自分の能力などに執着しないこと
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 【明慧日本2016年8月29日】師尊が大法を伝え始められた1992年から今日まで、すでに24年になります。私たちの身近には、20年近く修煉してきた古い弟子が多くいます。皆、自分なりの修煉の心得があって、自分の成就に向かう方式とやり方があります。特に、肝心かつ危険で重要な位置にいる大法弟子たちは、神通力があり、思いのままに神通力を使っています。これは自分の生死と引き換えに得た威徳だと思います。

 しかし、当時、ある問題が現れました。一部の同修は自分の悟りが高く、良く修めていて、多くの大法を実証することを行ってきたことに執着し、同修の間で顕示し、歓喜心や名利心、嫉妬心などが生じ、反対意見を聞きたくなく、嫉妬心のゆえに同修を排斥し、しまいには小さな団体を成して、互いに攻撃し合い、同修たちに良くない影響を与えているだけではなく、自分と周囲の同修たちを危険な境地に追い込みました。このような事態が、私たちの地区では少なくとも4回発生しました。毎回、事態は中心人物の同修が、不当に連行されることをもって終焉となり、多くの同修を巻き込み、法を実証し衆生を救うことに大きな損失を与えました。

 師父は、「仕事の成功は常人の中での現れ方に過ぎないものです。人に法を得るようにさせることと大法の広まりは、大法そのものの威力と法身の具体的な按排によるものです。私の法身がこれらのことを成さなければ、大法を広めるどころか、責任者自身も保障され難いのですから、いかなる場合でも、自分がいかに偉いかなどと思わないで下さい。大法には名も利も官もなく、ただ、修煉あるのみです」[1]とおっしゃっています。

 師父は個々の同修にある方面の智慧や才能、弁舌の才、策略等を与えるのは、名利を求めるためではなく、我々が修煉し、法を実証するためです。大法がなければ、正法の時期でなければ、あなたはこのような才能を持つことが可能でしょうか? 師父の保護がなければ、あなたは修煉できるかどうかも疑問になります。

 正法時期にさしかかる宇宙の中で、衆生は多くの忘れ難い教訓を経験しました。淘汰されたのは、旧勢力が選択し、按排した各次元のもっとも有能な佛道神でした。それでもあなたは自分の能力に執着しますか? 師父の法を正す要求に沿わなければ、たとえ天なる能力があっても、何の意味があるのでしょうか? むしろ能力が大きければ大きいほど危険だと思います。明慧ネットに、満身の卍字符を持つある覚者が迫害に参与し、大法弟子の三声の「滅」によって消滅される事例の文章が掲載されたのではありませんか?

 そのようなことは多くあります。私は漸悟する弟子です。邪悪に不当に連行されて刑務所に入れられた時、私は神通力を使いませんでした。邪悪は意のままに私を迫害し、嘲笑しますが、彼らの心が黒くて偽物です。私は神通力を使わず、純粋な心を持って多くの難関を乗り越えてきました。神通力を持って自分を保護することはできません。私が用いたのは、正しさ、漏れなし、いかなる形の死に対しても恐れなしでした。

 正法の中での教訓は本当に多くあります。自分の天国の主として、あなたはいかに自分の衆生に責任を果たしていますか? 衆生に対し、責任を果たすことができますか? 主としての栄耀(注釈:えいようとは、大いに栄えて、はぶりのよいこと) を享有するだけではなく、それ相応の責任も果たさなければなりません。ならば、多くの同修を自分のところに囲い込んでいる同修に聞きますが、あなたは彼らを保護できますか? 皆に崇拝され、あれこれと聞かれるあなたは、彼らを圓満成就させることができますか? 私の身近にこのような問題で命を落とした例があります。

 正法の中で自分の世界の理、旧宇宙の理に執着し、多くの古い神々は自分の按排に執着して、他の多くの佛道神や衆生を駄目にしてしまいました。大法弟子が正法の中で自分の世界を成就し、自分の世界の理を得ることができましたが、それは宇宙において一つの次元の一点に過ぎず、一つの微塵に過ぎません。真・善・忍という宇宙の大法の中から悟り得たものは、宇宙全体を包括できますか? 弟子同士の世界でさえ見えず、師父の世界も見えません。また、師父は「成住壊滅の法理は旧宇宙の全ての要素、物質と生命を作り出しましたが、同時に全てが壊に向かう法理を壊も定めました」[2]とおっしゃっています。誰の法理に執着しますか? 執着の結果は、今日の旧勢力が按排したものではありませんか?

 旧勢力は自我への執着を放下せず、自分のためという根本的本性から抜け出せず、他人を先に自分を後にするとは何かが分かっていません。今日の正法の中で私たちが分かったのですが、師父は宇宙の外にいらっしゃって、真・善・忍を作られました。宇宙を救えるのは大法しかありません。いかに宇宙を救い、いかに大法に同化していくかは、師父の按排に聞き従って初めて無私になり、公のためになると思います。

 同修の皆さん、自分の能力などに執着しないで下さい。洪大な正法の勢いの中で、それが言及される価値がなく、大法弟子の間でも言及される価値がありません。一切の根本は真・善・忍です。自分の能力や神通力に執着するあまり、衆生を救うことができず、法を実証することができなければ、最終的には全てを失ってしまいます。

 最後に、師父の説法を引用させて頂き、この交流文を終えたいと思います。「さらに皆さんに教えますと、実際には、皆さんの以前の本性は、自らのため、私のためを根本としたものだったのですが、今後、何かをするときには、まず他の人のことを配慮して無私無我で、なおかつ他人を先に、自分を後にするという正覚にまで修め遂げなければならないのです。それゆえに皆さんは、今後何かを行い、何かを口にするときにも、他の人のため、ひいては後世の人のために考えなければなりません! 大法が永遠に変わらないようにするために考えなければならないのです!」[3]

 以上は個人的な認識ですが、同修の参考になれば幸いです。引用させて頂いた師父の説法の部分には、さらに深い内包がありますので、同修の皆さんは法を師とし、ともに精進することを願っています。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「猛撃一掌」
 [2] 李洪志師父の著作:『二〇〇三年元宵節での説法』
 [3] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「佛性に漏れなし」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2016/8/21/333278.html)
 
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