明慧法会|変わり者の私が大法弟子になった(一)
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 【明慧日本2015年1月6日】(次の文へ

 私は新しい学習者です。精進してはいませんが、私は大法を実証したい心を持っています。学法グループに参加して数日後に『轉法輪』に書かれているような、「師父が学習者に身体を調整する」という現象が現れました。当時、私は悟ることができず、病気にかかったと思いました。妻と同修たちは喜んで「あなたは大法との縁が本当に深い。修煉をはじめたら、もう師父があなたの面倒を見始めている」と言いました。私は皆がその事が良いことだというので、我慢しようと思いました。まもなく私は無病状態になり、身体が軽やかになりました。

 

 私は57年間生きてきましたが、まわりからの評判は良くなく、問題もたくさん抱えていて、母と息子や妻以外の人との付き合いがとても少なかったのです。私は性格がとても強情で、何かを容易に信じませんでした。また喫煙と飲酒の良くない嗜好があり、心が狭く、かんしゃく持ちで、下品で怠けものでした。私をよく知っている人は陰で私の事を変わり者だと言いました。しかし、師父は私を変わり者とは扱いませんでした。

 

 私が法輪功を学び始める事はとても難しいことでした。私は最初は大法に反対していなかったのですが、法輪功に対する迫害がはじまってから、大法を敵視するようになりました。しかしその後、真相が分かり、私は改めて大法を認識しました。それから数多くの困難と挫折を経験し、大法の周りを16年間も徘徊してから、やっと返本帰真の路を歩みはじめたのです。

 

 迫害は私と妻を仲違いさせた

 

 妻は1996年には大法の修煉を始めていました。当時は私も彼女をとても支持していました。その頃、現地で開催された法輪大法書画展に、私は妻と一緒に見学に行きました。当時、とてもよい感じでした。心の中で、私は修煉者ではないが、修煉者の家族である事を誇りに思っていました。

 

 その数年後の1999年7.20以降、江沢民をはじめとする中国共産党政権は法輪大法に対して天地を覆い隠すように誹謗し、デマを流しました。また血なまぐさい事件を捏造し、大法に泥を塗り、民衆に法輪功を恨むよう扇動しました。憐れな事に私は全中国の民衆と同様に騙され、とても深い害毒を受けました。この残酷な迫害により、私と家族は大きな苦しみを嘗め、悲惨な境地に陥りました。いま思い出しても、恐ろしくてゾッとします。普通の小さな迫害については語りませんが、ここで私を最も大きく傷つけた3件の出来事を述べます。なぜなら、それらは私が法を得る事を妨げる、あまりにも大きな障碍となったからです。

 

 1回目:ある日の深夜、私達が熟睡していると、突然思い切りドアを叩く音が聞こえました。私はドアを開けようともしませんでした。しかし、ドアを叩く音はますます大きくなり、もうドアを打ち砕きそうでした。隣近所を更に騒ぎを大きくしないようにと私はドアを開けました。すると数人の警官が有無を言わせず、私の部屋に押し入り、家の箱をすべてひっくり返しました。最後に彼らは師父の説法DVD数枚と大法の資料を数枚見つけました。

 

 彼らは口実を掴んで、妻をオンドルから引きずり下ろし、外へ引っ張りだしました。子供は驚いてずっと泣き続け、私は泣いている子供の面倒を見ていて、妻を助けることができませんでした。妻が4、5人の警官に引っ張られて行くのを見ながら、私はどうしようもありませんでした。私は驚いて呆然としている子供を抱いて、グチャグチャになった部屋の様子をみながら、泣こうとしても涙もでませんでした。

 

 2回目:その日、妻が子供を学校に送ろうとして家を出ると、派出所の警官に路を塞げられ、無理やりカバンを奪い取られて妻はひっくり返りました。警官は数枚の真相資料を見つけると「私達と一緒に派出所まで行きましょう」と言いました。妻は「私は子供を学校に送らなくてはいけない」と言いながら、警官を避けて、子供を連れて、その場から離れようとすると屈強そうな警官の1人が妻を捕えて放そうとしませんでした。妻は逃れることができず、警官に地面に押し倒されました。私が前へ出て、警官に道理を説明すると、もう2人の警官が私をめがけてやってきました。その時、妻は警官を振り払って逃れ、子供もどこかに走って行きました。彼らは妻を見失うと私が「公務執行妨害」したと言いだし、無理やり私を派出所に連行しました。彼らは私に強引に「公務執行妨害」したと書いた紙にサインさせようとしました。私は拒否しました。彼らは「サインしないと釈放しない、おまえが妻を見つけて来ない限り、おまえを公務執行妨害の罪で勾留する」と言い放ちました。当時、私は人心が重く、妻と子供、そして鍵をかけてない家のことも心配で、仕方なくサインしました。

 

 3回目:2008年オリンピック開催の間、この日もまた夜でしたが、派出所の警官が我が家にやってきました。彼は妻が留守なのを見たのにもかかわらず、帰ろうとしませんでした。そして夜中に眠くなると、彼らは我が家のオンドルで一晩寝ました。朝になって、私が卸売市場に牛乳を届けようとすると、警官は「お前の妻を見つけて来ない限り、牛乳を売ろうと思うな」と言いました。警官に邪魔されたため、その日、私は牛乳を届ける時間を逃してしまいました。後で私が慌てて卸売市場に駆けつけると、もう市場は終わっていました。残った牛乳を持って家に帰った私は息苦しく感じ、またむしゃくしゃして、とてもがっかりしました。

 

 毎回迫害されると妻はしばらくの間、家を離れていました。その間、家事のすべてを私が1人で負担しなければなりませんでした。しかし、私は、料理を含め家事が苦手であって、家はとても乱れていました。男の私が子供の面倒をみながら、仕事と家事をしたため、忙しくて堪え難い状況に追い込まれ、散々な目に遭いました。私は精神的に崩壊しそうになり、実に耐え難いものでした。大法に対する中共の中傷のため、私は妻と大法に対して恨みを持ちました。法輪功を引き続き学んでいけば、私の家族はばらばらになり、生活は破綻してしまうと思っていました。私は離婚すると妻を強迫し、修煉を放棄させようとしましたが、妻は同意しませんでした。怒った私は彼女を罵ったり、殴ったりました。妻が『轉法輪』を読むと、私は本を奪い取って外に捨て、妻がオンドルで発正念すると、彼女をオンドルから床に引きずり下ろしました。また他の法輪功学習者が我が家に来ると、私は彼らの腕を掴んで、外に引っ張り出し、追い出しました。酷い場合は大法を罵り、師父を罵りました。当時ほかの空間の邪悪があまりにも多く、私は邪霊に制御されて、この状況から抜け出せなかったのです。私は妻に協力して邪悪に抵抗する事ができなかっただけでなく、かえって邪悪に利用されてしまい、マイナスの作用を働きました。それにより、邪悪の迫害を助長し、私自身も業力をたくさん作りました。幸いに妻は、この数年間、私を嫌うことはなく,私がどんなに彼女にひどく対処しても、終始変わらず私に真相を伝えてくれ、何回でも私を諭してくれました。私は『共産党についての九つの論評』とたくさんの真相DVDを見て、真相が分かり、新たに真相を認識する事ができました。

 

 私は自分がこんなバカバカしい状態で仕出かしたすべてをとても後悔しました。師父に、大法に、そして妻と同修に申し訳がありません。妻は私を手伝って懺悔書を書き、明慧ネットに投稿しました。そうして、私は改めて妻が修煉することを支持し始めました。

 

 ここで私に、この万古以来、極めてまれな、罪を償うプラットフォームと機会を提供してくださった師父に感謝し、明慧の同修に感謝します。

 生命の瀬戸際に追い詰められた私を師父が救ってくださった

 

 師父は「人間がこの世で何を行なっても、自分自身で責任を負わなければなりません。何を行なっても業による報いの中で償うのです。現世で報いに遭う人がいますが、それは人間に気づかせ、警鐘を鳴らしているのです。後になって報いに遭う場合もあります」[1]と説かれました。

 

 2010年の初夏、私は人生の最悪の時期を迎えました。ある日、私は市場に行って、牛乳を販売し終えてから、帰宅する時、突然身体の調子が悪くなったと感じました。脚が先まで痺れ、思い通りに動かなくなりましたが、頑張って家まで歩きました。私は妻に「まずいぞ、私は病気にかかったらしい」と言いました。妻は笑いながら「冗談はよしてください、あなたはこんなに元気なのに、どこから病気が来るというのですか? 病気だと装っているのでしょう」と言いました。私は「本当だ、嘘はついていない」と言いました。翌日になると、私は話す時の発音がはっきりしなくなり、口もとが斜めになり歪んで、よだれが出てきました。また、指がスムーズに動かないという症状が現れ、最後には靴のひもを結ぶ事もベルトを締める事もできず、食事をする時に箸を手に持ったり、スプーンさえしっかり持つことができず、トイレに行く時は息子の助けが必要でした。健康だった私が廃人のようになりました。突然起きた異変に私は悲しみ、息子を抱いて激しく泣きました。息子は私の苦しい様子を見て、私と一緒に涙を流しました。

 

 しかし妻は泣かず、とても落ち着いて、穏やかでした。彼女は同修を呼んで来て、私がこの難関を乗り越えるよう正念で加持してくれました。同修は私に「怖がらないでください、そして焦らないでください。ただ師父を信じ、大法を信じれば、師父は必ずあなたを救ってくださいます」と言いました。そして私に彼の親戚が脳血栓にかかったが、師父を信じ、正念で関を乗り越えた奇跡、また多くの人の命が危難な状態に陥った時に、師父を信じ、大法を信じて、切り抜けた実例を伝えてくれました。しかも、自らすすんで私の仕事の中で必須なことを一つやってくれました。私と妻の負担は減り、病魔のなか、私達の収入は減らなかったのです。当時の私の状態に合わせるために、妻は私を伴って、病院に検査に行きました。その検査で脳梗塞と診断されました。病院に入院して様子を観察し、治療を受けるように言われました。妻は医者に「それほどひどくはないので、私達は帰宅して、しばらく様子を見てからまた決めます」と言いました。私達は薬をもらって、帰宅しました。

 

 帰宅してから、妻は私に彼女と一緒に『轉法輪』を読むよう勧めました。私はそれに同意しました。私は第七講まで一緒に読みました。その間、私の身体は速やかに回復しました。たった2カ月で、私の脳梗塞の症状はすべて消失し、私は1人で仕事ができるようになりました。それから4年以上過ぎ、私は再び病院に行くこともなく、注射もせず、薬も飲みませんでした。これは師父が私を救って下さり、法輪大法が私に新しい命を下さったと私には分かっていました。

 

 (続く)

 注:
 

 [1]李洪志師父の経文:『二〇一三年米国西部国際法会での説法

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2014/11/10/299634.html)
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2014/11/17/146906.html)
 
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