明慧法会|海外の学習者は大いに恩恵を受ける
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 【明慧日本2016年11月23日】(章韻=明慧記者)明慧編集部が主宰した第13 回中国大陸大法弟子修煉心得交流会は2016年11月1日に始まり、11月8日に圓満に終了しました。8日間に44篇の修煉交流文章が発表されました。

 これらの精選された文章は、法を正す修煉の実例、向上の過程と法理に対する正しい悟り、法を正す修煉の最後の段階にいかに勇猛精進し、着実に、時間を大切にして心を修めて向上し、理智をもって世の人々を救う過程が書かれていました。法会は更に多くの同修に法をもって師とし、内に向けて探し、如何なるトラブルの中でも法に照らして自分の不足を見出し、心性を向上させ、更にしっかり法を実証し、師を助けて人を救うなかで、いかに損失を減らすかの助けになりました。

 中国と海外の学習者はひとつの全体です。海外の学習者は大陸法会の原稿を読み、みな非常に恩恵を受け、心から中国の同修の投稿に感謝し、必ず最後の時期に自分の修煉の路をしっかり歩むと語りました。

 同修の交流文章を読み、同修との差を見つける

 ずっと観光地で真相を伝えていた学習者の王金菊さんは14年前に海外にやってきました。王さんは「今回法会の文章を私はすべて読みました。最も感動したのは『師父の偉大さ、法の偉大さ』という文章です。私はずっと涙を流しながら、最後まで読みました。作者の人を救う純粋な心と人を驚かせる気迫に感動しました」と述べました。

 「私は自分が14年間、ずっと海外の第一線で真相を伝え、風雨にも阻まれることなく、よくできていると思っていました。しかし、この交流文章を読んで、作者と比べると非常に大きな差があると認識できました」。王さんは「海外では捕まえられる危険がなく、家庭での生活の圧力もなく、国内と比べて条件がすぐれています。しかし、海外では時間が経つにつれて、自分に口実を見つけて、緩んでしまいがちです。例えば、風が強い、あまりにも寒い、疲れたなどの口実をみつけて、自分を緩め、怠けてしまいます。この文章を読んで、私は毎日の三つのことを行うスケジュールを修正し直し、同修と一緒に『真相流動車』を作り、華人の多い観光地とコミュニティに行き、真相を伝え、三退を勧めています。私たちは引き続き、更に多くの『真相流動車』を作り、更に多くの同修が参加できるようにさせます」と述べました。

 海外の学習者に大きな促進作用を果たす

 1997年に法を得た海外の古い学習者・張雲さんは「明慧法会の文章にある、中国大陸の異なる職業、異なる年齢層の同修が異なる環境のなかで、確固たる信念で大法を修め、自分を向上させると同時に、衆生を救い済度する一つ一つの事例は非常に感動的でした。私達は海外で修煉しているため、直接共産党に迫害される環境はありません。毎回明慧法会の文章を読むと、中国の同修自らが経験した苦しみをつくづく感じました。また中国の同修が如何に考え、如何にやっているか、自分がそのような環境におかれたら、同様にできるかを考えました」と述べました。

 「中国の同修が如何に修煉し、如何に人を救っているかが分かり、海外の大法弟子も互いに学び、互いに比べるべきだと思いました。如何なる環境でも、法をしっかり学んでこそ、正念があり、大法の力を体験でき、旧勢力の按排を破ることができます。中国の同修はみな自らこの点を実証しました。海外の学習者として、私達も各種の形式で、貴い中国人に真相を伝えることをしっかり行い続け、中国の同修と協調して、更に多くの中国人を呼び覚まさせないといけません。中国の同修のたゆまぬ努力、強靱で屈服しない精神は、海外の学習者が三つのことをしっかり行うことに対して、非常に大きな促進作用を果たします」

 同じく海外で法を得た張海星さんは『師父の偉大さ 法の偉大さ』という文章を読んで「この同修の交流は非常に人を感動させるものでした。私は非常に啓発され、励まされました。大法は身体の不自由な人に大きな勇気を与え、人を変え、しかも修煉を通じて、彼女は心身ともに巨大な変化を得ました」と述べました。

 張さんは「私は10年以上修煉しましたが、時には自分の変化があまり大きくないと感じています。この同修の交流文章を読んでから、私の考えは変わりました。もし修煉せず十数年を過ごした私と比べれば、その差異はどれほど大きいでしょうか。私は突然分かってきました。大法の修煉は最もミクロから表面に向かいます、しかもよく修めた部分は直ちに隔離されます、目に見えるのはよく修めていない部分です。私は修煉を始めた時、健康についての問題がなく、身体の変化を見出すことは難しかったのです。この同修の修煉体験は、大法を修煉する私の自信を強めてくれました」と述べました。

 最後に張さんは「この同修の衆生を救い済度する体験から、私も啓発されました。問題にぶつかった時、彼女は自らうちに向けて探し、心性を向上させ、師を助けて法を正すと共に、衆生を救い済度し、また絶えず自分を向上させていました」と述べました。

 海外メディアのプロジェクトで編集の仕事をやっている王麗さんは「真に内に向けて探す」という文章を読んで、メディアの仕事と修煉において、うちに向けて探すことは特に重要であると感じました。「文章の中には『絶えず自我を放下する過程において、私(し)から抜け出してこそ、慈悲を修めることができます。一度、私は心を静めて、学法する時、突然自分の身体が一つの高いビルに変わり、絶えず高く、大きくなり、またビルの中には無数の部屋があると感じました』という内容がありました。メディアは一つのビルのように、中には無数の部屋があり、光が入る部屋と入らいない部屋があります。部屋毎に自分の作用があり、一つ少なくてもいけません。自分の部屋をきれいにすることは己のため、人のための第一歩であり、如何なることにぶつかっても、必ずまだ放下できてない執着があるとヒントを与えてくれているのではないか考えるべきです。執着を放下しないことは、まるで部屋にあるゴミを捨てることを惜しむようなものです」と述べました。

 中国から海外にきて、4年たった白さんは「すべての文章は鏡のように、自分の不足を示してくれました。例えば、『希望の見えないなか、柳暗花明まで堅持する』という文章ですが、私は中国にいた時、同修に似たような体験がありましたが、私は同修のように着実に修めず、根本的にやはり師父と大法を信じる程度が足りませんでした。特に、現在海外のプロジェクトにおいて、正念を持ち続け、揺るぎなくやり続けてこそ、いろんな方面での困難を突破することができ、成果を収めることができます」と述べました。

 西洋人の学習者「中国の同修の誠実な交流に感謝」

 西洋人の学習者・マダリナさんは「私は師父が私の身辺にいらっしゃると信じています」という文章を読んで非常に感動したといいます。彼女は「私は同修の誠実な交流と修煉において、向上しようとする心に感動しました。正念の力は如何に監禁されている同修が学法し、煉功できるようにさせるかを分からせ、また修煉者として、私たちはまずこの迫害を認めてはいけないということを思い出すことができました。私の理解では、同修は刑務所で法を読めることに満足せず、まず監禁されることを受け入れてはいけないと思います。彼女は刑務所で学法しましたが、彼女は人を救う責任を遂行することができません。師父は私たちに人を救うように要求されていますが、監禁されると貴重な時間が無駄になります。しかし、私たちにとって非常によい教訓になります。最後に、彼女は同修のAさんの話をしました。Aさんは警官が自宅を訪れた時、慈悲な心で警官を感動させましたが、自分は警官を怒っていたということで、私たちにすべてのことを修煉過程とみなし、修煉して向上し、人を救う機会とみなすようにとアドバイスしました。私からみると、これは真に旧勢力の按排を取り除き、師父の按排されたとおりに、歩むことです」と述べました。

 交流文章はマダリナさんに「修は己に有りて、功は師にあり」[1]という法理を深く理解させました。彼女は「私が思うには、このアドバイスは価値のあるものです。私たちは自分をしっかり修め、師父の示された路に沿って歩む責任があります。発生したすべての不思議なことはすべて師父の行われたことです。こうして、私たちは永遠にむだ骨を折ったり、自慢したりすることなく、確固たる信念で修煉しながら、向上し、師を助けて衆生を救うなか、私達が行うべきことを全うすべきです」と述べました。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪

 (明慧ネット第13回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会) 

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2016/11/11/337501.html )
 
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