修煉者の情欲の問題について
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 【明慧日本2016年3月23日】多くの同修は私生活の中で、どのように情欲に対する執着を取り除くことについて、交流したがりません。このことは最も恥ずかしいことで、人には話せないと思っているようです。もちろん異性の修煉者の間では、交流できないかもしれませんが、しかし、男性修煉者の間あるいは女性修煉者の間では、交流できると思います。法を正すことは最後の段階に入り、もしこの面において、しっかり修めなければ、認識を高めなければ、どのように体を浄化するのでしょうか? 私自身も身を持って経験したことがあります。夫は常人であり、もしこのことについて正念が足りず、夫に合わせてしまいますと、翌日全身がつらく感じます。これは私たち修煉者に対し情欲を節制し、正念を強くしなければならないという知らせです。

 周りの同修の中で旧勢力に命を奪われた人もいれば、不当に監禁された人もいて、あるいは病業の魔難に陥った人もいます。いずれも情欲の問題と直接関係しています。

 私はずっとどうしてその時に、同修を助けられなかったのかと深く考えていました。しかし、どのように助けるのでしょうか? 一緒に交流、発正念し、学法しても、病魔は時々同修を襲っていました。自分の漏れがどこにあるかと聞いても、同修は答えられなかったのです。その同修は師父に託された三つのことはやっていますが、どうして旧勢力に隙に乗じ迫害されたのでしょうか? 他空間の邪悪な要素が、修煉の邪魔をしているのは分かっていて、たくさん発正念をしていても、効果がよくありませんでした。

 男性の同修Aさんは3回も病魔に襲われた後、Aさんの奥さんも修煉者で、仕方なく密かに私にAさんは情欲に対する執着を断ちきれず、半月か20日間くらいで、もう我慢できないと私に教えてくれました。奥さんはこのままではいけない、体がここまで状態が悪いのにまだ自分の情欲を抑えようとしなければ、同修に教えますよと注意したところ、Aさんは激怒し、「恥ずかしくないのか?! 同修に漏らせば、直ちに出家する!」と言い出した為、奥さんは仕方なく従うしかありません。その後、病魔に何度も襲われ、結局命を失ってしまいました。

 女性の同修Bさんは、情欲に対する執着はそれほど強くないのですが、やはりなかなか完全に放下できませんでした。Bさんは何度も病魔に襲われ意識不明になりました。私は情欲への執着を取り除いたのかと聞いたところ、認めませんでした。地方の同修はBさんを助ける為、自分の家に数日泊めました。Bさんは夜自分の夫が、他の女性と結婚した夢をみてどうしても家に帰ろうとし、いくら説得しても留められませんでした。家に戻った後どこへも行かなくなり、しばらく経ってやはり病魔に命を奪われてしまいました。

 男性の同修Cさんも同じく情欲に対する執着が強く、Cさんの奥さんも修煉者で、私にこのことを話しました。私はCさんに直接、ストレートに話せず、婉曲に注意しましたが、Cさんは重視しませんでした。しばらくしてから奥さんは不当に監禁されてしまいました。旧勢力は虎視眈々と修煉者ひとりひとりの漏れを探し出し、執着を取り除く為にあらゆる手段を利用していますが、一部の同修はどうしても悟ろうとしません。

 またある男性の同修はいつも体の不調を感じ、情欲が放下できないのが原因だとわかっていながら、どうしても断ち切れません。

 私たちはこの情欲の問題を、いつまでも最大限に常人の状態にあわせることなどを口実に、言い逃れしてはならないと思います。師父は次のように法を説かれました。「しかし一人の修煉者として、常人と混同してはいけません。少し厳しく言えば、あなたはもう人間ではないのです。先ほど言ったように、人間には七情六欲があり、情のために生きています。皆さんは次第にこれらのことを軽く見て、次第に淡泊になっていき、修煉の過程においてそれを完全に放棄するまで至るのです」[1]。師父はとっくに私たちは常人ではないと言われています。私たちは神の道を歩んでいる人であり、すなわち神あるいは半分、神の状態になっているのではありませんか? 神の体なら様々な汚れを取り除き、清らかな体になるべきではありませんか? 

 上記に言及した同修は比較的精進し、法理に対する認識もはっきりしていて、三つのことも行っていますが、自分自身の情欲の問題に対して真剣に向き合って考えることができず、取り除かなければならないものだと分かっていながら、発正念の時にねんいりにこれらのものを取り除いておらず、普段もしっかり情欲へ対する執着を修めず、恥ずかしいことだからと言って同修にも話したがらないのです。隠すことはつまり執着をかばうことであり、それらの執着を存続する居場所を与えた為、頻繁に同修たちの隙に付き入り迫害するのです。魔難に遭ったとき、同修に発正念で助けを求めったり、あるいは消極的になって耐えたりして、どうしても内に向かって探さず、この執着を放下することができず、隠そうとして同修と交流をしたがりません。体が病魔に蝕まれ、耐え切れなくても、この情欲の面から原因を探そうとしません。

 この文章を書く目的は情欲の面において、真剣に修煉していない同修、あるいは情欲に落ちこぼれ抜け出せない同修、また体に様々な不調が現れた同修たちに注意を促す為です。この情欲は自分の一部だと勘違いしないで、早くこの執着に気づき、この執着を解体しましょう。法を正すことは最後の段階に入り、色、情、欲に対する心を取り除かなければ、とても危険です!

 個人的な浅い見解ですが、同修に色、情、欲、これらの問題について、恥ずかしがらずに、一度深く考えて頂ければと思います。適当ではないところがあれば、慈悲なるご指摘をお願い致します。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『米国法会での説法』「ニューヨーク法会での説法」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2015/11/16/317269.html)
 
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