同修と協力し、行うべきことをしっかり行う
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文╱中国の大法弟子

 【明慧日本2017年4月13日】私は1996年に大法の修煉を始めました。この20年間、あまりにも多くの試練を乗り越えて来ました。ここでは同修と協力する中で内に向けて探し、皆と力を合わせて大法弟子が行うべき事をしっかり行った事について、師父と同修たちにご報告したいと思います。

 2003年の頃、私はパソコンを習い始め、家でも練習ができるよう、ノートパソコンを買おうと思いました。しかし、同修から、ある資料拠点で大型複写機が必要で、資金がないため、そのお金を先に貸してもらえないかと頼まれました。私は少し困りました。我家は決して裕福ではなく、子供もまだ中学生でちょうどお金がかかる時期で、手元にあるお金は、長い間、生活を切り詰めてやっと貯めてきたものでした。当時、職場では社員がパソコンを習得するように要求され、私もできるだけ早くパソコンをマスターしたく、そうすれば大法のサイトにアクセスできるからと思いました。ノートパソコンは便利でどこでも練習が出来、いつでも人に教えてもらえるからノートパソコンを持つことをとても楽しみにしていました。しかし、資料拠点が複写機を大至急必要としており、真相を伝え、衆生を救うことの方がもっと大事だと思いました。そこで、私は手元にある1万元を全部同修に渡し、大型複写機の購入に回しました。師父からいただいたこの向上の機会を、大事にしなければならないと思いました!

 この資料拠点はもともとAさん、Bさんがやっていました。その後、Cさんと私も加わり、4人で協力するようになりました。安全のため、私達はそれぞれ仕事を分担し、それぞれの仕事が終わればすぐにその場を離れ、4人が同時に資料拠点に集まらないようにしました。私達は自分の担当を全力で行い快く協力し、十数カ所の学法グループの100人以上の同修に必要な『明慧週刊』や配布する定期刊行物、師父の『轉法輪』および発表された新しい経文等を提供しました。そして、『共産党についての九つの論』、『党文化を解体する』などの本もたくさん制作し、すべてとても順調に行って来ました。

 しかし、2006年3月、私達の地域で7、8人の同修が連行される事件が起き、その中に、Bさんの家族もいました。その為、Bさんはしばらく資料拠点に来られなくなり、それを知ったCさんも心配し始めました。資料拠点では大量の紙が必要で、安全のため、私達は紙を資料拠点に置かないように決め、Cさんは自ら紙を自分の家の車庫に入れるように提案しました。しかし、ある日、彼女は泣きそうな声で電話をかけてきました。彼女は夫に「早く紙の入った箱を外に運び出せ!」と怒鳴られたそうです。なぜこんな事になったのか、きっと自分に何か問題があるのではないかと私はまず内に向けて探しました。紙の購入を担当するのは私です。しかし、時間と資金を節約するため私はいつもタクシーを頼んで、毎回十数箱の紙を買ってきて、直接Cさんの家の車庫に入れるようにしていました。Cさんの夫は修煉者ではないため、いろいろ嫌な思いをしたのも当然のことでしょう。

 修煉者として、他人のために考えなければならず、そして、無私無我で、他人を先に、自分を後にする正覚にまで修め遂げなければならないと思うと、私はすぐに「私が悪かった、あなたを困らせてごめんなさい。今夜、タクシーを頼んで紙を全部うちのもう一軒の家に運ぶから」とCさんに返事しました。もう一軒の家は20キロも離れた所にありますが、しかし、同修に家庭環境をしっかり保たせ、そして、家族に心配をかけないよう、同修に良好の修煉環境を維持させならないと思い、その日の夜、私はタクシーを頼んで、同修の車庫から紙を全部運び出しました。当時、私一人がどうやって、すべての紙を1箱1箱4階まで運んだのか、自分でも不思議に思いました。師父のご加持に感謝いたします。

 Cさんの状態から、Aさんのことも思い出し、Aさんの家を訪ねました。Aさんは大家族で、息子、息子の妻、孫、孫娘と一緒に暮らしていました。Aさん夫婦は共に修煉をしていますが、他の家族は誰も修煉していません。しかし、皆全員大法の素晴らしさを知っており、Aさん夫婦の学法と資料の制作を支持していました。実はAさんは私達の中で一番の功労者で、学法、煉功以外に、すべての時間を資料の制作、印刷、材料の購入に費やしています。彼はもともとパソコン、プリンター、複写機等の電子機器にまったく触れたこともなければ、印刷や製本、包装などのこともやったことはありません。すべて最初からやり始め勉強しながら作業を覚え、そして、とても熱心に仕事を引き受け熱心に自分の家で資料を作り、何一つ文句を言ったことがありませんでした。

 しかし、このたび地元で同修が連行される事件が起き、Aさんもいろいろ不安な気持ちを持つようになり、「家族に不安要因をもたらしたくないため、外で場所を借りて資料を作ったらどうか」と提案しました。そのため、私は自らの考えを彼と交流しました。「ここの物品が多すぎるから運び出すのは安全ではない、外で場所を借りるのは、さらに危ないことではないか。私達4人は共に家族がいて、長時間外で借りた場所には居られず、4人とも同年齢でいつも同じ場所に出入りする方がもっと周囲の目を引きます。場所を借りるには資金を必要とし、私達全員は高齢者で他の収入源もないし、資料を作る資金は大変貴重です。もちろん資料拠点も、あなたの家の安全も考えなければなりません。私達はこれ以上問題を大きくしてはいけません」と言いました。

 「ですから、このような厄介なことに遭ったら、自分を多く探し、より正しく行い、旧勢力に隙に乗じられないようにすべきです」 [1]という師父のお言葉を思い出すと、私は突然あるアイデイアが浮かびました。「では、うちの夫が留守の間に大型複写機とプリンターを我が家に運びませんか」と言いました。当時、私達は近くに住んでおり10分ほどの距離です。ちょうど、Aさんの娘さんも帰って来たので、娘さんにも手伝ってもらい、私達3人ですぐに機器を運びました。同修と資料拠点が今度の難関を突破するために、少しでもお役に立てたことを嬉しく思いました。そして、弟子が旧勢力を否定し、自分のやるべき事をしっかりやれるように、師父からの時々刻々のご加護とご加持に感謝いたします。

 2007年になって、師父のオーストラリアでの説法を聞いてから、すべての条件のある同修に家庭資料拠点を作り、至る所に花を咲かせました。それぞれの人は自らの修煉の道を歩むべきだと分かりました。師父のご加護のもと、私とCさんもそれぞれパソコンとプリンターを購入し、それぞれ自分の家で資料拠点を作り、大きな資料拠点を数カ所の小さな家庭資料拠点に分散しました。そして、私達は現在までそれらを運行し続け、そのうちのAさんの家の小さな花は、ずっと一番鮮やかに咲き続けています。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『二〇〇三年元宵節での説法』

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/4/2/345042.html)
 
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