文/海外の大法弟子
【明慧日本2016年5月30日】今回の2016年ニューヨーク法会での師父の説法は、これまでよりさらに厳粛でした。師父が私たち大法弟子の誓約を達成しない問題に言及された時、私の気持ちはとても重くなり、どうすればよいか分かりませんでした。
師父は説法されながら、たえず私の業力を消去してくださいました。説法の中で師父は何回も大法弟子の責任について説かれました。その時、私は突然、一気に地面から上昇し、棒の形の法器を手にして、他の空間におり、翼のある原始の神と一つになったのが見えました。師父の説法を聞いて、私は「責任」の一層の法理を悟ることができ、心性が高まったのか、自分の神の一面が復活したのではないかと思いました。
これまでを振り返ってみると、「師父が法を正すことを手伝い、衆生を救い済度する」という言葉を毎日口にしてきましたが、現実になると、やはり個人の生活と法を正す時期の修煉との関係に正しく対処できませんでした。神韻活動の期間中は、一生懸命にやりますが、その時期を過ぎれば、また個人の生活のために忙しくなってしまいました。さらには、ふたたび神韻を広める時期になっても、個人の生活を解決しなければ、どのように師父が法を正すことを手伝うのかと思いました。そして、このような不安定な数年が経って、自分は一体何をすべきなのかについても、はっきりした認識がありませんでした。
一回一回の機会はすべて、師父が巨大な代価を支払って与えてくださったのに、私は安逸心から、よく行うことができませんでした。
また、同修とのトラブルの中で、同修のどうこうを見ないで、大法と衆生を救い済度することを第一義にすべきだと分かっていましたが、同修への恨みを放下できませんでした。今回の法会で、師父はある弟子はいつも人心で対処しており、大法と衆生を救い済度することを第一義にしていないと説法された時、この数年、自分が神韻のプロジェクトから排斥された原因がやっと分かりました。
私がこの世に来た目的は、人の世のいかなるもののためではなく、法を実証し、末劫の衆生を救うためであると今やっとはっきり分かりました。それは私の誓約でもあり、責任でもあります。これからはより一層自分をよく修め、妨害を排除し、衆生を救い済度し、プロジェクトにこだわらず、自分と師父との先史の誓約を果たしたいと思います。