同修を許す
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文/ 中国の大法弟子

 【明慧日本2015年4月1日】体に病業の虚像が現れた同修が実家から戻ってきて、すでに3カ月経ちました。帰って来た当時、同修の胸は化膿して腐り、臭いを放ち、腰から下はほとんど感覚がなくなっていました。3カ月経って、状況は大きく改善されましたが、しかし、皆が期待しているほどの状態にならず、いまだに立ち上がることが出来ません。

 この3カ月間、病業に苦しんでいる同修を助けるため、かなり多くの人力と時間を投入しました。それに対して、大法弟子の間にも、異なる修煉状態、異なる考え方、またそれぞれ異なる対応の仕方も現れ、一部の同修が私の所に来て、いろいろな意見を言いました。ここで、自分の考えを述べさせていただきます。

 一、同修を許すこと。修煉はいつでも、内に向けて探し、自分を修め、善意をもって他人を助けることです。それを忘れてはいけません。

 皆は同修に、自分が犯した過ちを暴露するように勧めました。同修も本当にそれを暴露しました。表面上では、皆は何も言いませんが、しかし、心の中では本当に同修のことを許してあげたのでしょうか?

 例えば、同修は男女関係において過ちを繰り返し、さらに中絶までしたことを告白しました。この件について、皆は同修である彼女の夫に同情したのではないでしょうか。同修が苦しんでいる姿を見て、「当然の報いだ」と思う人心を持っていたのではないでしょうか。私達は本当に自分の心理状態を見つめ、自分の状態を調整しなければならないのではないでしょうか。私達は彼女を助けながら彼女を許さず、彼女を上へ引っ張りながら、落としているのではないでしょうか。

 修煉は自分を修めることで、同修を修めるのではありません。魔難の中にいる彼女はすでに大変苦しんでおり、私達は彼女を理解して許し、彼女を温かく見守り、本当の優しさで彼女を助けなければなりません。

 二、自分の考えを同修に押し付けないこと。病業に苦しんでいるいる同修は、相当の苦痛に耐えており、また大法弟子からの様々な圧力に耐えなければならない状況に置かれています。

 同修を助けに来る大法弟子の誰もがとても強気で、皆はそれぞれ自分が大法から悟った法理を持っており、誰も魔難に対応する自分なりの方法があり、個人修煉の過程で正念の強い人ばかりです。自分の道をしっかり歩み、しかもその道をどんどん切り開いて行くので、自分の考えが正しいと思っているのではないでしょうか。

 魔難の中にいる同修を見て、皆は誰もが自分の最善の方法を出して、同修にこうして欲しい、ああして欲しい、こうすべきだ、ああすべきだと言います。しかし、これらの方法は、かえって、魔難の中にいる同修に大きなプレッシャーを与えてしまいます。

 これらの圧力はすべて大法弟子から来るものです。魔難の中にいる同修が圧力を感じていると言っても、他の同修はそれを理解することができず、「圧力ではなく、激励ですか」と言うのです。

 しかし、分かってほしいのは、すべての同修が言っているのは長い時間をかけて実践して得た方法ですが、魔難の中にいる同修は短時間で向上しなければなりません。それは難しいことです。それにもかかわらず、同修が自分の提案通りにやり遂げなければ、失望、非難、愚痴、恨み言、焦りなどの言葉が飛び交います。言葉そのものは優しくても、非難する中身は変わりありません。

 これらの人心が出た時、皆はこの機会に、自分を修めるべきです。皆が向上して、皆の心が静かになれば、この魔難は実はもう存在しなくなります。大法弟子の命は師父に預けているので、私達大法弟子はそれぞれ自分がしっかりやるべきことをやれば、それで十分です。あなたが執着しなければ、その難は難ではなくなり、存在しなくなります。

 三、同修に強要しないこと。同修を助けることは今、問題となっています。一部の同修は、魔難の中にいる同修が法に符合していない行動をまだ告白していないのではないか、「人心を放下して、思い切ってすべて言い出して、暴露し解体して、はやく向上すべきだ」と言います。

 しかし、私達は同修に注意することは出来ても、強要することは出来ません。何をしても、善の念を動かさなければなりません。目的に達成するため、方法を重んじる必要があります。善のエネルギーを少しでも与えたほうがいいのです。プラスとマイナス作用を同時に働かせば、それはエネルギーのロスではないでしょうか。自分の心理状態を正しく保ち、ひたすら前に進むのではなく、一歩引き下がれば世界が広々と開けるのです。

 四、人と時間をうまく按配すること。今、大法弟子の誰もが全力を上げて、三つのことを行い、人を救い済度しています。しかし、同修を助けに行ける人は往々にして、この方面もよくやっている人ばかりです。同修を助けることも大事ですが、世間の人を助けることも大事です。どちらも修煉で、そのバランスをうまく保たなければ、隙に乗じられやすくなります。この関係をうまく取れることだけでも凄いことです。

 五、マイナス的な情報を伝えないこと。見たことにしても、感じたことにしても、本当にしても、嘘にしても、修煉者は口を修め、心を修めることが大事です。無駄なことを言わないようにしましょう。耳にしたことも伝えないようにしましょう。一念にはプラスとマイナスの作用が同時に生じます。今日まで修煉して、旧勢力は何ものでもなく、多くの障害は大法弟子自身から来るものだ、と私達は分かるはずです。普段あまり気にしていないものこそ、修めるべきではないでしょうか。

 焦らないで、自然に任せることです。自分が修煉者であることをしっかり覚え、出会ったすべてのことは偶然ではないはずです。同修は一枚の鏡のように、私達の修めるべきものが写っています。内に向けて探し、自分を高め、本当に向上して、振り返って見れば、その難は何でもないことが分かります。師父は前で私達を待ってくださっています。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2015/1/20/303372.html)
 
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