修煉の道に神の奇跡がある
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​文╱中国の大法弟子

 【明慧日本2017年1月6日】私は1999年から修煉を始めました。修煉を始めた頃は、まるで子供が宝物を手にしたように、毎日宝の本を手に持って、昼間に読んで、夜にも読んで、疲れたら寝り、目が覚めたらまた読みました。昼間、煉功拠点に人がいれば、一緒に煉功し、夜も人について煉功し、どこかで師父の説法ビデオが流れていれば、そこで見ました。当時、常々大法の威力を感じ、師父の慈悲なるご加持を感じました。

 修煉を始めて数カ月後、迫害が始まりました。当時、テレビは毎日のようにデマを飛ばし、大法と師父を誹謗中傷し、外に出かけると、街中の人々が放送されたでっち上げた虚言を噂していました。私はとても辛くて、彼らにそれはすべて嘘だと伝えましたが、信じてくれませんでした。仕方がなく、私は一箱のチョークを買ってきて、壁に、電信柱に、石板などの目立つ所に「法輪大法は素晴らしい、真善忍は素晴らしい、大法の潔白を返せ、師父の潔白を返せ」と書きました。「邪道は正道に勝てない。いつか皆さんは分かってくれるだろう。私達は必ず法を正してみせる」と思いました。

 わずか7分間

 ある時、私が鞄いっぱいの資料を持って出かけようとすると、夫が帰って来ました。私が資料を配りに行こうとしているのを見て、夫は「僕も行くか」と言って、資料を受け取とうとしました。「大丈夫です。あなたは家で待ってください。すぐ戻ってきますから」と言って出かけました。たくさんの資料をあっという間に配りました。家に戻って来ると、夫はリビングにいて不思議そうに、「あなたは資料を配布に行ったのではないか?」と言いました。私が「ええ、行ってきましたよ」と答えると、夫は「全部配ったの?」と聞きました。「もちろんです」と答え、夫は「時計を見て」と言い、私が時計を見ると、わずか7分間しか経っていないことが分かりました。これはまさに神の奇跡です。それから、私は更に自信を持つようになりました。これは学法の効果だと思い、時間があれば法を習い、暗唱し、師父のおっしゃる通り三つのことを行い、自分が果たすべき使命を懸命に果たすようにしました。

 ある日の午後、3時半に子供を迎えに行く準備をしました。学校は我が家から遠く離れているため、私はいつも早めに出かけ、途中、人を救うこともしていました。しかし、その日、携帯電話とネット封鎖を乗り越えるソフトを探すため、少し遅れて、時計を見るとすでに4時過ぎになりました。私は急いてかばんを背負って、時間のことを考えずに、学校に到着したら、11分しかかかっていないことが分かりました。これは普段ではとてもありえないことです。

 飛び上がった

 ある日の夜、私は製粉工場の玄関前に来ました。その場所は真相シールを貼り、真相資料を配るにはとても適切な場所だと思い、玄関の横に一部の資料を置いて、そして「縁のある人がもらえるように、縁のない人は邪魔しないように」と一念を発しました。工場の入口の前に、それぞれ二本の太い電信柱がありました。しかし、その電信柱の下には長くて深い溝があり、溝の両側に泥が高く積まれていました。「どうしよう」と困った時、師父が側にいらっしゃるから、きっと出来ると思って、私は一気に片方の泥の上に上りました。この時、人が来ました。私は「この人を振り向かせないように」と一念を発しました。その人は本当に振り向かず行ってしまいました。二本の電信柱に真相シールを貼りました。資料も全部配りました。家に帰って時計を見たら、それほど時間が経っていないし、靴を見たら、まったく泥がついていないことが分かりました。製粉工場前の二本の電信柱に真相シールを貼る時、自分が軽く飛び上がったシーンが脳裏に蘇って来ました。

 修煉の道にまだまだ多くの神の奇跡がありました、ここではもう一々挙げることをしません。師父は「神を修めているので、必ず神にまつわる奇跡が存在しています」 [1]とおっしゃっています。偉大な師父は私たちに常に細心なご加護と激励をしてくださっています。弟子は師父の御恩に対する感謝の気持ちを表し切れません。これから、さらに着実に修め、三つのことをしっかり行い、師父の慈悲なる済度に背かないように致します。

 慈悲で偉大な師父に感謝いたします!

 注:
 [1]李洪志師父の著作:『各地で説法五』 「二〇〇四年米国西部法会での説法」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/1/1/340158.html)
 
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