男女の情が修煉者にもたらす危害
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2016年1月27日】2012年、私は続けて3回同じような夢を見ました。1回目は宇宙空間の高いビルの屋上に立って遠いところを眺めていたとき、雨雲が遠くまで広がっていました。しばらく見てからエレベーターに乗って降りました。しばらく経ってから、また同じ夢を見ました。また同じくらい時間が経って、3回目に同じ夢を見ました。同じビルの屋上に立って、雨雲を眺めてからエレベーターに向かう途中、ある男女が淫らな行為をしていたのを見ました。女性はよく知っている同修で、男性は知り合いの常人でした。それを見て、心の中ではとても不快になり、2人を無視し、エレベーターに乗って降りました、降りる途中にその2人も同じエレベーターにいることに気づきましたが、無視してエレベーターを出て、前へ歩きました、しかし、その2人も私の右後ろに1メートルくらいの距離を保ちながら、一緒に歩いていることに気づいたのですが、やはり無視しました。

  この夢は何年も前に見たのですが、その意味がずっとわからずにいました。しかし、最近2年の修煉を経て、私は自分の周りの同修の間に男女の情に絡む問題がかなり深刻になっていることに気づきました、同修が堕ちていくのを見て見ぬ振りをする訳にはいかないと思いました。

 現代社会は言葉で言い表せないほど堕落しています。私たち修煉者はこのように大きな染物がめの中に身をおいている以上、自分自身を厳しく律しなければ、知らず知らずのうちに染められるかも知れないのです。以下は私個人の認識から、男女の情が修煉者にもたらした危害について感じたことです。同修の皆さんがこれらの魔による妨害に対し、正念を持って解体し、大法を実証してほしいと思います。

 一、男女の情は両刃の剣

 人類社会には男性と女性がいます。修煉の中で、お互いに協調しながら、師父に託された三つのことを行うときに、同性の同修とだけ付き合うことは不可能であり、必ず男女の同修の付き合いは付いてくるものです。しかし、私は多くの同修の間に男女の情が生じたことに気づきました。

 ある男女の同修は常に一緒に大法の仕事を行っているうちに、お互いに親しくなり軽はずみな言動をして、同修として度が過ぎたことに気づかず、修煉の事からプライベートな日常生活まで、食事や生活用品までお互いに熟知し、家族に内緒で話し合ったりしています。しかし、修煉途中の人間には情があり、しっかり自分を制御しなければなりません。男女間の情が芽生えてしまえば、知らないうちに通常の同修の関係を甚だしく超えてしまいます。何かがあったら修煉上の切磋琢磨だと言い、相手に話を聞いてもらい、しばらく会わないと相手のところへ顔を見に行ったりしています。実は知らないうちに男女の情に未練があり、左右されていたのに気づかず、法に則っていないことに気づいていないのです。現代社会の常人の観念を基準にしているため、自分の言動に違和感がなく、だんだん慣れてきて当たり前のようになりました。

 男女の情が知らないうちにはびこり、修煉者の意志を侵蝕し旧勢力に虎視眈々と狙われて利用され、同修の修煉の向上を妨げただけでなく、大法の仕事を行う際に、更に多くの同修間の協調を妨害しました。それ以上に深刻なことは旧勢力に修煉者をダメにする口実を与えてしまったことです。

 またある男女の同修は長期にわたって2人きりで大法の仕事をしていて、お互いの関係はもう通常の同修関係をはるかに超えています。他の同修に注意されて、皆の前では品行方正のように振る舞っているのですが、2人きりになるとお互い尋常ではないほど親しくしています。人に気づかれたら言い訳をし、同修間に隔たりをつくってしまい、全体の協調が取れなくなっているのに、反省しないのです。

 男女の情は他人に害をもたらすだけでなく、自分をも害しているのです。大法の仕事全体の協調に影響し大法に泥を塗っています。ことわざに色欲は刃物が如くというように(訳註・色の漢字の上の部分は刃になっている)、男女の情は両刃の剣で、他人を傷つけ、自分をも傷つける、とても危ないものです。

 ニ、独身者に男女の情が生じやすい

 未婚の修煉者は異性の同修とよく付き合うため、時間が経つにつれ、だんだんと心頼みにして、情にひどく左右されているのにまだ気づきません。未婚修煉者は単純で、信頼ができ、連絡するのも便利です。生活面においても自由がきくので、多くの場合は異性の同修に人気があり、親しまれやすいのです。修煉途中の人間は修められていない部分があります。異性の同修はこれらの修煉者に対し、通常の正しい男女の接し方の基準を超え、長い間親しく付き合っていく中で度が過ぎてしまうのです。未婚の修煉者は自分は人気が高いとうぬぼれて、妄想をたくましくしていくなかで、色欲の心が起きやすくなります。異性の同修の軽率で、度が過ぎて何の気兼ねもない行動は未婚修煉者にも、大法に対しても無責任です。

 三、結婚相手が常人のとき、異性の同修に男女の情の表れ

 ある同修の結婚相手は修煉していないため、修煉上のことに対して理解できないことがあります。特に迫害されている状況の中で、修煉者が行っていることで家庭生活に影響されることを恐れ、結婚相手に修煉のことについて話すことができず、一緒に大法を実証することができません。修煉者が異性の同修と付き合っていくうちに、自分のパートナーより異性の同修のほうが相性がよく、お互いに共通の話題を持ち、心が通じ合い、その長所に気づいて、だんだんと情が芽生え始めます。(異性の同修に男女の情を追い求める人すらいます)。異性の同修の自分に対する反応や態度、自分が認められるかどうかについて非常に気にしています。時間が経つにつれ、男女の情は知らずしらずのうちに修煉上の大問題となってしまいます。

 また離婚した同修もいます。男女の情の面において、心が傷ついてしまいました。結婚生活の中で、それまで互いに寄り添って生きていた人がいたため、いったん1人になった時には心に穴が空いたように寂しくなりました。異性の同修と付き合う中、相手に頼ってしまい、話を聞いてもらいたくなり、一緒に話したくなったりします。慰めてもらった場合は、男女の情が芽生え始めます。また異性の同修に対して非常に敏感な人がいて、正々堂々と相手の目を見て話すことができないため、他の人から2人の間に何かやましいことがあるのではないかと疑われてしまいます。実はこれらのことは全て他の空間の邪霊による妨害なのに、正念を持ってそれを取り除くことに考えが及ばないのです。これらのことは全部放下できない人間の観念が招いたものです。神の間には夫婦関係がありません、真に修煉する場合は、全てをきれいに放下しなければならないと思います。

 四、長期プロジェクト参加者に男女の情が生じやすい

 修煉は他でもなく名誉、利益や情に対する執着を放下することですが、根本からこれらの執着を放下できない人がいます。ある人は常人社会の中では放下しましたが、修煉の環境の中では、かえってこれらの執着心を引き起こして、自分の損得を重くみています。

 ある人は異性に会うとしゃべり方まで変わってしまいます。常人社会ではよく男女が組んで仕事をすることがありますが、中には色情を利用して私利を獲得しようと計ることがよくあります。修煉してからも、これらの手段を用いて人を引き留め、私情を利用して修煉の中で自分の利益を守ろうとします。男女の同修は同じプロジェクトの仕事をする中で、お互いに気にかけ、心配し想い合ったりして、自分の結婚相手より仲が良いのです。他の同修への信頼あるいは能力で判断せず、お互いの情に委ねています。男女の同修は常に一緒に行動していて、情にほだされる為、他の人からの指摘や意見を受け入れず、多くの同修と協調が取れなくなり、嫉妬心や闘争心が引き起こされました。

  また1人で資料点を運営できない人がいて、長い間に紙などの消耗品の提供やパソコンなどの維持管理を異性同修に頼っているため、だんだんとその人に対する依頼心、崇拜する心から男女の情が生じ、甚だしきに至っては嫉妬心や闘争心まで引き起こしてしまいます。

 これでは人間が大法の事を行っているのであって、心が純粋でないのです。大法が私たちに要求した、人々を救い済度する効果の基準に達していないのです。

 最近数年間、地元で不当な連行あるいは他の形で迫害されている大部分は男女の情が深く絡んでいます。このような妨害により、多くのことに影響をもたらし、世の人々を救い済度すること全体に損失を被ることになります。

 最近2年あまり、私は何度も周りの同修に男女の情について交流し、その危険性を分かってもらいたかったのですが、あまり効果が見られませんでした。師父は次のように説かれました、「あなたのどの執着も、あなたの修煉を台無しにしてしまいます」[1]。「言い換えれば、皆さんに教えますが、誰もあなたたちの修煉の成功を望んでおらず、誰もあなたたちの修煉の出来具合を考慮していません。旧勢力は自身が完成させたいことを完成させているだけで、それだけなのです」[1]。「皆さんはこの状況下で修煉しており、厳粛に対処することができなければ、本当に非常に危険なのです」[1]

 師父の説法を読んでから、清らかな心で修煉するよう注意を促す必要性を強く感じました。男女の情は修煉が成就できるかどうかの関です。全宇宙の神がとても重く見ています、必ずしっかり乗り越えなければなりません!

 この交流文を書いたのは、修煉者個人に対する咎めではなく、起きた出来事に対して自分の意見を述べただけです。偶然なことはなく、これらの行為は全て旧勢力の按排を否定できず、人間の一面が利用され、修煉者の神の一面はとても苦しんでいます。天目が開いた同修は彼らが各種の蛇に制御され、迫害されているのが見えました。この文章を読んだ同修はその修煉者を陰で議論しないようにお願いします。これらのことを教訓として、自分自身が異性との付き合いを厳粛に考え、自分の行為、心理状態を度が過ぎないように注意し、修煉の道を正しく歩み、大法に泥を塗らないよう気を付けましょう。

 同修の皆さん一人ひとりはみんなかつて師父の歴史上の親族です。師父の無量の慈悲と私たちへの期待に背かないよう、圓満成就して師父について自分の達した高い位置に戻ることを心より願っています。

 最後に一つ提案があります、各地の同修の皆さんはこれから、長期にわたり発正念をして、同修が一体になること妨げ、または同修の間に隔たりを作る要素と邪悪な生命を根絶し、同修たちの修煉を妨げる色魔、色欲及び共産党がつくった党文化の要素と邪霊を取り除きましょう。

 修煉上の交流ですが、法理にかなわないところがあれば、ご指摘をよろしくお願いいたします。

 合掌!

 注:
 [1] 李洪志師父の経文:『二〇一五年米国西部法会での説法』

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2015/11/14/319103.html )
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2015/11/25/153819.html)
 
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