法輪大法を修煉し あふれんばかりの憎しみを解消
■ 印刷版
 

文/中国の大法弟子 和平

 【明慧日本2016年6月30日】私は和平と申します。今年63歳です。中国中部地域の長江・南岸の小さな街に住んでいます。今アルバイトをして、生計を立てています。

 法輪功を修煉する前、私はよく喧嘩をし、よく人を罵りました。人に譲らない性格で、強情でせっかち、また陰謀を企て、人を陥れ、人を害することが好きで、もっぱら『孫子』の兵法、『兵法三十六計』『百戦奇略』を学びました。私に対して良くない人にはすぐに策略をめぐらせ、人を陥れ、人を害しました。頭を使いすぎたためか、頭が非常に痛くなりましたが、どんな治療も効果がなく、身体はますますダメになりました。肺結核、糖尿病、リューマチ性心臓病、腰痛、筋肉痛、手足が麻痺し、身体のほとんどの部位が痛くなりました。

 当時、私はアルバイトをしていましたが、体調が良くなく、お金を稼ぐことも大変困難でした。ある農家で新しい家を建築していて、私はそれを手伝って1カ月以上働きました。しかし、彼は私に一文もくれませんでした。その上、彼は息子をつかって私を騙し、非常に遠い街へ連れて行き、実は私に請負工事をやらせ、私をそこに置き去りにしたのです。

 旧暦9月、その地方は非常に寒い所で、あたり一面見渡すかぎり雪で真っ白でした。街には人影が少なく、どの家もみなドアを閉めていて、しかも言葉が通じないチベット族でした。まるで別世界に来ているような感じでした。非常に寒い時、寒さのあまり真っ直ぐ立つこともできません。幸いにも1人の漢民族の人に出会い、仕事を見つけることができました。また大家さんが布団をくださったので、寒い冬を過ごすことができました。

 寒い夜、私は常にあの農家にどのように復讐するかを考えていました。この仇を討たなければ人にあらず、心の中であれこれ復讐計画を練っていました。翌年の春、私は人力三輪車で営業を始めました。街には数キロの長い坂がありました。お客を乗せて、下り坂の時はとても心地良いのですが、坂を上る時は困難で、命がけでした。それに空気は希薄で、気候は極めて悪く、普段50キロ担える人でも、そこでは半分しか担えません。木枯しは豆粒大の砂利を巻き上げ、顔に当たり、目を開けることさえできませんでした。これらの苦難はすべてあの農家が私にもたらしたことだと思い、私はさらに彼らを憎みました。

 チベット族は佛教を信仰していて、ラマ僧が大勢います。しかし、すべてのラマ僧がすべて善良な人というわけではありません。また、多くの子供のラマ僧や年配のラマ僧は人力三輪車に乗っても、料金を支払わないか、あるいは全額支払わないこともありました。

 ある時、15、6歳のラマ僧が三輪車に乗りました。当初3元を払うことを約束していましたが、彼は1元しかくれませんでした。私は怒りのあまり、彼にピンタを食らわせました。すると彼はなんと匕首を抜き、私の背中を刺しました。真っ昼間の大通りで、ラマ僧が刃物で人を殺そうとしたのです。しかし、そこでは日常茶飯事で、少しも異常ではなかったのです。その時、漢民族の人が私を病院に送ってくれました。当時、私はどんなに前途はるかでも、どんなに危険でも、命のある限り、この二つの仇を討とうと決意しました。

 1999年4月のある日、私はレストランで朝食をしている2人のお年寄りに出会いました。話し込んでいるうちに、2人が法輪功を学んでいることを知りました。私は自分が遭遇したことを伝えました。彼らは私が間違っている、私が先に人を殴ったのだから、その人が殺意を持つようになったと私を諭してくれました。また、前世で人に借りがあったが、返していなかったので、今生で返さなければならないとも言いました。そして、法輪功の創始者・李洪志師父の著作『轉法輪』をくださいました。

 私は帰宅して、その本を読み始めました。本の中のその博大で奥深い法理は私の耳目を一新させました。読み終えてから、私は2人に言いました。「かつてこの世の中で、私に良い人になるようにと教えてくれた人はいませんでしたし、私はこの世で誰にも従いませんでした。しかし、李洪志師父が説かれたのは、すべての人の心を良い方向へ教え導く道理です! 私は敬服しました。私はただ李洪志師父からのみ教わることができました。私は必ず法輪功を学びます」

 お年寄りは「法輪功は佛法であり、師父は衆生を救い済度するために来られたのです」と言いました。私は「ここに来て、2年経ってからやっと学ぶことができましたが、遅くないでしょうか」と尋ねました。お年寄りは「あなたが時間を大切にして、法を学び、煉功すれば、良く修めている人たちに追い着くことができますよ」と言いました。

 その後、私はほとんど毎日煉功場での朝の煉功に参加しました。1999年7.20、中国共産党の江沢民が法輪功に対して迫害を開始するまでの3カ月間、私は修煉しただけですが、もうとっくに病気はなくなっていました。お客を三輪車に乗せて、上り坂を上る時も非常に力があり、2人乗ってもとても楽でした。上り坂の時、誰かが私を手伝って押してくれているような感じでした。私はよく後ろを振り向いて、確かめて見ましたが、毎回誰もいませんでした。

 その感覚は師父の説かれたことと同じようでした。「以前はちょっと歩くと疲れましたが、今はいくら歩いても平気で、自転車に乗っても誰かに押されているかのように感じ、ビルの階段をいくら高く上っても疲れを感じません。絶対そうなります。この本を読んで独自に修煉する人も同様に、あるべき状態に達することができます」[1]

 私は若いころ、武術をしても病気は治りませんでした。法輪功を修煉して、こんなに短い時間に無病状態になりました。私は真心からあの農家に感謝します。私に賃金をくれず、そして私を見知らぬ地方に連れて行かなかったら、また、若いラマ僧が私に料金を全額払わず、刃物で私を刺さなかったら、私は苦難の中で、法輪功に出会い、苦難から解脱できる本当の法の大法を得られなかったはずです。

 愛する友よ、法輪功の偉大な教え導く力は、私のあふれんばかりの憎しみを解消し、先天的な純真で善良な私に戻し、私を悟らせてくださいました。あなた方が多くの法輪功修煉者とより多く接触し、さらに多くの、さらに素晴らしい話を聞くことができるよう願っています。

 注:
 [1]  李洪志師父の著作:『轉法輪』

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2016/6/14/330010.html)
 
関連文章