個人の浅はかな認識であり、足りないところについてはご指摘願います。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『精進要旨三』「〇四年元旦 大法弟子への挨拶」
[2] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
[3] 李洪志師父の経文:『二〇一〇年ニューヨーク法会での説法』
[4] 李洪志師父の詩:『洪吟二』「何を恐れる」