明慧法会|落伍して13年 地獄を出て天門に返る
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2017年1月14日】1996年の初め、病が長引いていた妻が法輪大法の資料をもらいましたが、妻は目がかすんで字がよく見えず、長く見ていると頭が痛くなるので、私が帰宅して夜になってから妻に資料を読んで聞かせました。その後、妻と共に師父の説法DVD講習会に参加しました。講習会では、妻の精神が日に日によくなっていくのが目に取れました。法輪功の病気治療と心の治療を目の当たりにしたので、私も法輪功の修煉を始めました。

 1999年「7.20」、江沢民が法輪功への迫害を開始し、私は半月間、無理やり刑務所に入れられ、その後、妻も100日以上拘禁され、家も外も職場も気を休めるひまがありませんでした。自分は法の勉強が浅く、法を知らなかったため、圧力の下で書いてはいけないものを書いてしまいました。そして中国共産党は「外面から見るとあなたが書いたものには中国共産党と同じ認識が含まれているが、あなたの話には言外の意味が含まれているようにも思われます。いずれにしても、あなたは『転向』しました」と言いました。

 いわゆる「刑務所外保釈」によって私は職場に戻されました。職場では私のために専門の部屋が設けられ、責任者を割り当てて監視し、いわゆる「保証金」を払わされ、法輪功を中傷する資料をいつも持たされ、私に読ませました。その資料を多く読むうちに、私は信じる気持ちが足りず疑いを持つようになり、最後には半信半疑になってしまいました。最初は監視している人が私に修煉をさせませんでしたが、その後は、自分から修煉を放棄してしまいました。

 常人に戻って13年間 死が目の前に迫る

 師父は私たちに「法の要求通りにしない者は法輪大法の人ではないので、あなたの身体を常人の位置に戻し、良くないものもあなたに返します。 というのもあなた自身が常人になりたいと思っているからです」[1]と説かれました。

 常人に戻って十数年来、毎年の医療費と薬代は少なくても数千元、多いと1、2万元で、各種のサプリメントや食品などはくまなく試し尽くし、それでも健康を味わうことはできませんでした。テレビを2台使い潰すほど見て、三丁の二胡が壊れるほど弾いても楽しい人生を引き出すことができず、7度も続けて入院しました。そのうち2回は緊急搬送されて病院に送られました!

 2013年の初めになり、まず目が辛くなり、その後、のどから物を呑み込むのに不快感を感じるようになりました。9月になり、500メートル走ると休まなければならなくなり、二胡の弓さえ持ち上げられないほど本当に力がなくなってしまいました。県の病院に検査に行くと、筋無力症とはっきり診断されました。インターネットで調べてみると、現在まで全世界で病因が見つかっていないことがわかり、このような病があることは知られているが、漢方でも西洋医学でも良い治療方法はなく、さらに、医療費と薬代が高く、毎月約1万元余りかかりました。

 そこで、10月の初めに実家に帰り、密かに葬式を準備し、90過ぎの老母と2日間過ごし、これをお別れにしようと決めました。もちろん、これらのことは私1人しか知りませんでした。

 家に帰ると、別の大病院を探し再診を受けました。検査の結果は、ただの筋無力症ではなく、全身性の筋無力症で、医者は「常に生命の危険があります」と言い、すぐに入院するように言いました。この時、死に直面していても死ぬ覚悟をすることを恐れることはありませんでしたが、こんなにも死期がやって来るのが早いとは思いませんでした! その後、さらに食べられなくなり、よく眠れなくなり、いらいらして気持ちが乱れました。

 ある日の朝、妻が私を呼んで野菜畑を回りました。それから妻はサトイモを掘り始め、私はそばで見ていました。すると、突然「パキン」と妻の手の中のシャベルの柄が折れました。そして、妻が私に「家に持って帰ってきちんと取りつけてください、取り付けてからまた掘りましょう」と言いました。私は「今年は私がスコップの柄を取り付けるが、来年は誰が取り付けるのか?」と林黛玉が花を葬る心境(訳注:18世紀中頃の中国の長編小説『紅楼夢』のエピソード)が湧きあがってきました。そして、つらい涙がこぼれました。そして、急いで妻に背中を向けて「帰って休みたい」と言いました。私が歩いて行った後、隣の友人が妻に「旦那さんの情緒は以前の様に良くはなさそうですね」と言いました。

 家に帰った後、妻に尋ねられたので、どちらにしてもすぐに病院に行かなければならないと思い、実情を妻に伝えました。すると、妻は涙を浮かべながら「治す方法があるのなら、お金を使って治すだけですから、ローンを組んで、家を売ってでも治しましょう。もし治す方法がないのなら、私と一緒に法輪功を学びましょう」と言いました。そこで私は「私がいままで話さなかったのは、そういう風に言われると思ったからです」と言いました。

 この時になっても、やはり私は常人の心にしがみつき放下しようとしませんでした。

 修煉に戻り雲が晴れた

 夜になると、妻が7、80歳の古い大法弟子を2人連れて来ました。2人とも教授レベルの人でした。その内の1人が「あなたのこの病気ですが、治したいのなら手伝ってあげることができます、私は100人以上の病院の教授を知っており、あなたが指させば、彼らはそこを治療し、サービスがいいことも保証されており、医薬品も最も良いものを選び、すべてあなたを満足させるものです。しかし、彼らはあなたがよくなることは保証できず、なぜなら私たち教授の中にもこの病気を患い去って行ったものがいるからです。最後に人も財産もなくしてしまうまで治療を続けなければならないかもしれません。最も良い方法はたった一つ、大法に戻って来ることです。これは腹蔵のない話です。私が思うには、あなたの病気は虚像であり、以前あなたが入院した時、師父はあなたを待っており、あなたを悟らせようとなさいましたが、あなたは悟らなかったのです。今回、師父はさらに重い悟りをあなたに与えました。法を正す事がすでに最後になっており、これが最後の一喝であるかもしれず、あなたが悟るか悟らないかを見ているのです」と言いました。

 古い大法弟子が帰る時、立ちあがって見送ろうとすると、古い大法弟子は「私たちを見送らなくてもいいですから、あなたの返事を早く聞かせてください」と言いました。そこで私は「お二人の話は慎重に考慮しますので、考える時間をください」と言いました。

 古い大法弟子たちが帰った後、妻に「休憩したい」と言いました。すると妻は「横になってください。あなたが横になっている間に私が本を読んであなたに聞かせてあげます、いいですか?」と言いました。私は反対しませんでした。そうして横になりながら聞いているうちに、知らないうちに眠ってしまいました。

 次の日の朝5時に目が覚めると、妻が「一緒に煉功できますか?」と言いました。そこで私は「煉功しましょう」と言いました。5式の功法を煉功してから、双盤の座禅を1時間、私は持ちこたえました! しかし、こんなことは以前はなかったことでした。煉功が終わると、楽に感じました。

 午前中に娘たちが私を見て「今日は昨日よりずっと元気がある!」と言いました。そこで私は「病院での治療を放棄することを正式に決め、お母さんと一緒に煉功します。しかし、要望が一つあります。この関を突き破ることができれば、私はやはりあなたたちのお父さんで、あなたたちもお父さんと呼ぶことができます。しかし、もし私がこの関を突き破れなかったとしても、お母さんのせいにしてはならず、ましてや法輪功のせいなどにしてはならず、これは私個人の心性の問題で、こうなるように運命づけられていた、ということだからです」と言いました。

 娘たちは私の決定にはっきりと同意しました。このようにして、私は正式に大法修煉に戻りました。

 この3年間の修煉の道

 2013年10月18日、正式に大法に帰りました。大法に帰った後、一刻も無駄にせずいくつかのことを行いました。

 まず行ったのは、3千元余りした各種の薬とその他の病気を治療するための物品を処理することでした。これらの薬の大部分はまだ清算していませんでした。

 言うなれば本当に、神を信じたら神に会った、という状態でした。薬品を処理した時、高血圧の薬だけを残し、その他の薬はすべて処理しました。その時、高血圧で問題が起きたら薬で何とかしなければならないと思い、薬の処理を2段階に分けて実行しようと思ったのです。初日の朝、血圧を測ると80/120で、今までになかったような正常値でした。しかし、水銀血圧計に問題があるのではないかと気がかりになり、電子血圧計を持ってきてもう一度量ってみると、やはり同じように正常でした。それでも私は悟らずに、以前のように、決められた時間と数量で高血圧を治療するための薬を飲みました。しばらくしてから再び量ってみると90/160になり、下がった血圧がまた上がってしまいました。その時になって「これは師父が悟らせてくださっているのだ」と悟り、その場で高血圧の薬を処理しました。血圧計ももう必要ありません。師父は私のような意気地のない弟子に、本当に少しずつ教えてくださったのでした。

 この日以降、薬を一切飲まなくなりました。身近に薬はなく、足湯治療器、お灸、吸い玉、湿布薬、腰肩治療器、いびき治療器などもすべて処分しました。今の私は、顔が赤くつやつやとしており、元気に満ちていて、食事量は減っておらず、体重は元々の九十数キロから八十数キロに落ち、顔のシミとしわが見えなくなくなり、私が74、5歳の人には見えない、と他の人は言いました。

 次に行ったのは、半年以上かけて47冊の大法書籍を一通り通読したことでした。大法書籍を読んでいると、もともと煉功したくないと思っていたわだかまりが知らないうちに晴れ、中国共産党による法輪功中傷が嘘だとはっきり認識し、中国共産党から6、70年にわたって党文化の洗脳を受けた後に形成された思想意識と観念をひっくり返しました。もちろん、これは私の思想上における基本的で、初歩的な認識と変化で、さらに中国共産党によって思考の中に入れられた更に深く更に細かく更に毒害されたものがあったので、継続して法を学び修煉する必要があり、それではじめて徹底的に取り除き、一掃することができました。

 そして3番目に行ったことは、親友の家に行き、真相を伝えることでした。

 大法から離れていた13年間に、親戚や友人の範囲内で法輪功に対する良くない話を話したことがありましたが、それに反感を覚えた妻は修煉を堅持し、法輪大法を放棄しようとはしませんでした。私が不治の病を患っていたことを、親友たちの多くが皆知っていました。一人一人尋ねて真相を伝え、自分の過ちを認め悔い改めました。そして、何のために法輪功に戻って再び修煉したのかを親友たちに伝え、修煉前後の変化を伝えました。そして、真相を伝え「三退」を勧めました。

 しかし実際、この13年の間に親友たちの多くは妻がすでに三退させていました。

 ただ私にそれを伝えなかっただけで、この時初めて私はそのことを知ったのでした。

 4番目に行ったことは、前へ進み出て行く事でした。

 半年後、妻やほかの同修と資料を配りに出て行き、真相を伝え「三退」を勧めました。大法から離れすぎていたために、しばらくは世の人々にうまく真相を伝えられませんでしたが、外に出かけた時は自分が行えることを行い、たとえば正念を発したり、資料を配ったり、他の修煉者のために周囲の動きと環境の安全を観察したり、良くない要素を取り除いたり、同修が真相を伝えている所に行って相槌を打ってサポートすることもありました。2年余りの間、風が吹いても雪が降っても、お正月であろうと、1日も休むことなく外出して真相を伝えに行きました。あちこちが痛かったりする時もあり、いろいろなつらい現象が現れたこともありましたが、私が出かけて法を実証する活動を食い止めることはできませんでした。

 江沢民告訴が始まり、自分が地元で重点的な監視対象になっていることをはっきりわかっていましたが、やはり勇敢に立ち上がり、江沢民が法輪功を迫害したことを告訴し、中国最高法院と最高検察庁への配達証明書を得ました。そして、他の同修のために心を込めて江沢民を告訴する手紙を完成させました。

 感想

 師父が法を正される貴重で限られた時間の中で、なんと13年間も大法を離れてしまい、どの面を下げて皆の前でこの表面的な認識と進歩を見せればよいのか、ましてや師父に会わせる顔などありませんでした。師父は私たちを指導し「功能といい、功を開くことといい、みなあなたが大法の中で修煉して得たものにほかなりません」[1]と説かれました。私の変化、私の進歩は私自身がどのようにできたのかではなく、これは師父の慈悲深い済度であり、師父の威徳だったのです! ですから、自分の経験を書き上げ、師父への無限の感謝を表さなければなりません! 第2の人生をくださった師父に感謝申し上げ、私の本体が大法の修煉を始められるように引きとめてくださった師父に感謝申し上げます。今後は、刃が常に首元にあるかのような心持ちで、一筋に師父について家に戻らなければなりません!

 両ひざを跪き師父に拝礼いたします!

 また、私を気に掛け、助けてくれた同修の皆さんに感謝いたします! 妥当でないところがありましたら、ご叱正をお願いします。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪

 (明慧ネット第13回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2016/11/7/337155.html)
 
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