修煉の道での「苦しみ」と「喜び」(二)
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文/純浄

 【明慧日本2014年7月3日】(前の文へ

 苦しみを喜びとする

 1999年の初め頃、私達の煉功に私服警官がやって来ました。当時、皆はそれにあまり反応せず、すべていつも通りにやっていました。「4・25」の情報が入って来てから、私は多くの同修と一緒に列車の切符を買いましたが、しかし、すぐにまた問題が解決されたとの情報が入って来たため、私たちは切符をキャンセルしました。それは当然の結果だと思いました。しかし、情勢はますます悪くなる一方で、私たちの広場での煉功場は閉鎖され、集団煉功の場所がなくなり、喜びがなくなりました。私はこの件の担当部門に直接抗議したいと思いました。ある日、多くの同修が省委員会に陳情に行こうとしているのを見て、私も行きました。陳情に来た人は多くて、やじ馬見物をする人もたくさんいました。私は道端に立っていて、暫くするとパトカーがやって来て、人を連行し始めました。私はあなた達を探そうとしていたので、ちょうどいいチャンスだと思いました。しかし、私達はスタジアムに連行されてから初めて、これで、話す相手がいないじゃないかと気付き、呆然としました。午後の2~3時になりました。私たちは居住地域の派出所に送られました。私は派出所の所長、国保大隊の大隊長、町役場の課長などに、「大法の素晴らしいところ、なぜ大法が素晴らしいのか、私はどのように心身ともに恩恵を受けたのか、あなた達はどうして間違っているのか? どうすべきなのか……」などなどを話しました。彼らは頷いていましたが、仕方がないと言って、とても礼儀正しく、私達を表門から送り出しました。

 続いて、恐怖の「7.20」の大迫害が始まりました。勤め先はすべての人に強制的に態度を表明させ、私は最後に態度を表明しました。私は多くの人の前で、冷静に「長年皆さんと一緒に働いており、皆さんは私の事をよく知っているはずです。私は理性的で、物事を明晰に判断できると自負しています。私はもうすぐ60歳になり、毎回の政治運動をすべて経験しました。私は簡単に何かを信じるとか、信じないとかはしません。時間の関係で、私は三つだけ言います。一つは、私は修煉を続けます。なぜなら私は心身ともに受益したからです。次に、私は政治に関与しません。皆さんが知っているように、私は入党しようと思えば、とっくに入党しているはずです。三番目は、テレビは嘘をついて、デマを飛ばしています。皆さんはみんな頭のいい人で、心の中で分かっていれば結構です。以上です」と言いました。会場は沈黙しました。司会者は突然「解散です」と大声で言いました。その瞬間、私は一人残され、空しくて、空しくて、空しい気持ちが一杯でした。その後、私は予定より一年早く、定年退職願いを出しました。59歳でした。

 師父は「圓満となって佛果を得る 苦を嘗めるをもって楽とす 身を労するを苦と算せず 心を修するは最も過ぎ難し 関という関は全すべて闖えるべし いたる処すべて是魔 百の苦一斉に降る 其の如何に活かを看る 世上の苦に堪え得れば 世を出ずれば是仏陀」[3]とおっしゃいました。法理について、私はとてもよく分かっていますが、しかし、私は「苦を嘗めるをもって楽とす」をいつもやり遂げませんでした。あの暗黒で、雨に雷が交じり、血生臭い日々の中で、私は修煉の「苦しみ」と「喜び」を伴いながら、本日まで歩んできました。情魔の妨害で、私が修煉の関門を突破するのは骨が折れました。同修たちに支えられ、三つのことをやりながら、数年の年月をかけ、私はやっとこの情を放下しました。それからの修煉の中で、私は何か問題に遭う時、師父の法理「修煉の中で、皆さんは良いことに出遭っても、良くないことに出遭っても、すべて良いことです。なぜならば、それらは皆さんが修煉しているからこそ、現れたことだからです」[4]が、はっきりと現れて来るようになりました。

 長男は真相材料を配る時に連行され、1年の労働教養を科されました。情魔の中で私は心が引き裂かれる様に悲しく、苦しみの中で転げ回りました。国保大隊と派出所の警官が私の家にやって来た時、私は「ちょうどあなた達に真相を話したい」と思いました。彼らは来た理由を説明した後、私に「あなたは法輪功を煉功しますか?」と聞きました。私は「煉功します」と答え、彼らに真相を伝え三退を勧め始めました。その時、私の心理状態は明らかに不安定で、言えば言うほど早口になり、口も乾いてしまいました。私は居ても立ってもいられず、息子の嫁と相談して、息子を取り戻そうとしました。息子が苦しめられているのではないかと心配する親の情をもって、邪悪に対する怨恨と闘争心を持って、私は派出所に行き、人の念と神の念、また人の言葉と神の言葉をかき混ぜて話をしました。その時、何を喋っていたかほとんど覚えていません。その結果、息子を取り戻すことが出来ず、警官も救うことが出来ませんでした。家に帰ってからの数日間、私は心配で食べるに食べられず、寝るに寝られず、頭の中では、邪悪が大法弟子を迫害する恐怖ばかりを考えていました。

 息子の嫁は私と一緒に法を学び、私は次第に落ち着きを取り戻しました。それから、私はいつも師父の説法の録音を聞き、少しずつ正常な状態に戻りました。ある日、私は『洪吟』を持ち上げ、読み始めたら、文字が一つ一つ私の心に打ち込まれました。私は師父に大空に連れて行かれたかのように、人間の世界で修煉をしている私が情魔に付き纏われ、自力で抜け出せない一幕をはっきり見ました。師父は慈悲に私に「親族の情に執着するならば、必ずそのために疲れ、まとわり付かれ、魔がさし、情の糸をつかんで一生をかき乱されるのですが、年を取って、悔いてももう遅いのです」[5]とおっしゃいました。私は冷静になり、昇華しました。その後、三つのことをする過程において、私は絶えず向上し成熟しました。今振り返って見れば、すべては一瞬のことでした。

 名を放下する苦しみと喜び

 子供の頃から私は自分の環境の中で、常にとても優秀でした。退職する前の私は業界トップの学術権威でした。小さい時から大人になるまで、私は次第に孤高で、プライドが高く、生意気で、自画自賛な性格を形成し、その上、共産党文化の毒害によって、自己主張が強く、横柄な一面もありました。それは私の修煉の道での大きな障害となりました。

 名に執着する心を持っていたため、私は周りに起きた出来事や神秘的な現象を自分の「自慢材料」にしました。例えば、同修が天目のことを言うと、「私の場合、修煉する前から、天目はすでに開いており、誰でも同じだと思っていました」と言い、心の中で自分の根基が良いことを自慢しました。祖先が善行して徳を積む話題になると、私は「私は先祖からずっと知識人の家柄で、徳を積んでおり、私もきっと多くの徳を備えているでしょう」と言いました。同修が修煉して知恵が開かれた話になると、「私は多芸多才で、琴、碁、書と画のいずれも精通しており、しかも利口で手先が器用で、女性のやる仕事も何でもできます。何でもやれば周りを抑えてトップになり、私は普通の人ではなく、天才です」と言いました。「優曇華」は我が家で連続して4年も咲いたため、私は顕示心をもって同修に「家の場は良くて、神聖かつ純潔です」と言いました。私の生意気な気持ちは膨張し、修煉においては、自分はいつも同修の上に立ち、共産党文化による偉そうな態度で同修を説得し、服従させ、また強い口調で交流しました。

 ある日、私は病業のなかにいる夫婦(同修)と交流しました。最初から、私は助けてやるという上から目線で始めました。奥さんはとても静かで口数の少ない人でした。その日、彼女は積極的に私と交流をしようとしていたため、私はとても嬉しく思いました。しかし、同修であるご主人はそばからいつも口をはさんで来て、奥さんの代わりに「あなたは知らないのですが、彼女はいつもこの調子です。苦労を恐れて、信念が足りません」「彼女は法理を分かっているのですが、やり遂げることが出来ないだけです」「僕は随分彼女に話をしましたが、効果が少なくて……」と、ご主人の方からの説明ばかりでした。私は我慢できず、「あなたはね、話が長すぎます。私はあなたとでなく、奥さんと交流しているのです。私たち修煉者は強いエネルギーを備えていますから、あなたはいつも奥さんに結論を下して、奥さんをそうさせてしまうのではありませんか。あなたは悪い事をしていますよ。奥さんがこうなったのも、あなたに責任がありますからね。あなたは内に向けて探すべきです……」と一気に言ってしまい、しかもすべて理に適っていると思っていました。ご主人はずっと聞いていて、突然大きな声で、「あなたは横暴すぎる。もう言わなくて結構です」と言いました。私ははっとびっくりして、すぐに黙って、心の中では「しまった。私はどこで間違えたのか?」と思いました。私は落ち着いた振りをして、「私にはきっと間違いがあると思います。よく考えさせてください。失礼します。」と言って、その場を離れました。

 その後しばらくの間、「横暴だ」と言う言葉は私から離れず、しかも常に私に警鐘を鳴らしました。ある日、家庭での仲が悪い同修と法理を話した時、私は「奥さんと話す時、あなたは必ず態度をきちんとわきまえなければなりません。師父は『仕事のときの口調、善の心、それに加えて、道理で人の心を変えることはできても、命令では永遠にできないのです!』[6]とおっしゃっているでしょう」と言いました。この話に及ぶと私はすぐ止まってしまいました。「横暴だ」という声が私の耳の辺で鳴り響きました。私はまた同修に説教をし、善の心を持たず、批判の口調で話しているのに気付きました。私は本当に「内に向けて探す」事を始めました。家に帰って心を静めて反省し、昔の事を振り返りました。修煉前、兄弟姉妹に対し、息子と娘に対し、生徒に対し、学者の同僚に対する態度にはすべて共産党の毒害による魔性がありました。この敗壊物の沈殿はあまりにも厚く、「ローマは一日にして成らず」という言葉では表現できないほどでした。それらを取り除く過程で、私は正念さえ持っていれば、師父が助けてくださる事を悟りました。その時、私の脳裏にはたくさんの法理が現れて、最後に私は自分に対して「法を学ぶ時、心に留めるように努力する。発正念をする。交流する時、多く聞いて少なく言うようにする。自分の魔性を同修に暴露し、同修に監督してもらう。あちこちでの集団学法を止め、二カ所だけに絞る」と要求しました。しばらくしてから、同修は私の変化がとても大きいと言ってくれました。

 ある日、いつも無口な息子(同修)が私に「お母さん、お母さんは実修していません」と言いました。私はあきれて物が言えなくなりました。こんなに長く修めて、このように言われたのは初めてでした。それから息子のこの言葉はずっと耳の辺りで響き、離れる事はありませんでした。ある日『洪吟』を拝読して、「実修」の最後の一句「做すところ到るは是れ修なり」[7]の言葉が、私の目の前にはっきりと顕れました。私はまるで「棒喝」されたようでした。私は「あなたは本当に実修したのか?」と自問しました。2日後、私が法を学んでいると、息子はまた「お母さん、あなたは授業の準備をしているのですか」と、私のことを皮肉りました。私は自分を落ち着かせて、突然、これは師父が息子の口を通して、私にヒントを与えてくださったことに気付きました。私は改めて考えました。以前法を学ぶ時、よく「この法理は○○さんの問題解決に役に立つ」と思って、時には忘れないようにメモをして、後日、同修に読んであげたりしました。それは同修にする強い責任感だと自分を評価していました。このように他人を修めて、自分を修めない状態はかなり長く続き、時には他人が実修していないと指摘もしました。今になって、やっと実修の真の意味が分かりました。私はようやく自分が実修していないことに気付きました。師父が『轉法輪』で最後に説かれたのは、「皆さんがお帰りになってからも時間を無駄にせずに、着実に修煉するよう切に希望します」[2]でした。私は大慈大悲の師父のこのお言葉の重みをより深く体得しました。

 (完)

 注:
 [2] 李洪志師父の著作:『転法輪
 [3] 李洪志師父の詩:『洪吟』「苦其心志」
 [4] 李洪志師父の経文:『精進要旨(三)』「シカゴ法会」
 [5] 李洪志師父の経文:『精進要旨』「修める者の忌」
 [6] 李洪志師父の経文:『精進要旨』「はっきりと目覚めよ」
 [7] 李洪志師父の詩:『洪吟』「実修」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2014/6/24/293445.html)
 
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