観念を変え、出発点を正し、巨大な変化をもたらす
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 明慧日本2017年7月14日】修煉の中で最も苦悩することはずっと修めているのに、自分がやはり私心の強い生命であることに気付いた時です。努力してこの私心を、この自我を取り除こうとしてもあまりにも難しいのです。自分の考えを念入りにみてみると、普段発した考えはすべて私がこうしたい、ああしたいということであり、たとえ三つのことをする時でも私から始まるのです

 一度明慧ネットに掲載された交流文章を読みました。作者の同修は修煉において初志貫徹して、修煉の中で自分に対して常に新しい要求を提出し、ゼロから始めました。それを読み、私はふっと思いつきました。私心の強い私をゼロにし、今日から自分は人のための生命になる、たとえやり遂げられなくても、自分を新しい宇宙で人のための境地で生まれたばかりの赤ちゃんとみなし、人のための境地の中で学び、成長していくことはできないだろうか。私は自分を他人のための生命というポジションに置く勇気がなく、自分のためという出発点から人のために修めようと苦労しましたが、どうしても基準を満たすことができないと感じました。今日私は自分の以前の観念から抜け出し、直接人のためという出発点に立ち、自分が全うできるかどうか恐れません。なぜなら何と言っても私は人のための境地の中で成長しており、たとえ転んでも、この境地の中で成長している過程だからです。

 この一念が生じてから、私の修煉状態に巨大な変化が発生しました。人や事物を見通す力が完全に変わりました。意識的に自分の考えを変えることもなく、意識的に何かを修めるのではなく、自然にそのような状態になりました。

 集団学法グループに年配の同修がいました。みなが順番で読む時、彼女は自分の番の時もそうでないときも読み、しかも読んでいる同修と同じスピードではないので、みなの学法の邪魔になっていました。みな彼女を非常に嫌がり、私も以前嫌がって、彼女が読むのをやめさせたりしました。しかし、私が観念を変えた翌日に学法する時、突然彼女は人が法を読む声が聞こえず、みなの学法の進捗に追いつかないことを恐れて、ほかの同修と一緒に読まないと、どこまで読んだかわからないと感じ取りました。

 彼女はこうして自分の困難を克服しました。彼女は学法の日になると朝食を持参し、私がまだ起きていない時間に訪れ、まだ顔も洗っていない私は乱れ髪の姿で彼女に会わなければならず、困り果てました。彼女が朝食を食べる面倒を見てあげた後、彼女は勝手に私のベッドに上がって寝ました。私は心の中で彼女は人のために考えることがまったくできないと思っていましたが、いま逆に彼女が非常に可愛いと思うようになりました。彼女の家は学法の場所から遠く離れているから、遅刻することを恐れて、なるべく早くきて学法するのを待っているのです。この学法したい心はいかに純粋で貴いことでしょう。

 彼女は自分を修めることを知らず、身体の老化が進んでいました。同修として、私は純粋な心で彼女を助けるべきではないでしょうか。それから、同修はみな彼女に対する私の忍耐が強くなったと言いました。私はなるべく彼女が受け入れられるいろんな方法で彼女に自分の問題を認識させました。いま彼女はいかに着実に修めるかわかり、自我の誤った認識から抜け出しています。彼女は修煉して心性が向上してもたらされた楽しみを味わい、ずっと私に感謝し、私が師父に按排されて彼女を助けていると言いました。

 私も非常に不思議に感じました。以前のように苦しみながら修めず、意識的にやっていないのにこれほど自然に人の難しさを理解でき、人を助けられるようになりました。例えば、お茶がいっぱい入っているコップがあるとします。それを手に持ちさえすればすぐ飲めます。以前はいかに水を注ぐか、どんなお茶の葉を入れるか、どの器に水を入れるかなどなど考えて、結局できあがったのは求めていたお茶の味ではなかったのかもしれません。

 同時に数年間私を困らせた身体の問題も解決されました。冥々の中、私は一つの啓発を受けました。二式目の功法の時間を延長するということでした。時間を延長してやってみると、直ちに予想しなかったよい効果が現れ、身体の問題が解決されたばかりでなく、睡眠時間も非常に短くなり、昼休みを取らなくても一日中力がみなぎり、発正念の威力も強大になり、まるで並外れた佛法神通を煉りだしたようで、長時間発正念しても注意力が分散することなく、巨大なエネルギーに包まれて一層ずつ邪悪を除去して、一つまた一つの空間場の中で悪くなった生命と物質を根絶した後、赤い光、或いは金色の光が現れて天まで届き、非常に壮観でした。

 『轉法輪』のなかで師父は「心性が向上すれば、他のものも同時に向上します」[1]と説かれています。私は自分が一気に全体的に昇華する状態に入ったと感じました。

 観念を変え、出発点を正しくする、この一念が天地をひっくり返すような変化をもたらしました。自分でも予想できませんでした。もしかして師父はとっくに私達の心性が向上したら、素速く上へ押し上げ、それによって私達が法を正す修煉の中で、さらに大きな作用を発揮できることを望んでおられたかもしれません。

 僅かな体験ですが、同修と分かち合いたくて書きました。不適切なところについては慈悲なるご指摘をお願いします。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/7/11/350877.html)
 
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