性格は変えられる
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文/黒竜江省の大法弟子 浄蓮(仮名)

 【明慧日本2015年9月24日】私は1996年4月から修煉を始めた大法弟子で、62歳です。師父の慈悲なるご加護の下で、波乱に満ちた19年間の修煉の道を歩んできました。話したいことは多くありますが、自我に対する執着を放下した過程だけを述べさせて頂きます。

 一、性格は変えられる

 7人兄弟の4番目である私は、小さい頃から人の面倒を見ることが好きでした。10歳の時、両親は健康状態が悪化して、私は積極的に家事や炊事、衣服の整理などをしました。両親に好かれて、私は一家の主になりました。はっきりと記憶していますが、ある日、家の中を綺麗に清掃してから食事を作りました。家の中が汚されないように、兄弟姉妹たちに「外の部屋のかまどの横でご飯を食べなさい」と言いました。兄さんたちは聞こえないふりをして、わざわざ部屋に入ってご飯を食べました。怒りを感じた私は、まだおかずが入っている鍋にガソリンを流し込んで、門の外で大声で泣き始めました。帰宅した両親は彼らを叱責して私を慰め、漬物を一家の夕食としました。その後、私は益々横暴になって、兄弟姉妹に指図したり、父母の相談を受けたりして、本格的に一家の主になりました。

 性格が悪い私は、小柄で痩せているので男には勝てないと思い、結婚相手に一つの条件だけを言いつけました。「私を殴ってはいけない」。夫は優しく、何でも聞いてくれて、私はこの小さな家庭の主になりました。こうして何でも自分の判断で勝手に決める習慣を身につけました。30歳頃から健康が悪化し始め、性格は良くなるどころか、声が益々大きくなり、ちょっとした事で騒ぎ立てていました。子供達が10歳になった時、自分は既に老人のような気がして、健康の為にジョギングやダンス、太極拳、太極剣を習ってみましたが、全く効果がなく、苦痛の中で生きていました。

 1996年、幸運にも法輪大法に出会い、ベッドに横たわりながら、一週間で『轉法輪』を2回読みました。本の内容は非常に正しく、人間ならそうすべきだと思いました。本を読んでいるうちに体が軽くなって、気持ちもさわやかに感じ、ベッドから下りて家事が少し出来るようになりました。しかし気性は以前のままでした。本の中では「煉功者としては、殴られても殴り返さず、罵られてもやり返さないで、常に高い基準で自分を律しなければなりません」[1]と書かれていますが、自分はそれに比べてあまりにも程遠いと思いました。直さなければいけないと思いましたが、実行は難しかったです。最初の頃は何かあると大声で怒鳴っていましたが、自分を抑えることができるようになりました。その後、『轉法輪』を繰り返し読むと自制心が出てくることに気づき、時間があると本を読みました。1カ月後体にあった全ての病気が消えて、家族も苦しみから解放されました。

 師父はこう教えておられます。「悪者は嫉妬心によって、私のため、怒りのために、自分が不公平だと言います。善人は慈悲心が常にあり、憎むことなく、恨むことなく、苦をもって楽とするのです。覚者は執着心がまったくなく、幻の為に迷っている世人を静かに観ています」[2] 法に照らし合わせると、私は悪者そのものでした! 「私は必ず悪を取り除き、善を修め、覚者になります」。こう思った私は家族に宣言しました。「これから私は皆に従い、炊事係の小坊主になります」。こう言ってから実際の言動に移りました。家事全般をこなし、残飯を片付け、何かがあれば家族と相談し、彼らの事に気を配り、怒らないように努力しました。「常人には常人の求めるものがあり、われわれはそれを求めない。常人にあるものはわれわれはありがたがらない。われわれのもっているものは、常人がほしくても手には入らないものだ」[1]という師父の教えを肝に銘じて、常人との関係を正しく保ち家庭は和睦になりました。私にはまだまだ良く出来ていない部分がありますが、家族は満足そうに認めてくれました。夫の両親は私の心身の変化を目にして大法を修煉し始めました。

 二、自我への執着を取り除く

 夫は修煉後の私の変化を目にし、大法の良さを知り、非常に支持してくれました。しかし、夫は現実社会の利益や常人の執着などに囚われて「定年退職をしてから修煉をする」と言っていました。私は、彼の気分が良い時に少しずつ師父の説法や新経文を読み聞かせたり、同修の良い交流文章などを見せたりしました。徐々に、彼もある程度法理が分かってきて、定年退職をする前から修煉をし始めました。

 わが家は学法の拠点になりました。しかし、仕事をしている夫は家にいる時間が少ないので、いつも学法の時、非常に早いスピードで法を読み終えて、早く休みたくなります。私たちは普段、法を理解しながらゆっくりと読みますので、彼のスピードについていくことができず注意しました。しかし彼は聞いてくれませんでした。読むスピードが速いので、法の中に字を増やしたり抜いたりすることが多くありました。彼のことをコントロールしようとしている自分に気づき、我慢しました。そして「大法は必ず彼を変える」と思い、彼を励ましました。

 煉功をさぼる彼を見て、焦りを感じて叱る時もありましたが、自分に執着心があるために効果はありませんでした。時にはこう思いました。「2人が一緒に修煉するのは簡単ではない。彼に指摘した方が良いのか、判断も難しい。1人で修煉していた時の方がよほど楽だった。お互いを干渉せずにもいられたし」。内に向けて探してから気づいたのですが、「自我」への執着以外に、「情」の執着も強かったです。他人でしたら、学法をしなくても、煉功をしなくても全く気にしないのではありませんか? これらの心を取り除いてから、彼の修煉状態も徐々に良くなってきました。

 定年退職後、彼は三つのことを一生懸命やり始めました。私はまたも彼にあれこれと指摘したくなって、しかし、指摘すればするほど結果は悪くなる一方でした。これはやはり自我への執着だと認識し、放下するように努力しました。

 日常生活の中で、夫より優れていると思い、彼のあれこれが気に入りませんでした。しかし、修煉以来彼は大きく向上してきましたが、私自身はどうだったでしょう? 私は自我への執着を、徹底的に放下し解体しようと決心しました。

 同修と一緒にいるとき、自我への執着は最も強かったです。自分は協調人ではないのでわがままに行動しました。同修達は私の求めていることに素直に合わせてくれましたが、自分は逆に協調人にあれこれと意見を言いつけました。当時は大法のために意見を言ったと思いましたが、内に向けて探すとそれはやはり自我への執着だと気づきました。

 その他に、名利に対する執着や顕示心もありました。また、常人社会で形成された観念も修煉者に多大な害を与えるので、それも徹底的に取り除かなければいけません。そして、基準に達した大法弟子になりたいです。

 以上は現在の認識ですが、正しくない所があれば同修の慈悲なる指摘をお願いします。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
 [2] 李洪志師父の経文:『精進要旨』「境界」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2015/3/22/306537.html)
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2015/3/31/149546.html)
 
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