明慧法会 | 大法の恩恵の下で成長する
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2017年1月6日】両親と姉は大法が世間に伝わってからすぐに修煉を始めました。私も大法の事を耳にしたことはありますし、大法が素晴らしいことも理解しています。母は私に修煉してほしくて、いち早く私の分の『轉法輪』と師父の説法の録音テープやDVDを買いました。けれども、私は常人社会に深く迷い込んでしまい、悪いこともいっぱいしました。ある日、姉は私に修煉を勧め、「今修煉しないと、もう手遅れになるよ!」と言ったのです。「手遅れになる」という言葉を聞いた瞬間、退路を断たれたような恐怖と絶望と後悔に包まれているのを感じ、痛恨の気持ちと、心を襲う痛みを今でも忘れられません。こうして私は修煉の道を歩み始めました。

 2007年の終わり頃、集団学法に参加した時、何人かの同修が非常に親切にしてくれました。その頃は何も分からなかったので、ほとんど、同修たちに言われたことだけをやっていました。真に修煉すれば、師父は面倒を見てくださるし、法身もそばにいてくださると理解していたからです。三つのことを欠かさずに行ってこそ、師父の要求を満たすことができると同修が言ったので、私は彼女たちを見習いました。また、法を実証する時、法をたくさん勉強してこそ安全が保障されるとも言われたので、私は常に『轉法輪』とその他の経文を持ち歩き、時間があれば勉強しました。

 こうして、忙しない日々を過ごしていき、ある日、自分が変わったような気がしました。言葉に表せないほど心が楽になり、目標の職務に就くためにあれこれを計算することも、損得を気にすることも、家族や子供の将来を必要以上に心配することも、両親が捕まえられないように大法の書籍を隠すときに感じる恐怖も、そして、誰にも自分が修煉していることを知られたくないと恐れることも、何もかもがなくなったのです。これも、師父が説かれた法が人を煉るという法理に含まれているのでしょう。大法弟子になることができて、私は本当に幸せです。

 2008年の夏、他県から来たAさんがしばらく家に泊まることになりました。彼女をはじめてみた時、私は驚愕しました。なんと彼女は、20年も前に見た夢の中に出てきていたのです。あの時は、誰だろうと常に身の回りの人たちを観察しましたが、いませんでした。このことは彼女には言いませんでしたが、これはきっと師父の按排であると、心の中で堅く信じています。

 彼女と毎日煉功や『轉法輪』、他の経文を勉強し、正時の度に発正念をし、そして、私にも『轉法輪』を暗記するように言ってきました。彼女は常人の話をほとんどせず、私に対する態度も非常に親切で、時折、厳しく、真面目でした。ですので、煉功したくない時も、せざるを得ませんでした。私が仕事に行く時、彼女は真相資料を配りに出かけ、そして、私より早く帰宅してご飯の支度などもしてくれました。あの頃の自分は、仕事以外すべての時間が修煉で、常に愉快な気持ちでいられました。チラシを配りに出かける時、階段を上がっても全く疲れず、誰に会っても微笑むことができ、あるおばあちゃんの代わりに荷物を持ってあげたこともありました。

 一時期、第五功法を煉るのが怖くて、Aさんに自分の辛さを伝えました。しかしながら、彼女は「死ぬほど痛いわけじゃないでしょ? 自分自身で突破しなきゃだめよ!」といったのです。これを聞いて悔しかったのですが、確かに彼女の言うとおりです。他の人ができるなら、私にもきっとできるはずです。この肉体がどこまで痛みに耐えられるか試そうと思いました。最初はキリキリとした痛みで、その後、段々と痺れてきました。座禅をしながら法を暗唱し、痛ければ痛いほど意地を張って足をくずしませんでした。それから時間が経ち、いつの間にか座禅を恐れる心がなくなったのです。苦の後に甘味が来て、今や、痛みなどを考えることもせず、第一功法から第五功法まで止めることなく自然に続けられるようになり、それから発正念をし、時間が許す限り法を勉強しています。

 このことを通じてあることを悟りました。私たちは自ら煉功しなければなりません。発正念についての理解のように、旧勢力に追われて修煉するのではなく、こちらから邪悪を滅ぼしていけば、邪悪に迫害されることなく、順調に修煉することができるのです。ですから、Aさんが自分の家に帰った後も、私は毎日煉功、学法、暗記、発正念を続けています。これらは修煉の最も基本的なことだからです。

 師父のご加護と無量の慈悲の賜物

 修煉の中で最も印象深かったのは、私が思いつくほとんどの事を、師父がすでに按排なさったということです。「師父は特別にあなたに良くしている。欲しいものを何でも与えている」と同修に冗談を言われたことがあります。しかしながら、私はものを得た代わりに別の方面において、それなりに大きな責任を背負っていると思うのです。しっかりできていなければ、師父に合わせる顔がありません。法輪功が迫害されている真相をはっきりと伝えることは大法弟子としてやらなければならないことであり、急がなければならないと師父の説法を通じて悟りました。ですので、仕事の関係で他の同修と待ち合わせて真相を伝えに出かけることは難しいため、私は自分1人で資料を配っています。毎週の資料は他県の同修に提供してもらっているので、時々、資料が多いと、結構持ちづらいのです。

 そこで、Aさんが自分で資料を作ることを提案してくれました。彼女は資料制作に必要なソフトを全てダウンロードしてくれ、その上、操作方法も教えてくれたのです。自分が作った資料のほとんどを自分で配り、資材等も自分で考えながら購入しました。明慧ネットに載っている真相資料だけを使い、その他のものは一切使用せずに、少しずつ今日まで運営してきました。Aさんは非常に喜んでくれましたが、顕示心や歓喜心、見せびらかしなどしないようにと私に言いました。私も他の同修には何も言わず、集団学法の時、誰かが真相資料を欲しがっていると知れば、その人だけに渡し、だれが作ったとも一切話しません。まずは自分が住む町を隅から隅まで配ってから、道沿いに真相を伝えていけば、常人は受け入れやすいと思いました。

 Aさんは実家に戻りました。それでも、時々私のために発正念をしてくれていたと後になって教えてくれました。Aさんとは大きな縁があるのか、これまでの間、彼女が必要になった時、頭の中で思うだけで、Aさんは飛んできてくれました。きっと師父が助けてくださっているのです。ある日、とある女性に真相を伝えました。彼女は私の話に一理あると分かるものの、やはり信じません。「誰々さんも法輪功をやっていたが、結局、飛び降り自殺したわ」とも言いました。このことを聞いてある古い大法弟子に詳しい話を尋ねたところ、確かに事実ですが、しかし、それは冤罪だそうです。その同修は悪人に迫害されて亡くなり、その後、マンションの屋上から放り投げられたのです。なんと邪悪なことでしょう。必ず世間に真相を伝えなければなりません!

 その日、消耗資材を購入したついでにAさんが家に来ました。このことを聞いて、いっそ真相冊子を作ってみてはと提案しました。それから、明慧ネットでこの迫害された同修の資料を探し出して編集し、Aさんに教わりながら、同修に関するすべての文章の整理や、明慧ネットに投稿などを行いました。完成した後、Aさんは帰りました。私たちは数日間、近くの同修を家に招いて発正念をし、また、別の地区の同修に2人1組で同じ時間にこの冊子を一気に投函しました。その後、「法輪功の者が飛び降り自殺をした」などと言う人はなくなり、この案件に直接かかわった警察官たちの名前が公になり、街で大法弟子を見かける度に、こそこそと隠れて去って行ったのです。

 私がいる町はさほど大きくはなく、ずっとこの町だけを回るわけにもいかないので、周辺の田舎や町なども順番に回ることにしました。ある日、近くのとある村に向かいました。村の住民はお互いを知っているので、1人に伝えれば、きっと他の人もよって騒ぎになるでしょうなどと心配しながら、村の中でうろうろしているばかりで、なかなか口が開けませんでした。躊躇しているその時、とある役人に声をかけられたので、私は微笑みながら『九評共産党』という本を渡し、「一度は読む価値のある本です」と伝えました。すると、男は本を受け取るなり、法輪功についての資料は全部読んだと答え、そして、周りの人たちにもすべて本当の事だと伝えました。私は他の資料を全て取り出し、周囲の人たちの前に広げては自由に選ばせ、また、法輪功についての基本的な真相を伝えました。すべては師父が助けて下さったおかげで、こうして周囲の町や村を順番に真相を伝えることができたのです。

 その後、同修のBさんと出会いました。これも師父の按排であると信じています。Bさんは古い弟子で、心優しく、素直で、誠実な人です。よく外で真相を伝えているため、非常に上手です。私と2人でバイクに乗って少々遠い村に行って真相を伝えることを彼女は即答で同意してくれました。Bさんに対する周りの同修の意見に全く耳を貸さず、衆生を救うという彼女の心だけを見ていました。「何があろうと私は師父について行くわ」が彼女の口癖でした。私たちはお互いを理解し、寛大な心を持って接しています。たまに意見がすれ違う時があり、心が痛くなりますが、もしかすると、彼女の方がもっと痛いのかもしれないと思うと、何も気にしなくなりました。

 同修の素晴らしいところは私たちに見えません。目に見えているのはすべて同修の欠点であり、そして、それはまさに我々自身が修めるべき点であると、師父の説法を通じて悟りました。ですので、私は同修たちといられるこの縁を大切にしています。私とBさんはよく帰り道で法を暗唱します。お互い励まし合い、切磋琢磨し、毎週の休日や祝日等などの休暇でも共に出かけて真相を伝えています。かつて二度も警察官に連行されましたが、私たちは発正念をしながら、善意を持って警察官に真相を伝えたところ、数時間後に帰らせてくれました。それでも、私たちの信念は揺らぐことなく、次回の待ち合わせ場所などを決めました。

 我々の修煉は常に師父に見守られています。特に邪悪と直面する中で真相を伝えている時、時には、すぐそばや目の先まで危険が迫ってきているのに、我々は無事でいられました。ある年の「4.25」の日に、20人以上もの警察官と3台のパトカーに囲まれて身体検査をすると言われました。私たちは全く動揺せず、師父が見守ってくださるから、誰も私たちに手を出せないという一念だけを抱いていました。結局、全員無事に難を逃れることができたのです。

 情を修める

 Bさんが別の同修と共に真相を伝えに出かけた時、悪人に告げ口をされて逮捕されてしまいました。注意すべきことがあったにもかかわらず自分が何も伝えなかったばかりに、このような目に遭わせたと初めは自らを酷く責めました。それから、様々な手段を使って同修を救い出そうとしましたが、結局うまくいかず、私も同修を恨み、その上、良くない心理を抱いたまま資料制作に取り掛かっていたのです。ある時、Bさんたちの見舞いに行きましたが、本人には会えず、また、Bさんは酷い迫害を受けているという情報も入ってきたので、私の正念は全て消え失せてしまい、常人のように泣きじゃくりました。この時、ふとBさんへの強い情があることに気づきました。冷静に考えてみれば、私は初めから情を抱いたまま対処しており、自分を修めていないどころか、同修に腐敗物をぶつけていたのです。

 それからは、旧勢力の迫害を全て否定し、自らの嫉妬や恨み、逃走などの心理を発正念して取り除きました。これが別の同修の身に起こっていることなら、私はきっともっと冷静に対処できたに違いありません。Bさんに対する情はまさに「私」というものであり、ちょうど旧勢力に突かれた隙でもあるのです。

 ようやくBさんが仮出所し、彼女と家に帰ると共に法を勉強して、発正念もし、そして、様々なことを交流していきました。私はこれらを全て平常心で行いました。彼女の体調が少しずつ回復しているのを見て、私も通う回数を減らしました。その後、彼女が冤罪を負ったままこの世を去ったのを聞き、後悔と遺憾が湧き上がってきたのです。すぐにこの心理を分析したところ、遺憾の方が大半を占めていることに気づきました。彼女が家にいるこの良い機会を利用して彼女を助けることをせず、ただ上辺の状況だけを見て、彼女とまたどこかへ行って真相を伝えようなど、全て自分中心に考えていて、「私」という心理が底深く根付いていたのです。大法だけが私をきれいに洗い出してくれます。この時、ふと師父の煉功についての要求をより一層理解することができました。

 修煉する中である一つの壁に触れる勇気がなく、突破することもできませんでした。時間が経つにつれてそれが渦巻き、私を閉じ込めて、放してくれません。少しでも気を緩めると、頭まで飲み込まれてしまうでしょう。その渦の正体は夫への情です。夫とは高校3年間ずっと同じクラスで、大学卒業後すぐに結婚しました。彼の事はとても大事で世話もちゃんとしていますが、私は結構なわがままで、何か欲しいものがあれば、夫はどれほど苦労をしていても、私の希望を満足させてくれます。家で修煉していくのに夫から何の阻止もありません。それだけでなく、私と同修が悪人に囲まれた時でさえも、恐怖心など全くなく、車を運転してあちこちを探し回ってくれました。そのため、彼を褒めない人はいません。

 私は非常に夫に依存しており、そして、自分への過保護と包容も享受していました。しかし、修煉した今、これらの心理をすべて取り除かなければなりません。けれど、これらを取り除くのはとても悲しく、失いたくないので、できる限り夫とのトラブルを避けることにしました。

 その後、夫への情により別の極端へと向かってしまいました。子供の勉強や教育の違いにより、よく彼を恨むようになり、時には彼を見下したり、利用しようとしたりなど、この意味不明な心理が一体どこから来たのか自分でもわからなくなりました。こういう時になるとイライラして何かあるとすぐに怒り出し、その後、後悔します。そして、ずっとこの悪循環を繰り返していました。

 ある日、週刊誌を制作している最中、ふとある声が耳に入ってきました。「誰々(夫の名前)さんが誰々(夫の友人の名前)さん何々をしていたよ(良くない事)」これを聞いてすぐにはっきりと、「あなたに言われなくても、悪事を働いた人は、自らその責任を負わなければなりません。善悪に報いがあるのは天理です」と少々怒りを帯びながら伝えました。夫に電話をかけようとしましたが、罠に嵌ってはいけないと直ちに認識し、そして、発正念をしてこれらの妨害を除去しました。このことを通じて、自分はしっかりと自らを修めていないことに気づきました。

 ある年の夏は非常に暑く、冷房をつけながら資料制作をしていました。ある晩、制作途中で材料を取りに夫の部屋に行ったところ、夫はすでに眠っていました。小さな扇風機しかつけておらず、全身汗だくなのを見て、冷房をつけましたが、目を覚ました夫に「つけるな、電気代がもったいない」と言われました。これを聞いて、すぐに怒り出し、あなたの為と思ってやったことなのにと、内心で夫の事を責めました。冷房が効いている自分の部屋に戻ると、やはりエアコンが良いと喜びました。この時、ふと「夫の事なんか放っておけ、ずっと暑い思いをしていればいい」という嘲笑に満ちた声が頭の中で響きました。自分はこれほど残酷な人ではないと怪しく思い、そして、すぐに、これは自分ではないことに気づき、これの言うことに耳を傾けるわけにはいかないと夫の部屋に戻り、冷房をつけてあげました。

 越えなければならない障害物をさけるわけにはいきませんし、それはもうすでに私を妨害し始めています。その晩、私は様々なことを考えました。

 翌日、私は自ら夫に「修煉者として、何か足りない部分や、できていないところがあれば、はっきりと私に言ってほしい。必ず直すわ。だから、私を信じ、私の言動を監督してほしい」と言いました。夫は驚きましたが、すぐに「君の心の中には魔が棲んでいる。時々暴れて出てくるので、僕はそれが嫌だ」と笑いながら言ったので、夫はもう私を許してくれたと悟りました。

 このことに対して発正念して自らの空間場をきれいにし、時間をかけて法をたくさん勉強しました。また、夫と毎日接していく中で自らの言動一つ一つに注意しながら、時にはノートに自分の状況を書き留めたりしました。しかしながら、どうして我慢できずに怒ってしまう時もありましたが、そのような時は、夫が真っ先に「また暴れ魔が出てくるぞ!」と言ってくれるので、すぐに怒りが消滅していきました。今ではお互い穏和に接することができ、夫も大法を修煉し始めたので、時間があれば共に法を勉強したり、煉功したりしています。

 慈悲なる師父に感謝いたします!

 私を助けて、共に修煉の道を歩んできた全ての同修に感謝いたします!

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』

 (明慧ネット第13回中国の大法弟子による修煉体験交流会)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2016/11/7/337158.html)
 
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