文/中国の大法弟子 清純
【明慧日本2016年5月30日】私は田舎の大法弟子です。今年72歳で、1998年に修煉し始めました。小学校もろくに卒業できなかったため、漢字をあまり知りませんでした。そのため修煉し始めた当初、法をスムーズに読めませんでした。しかし、どんなに難しくても法を得たいと思って、法を書き写すことにしました。
始めの頃は、字を書き漏らしたり、間違ったりしていて、字も綺麗に書けませんでした。時々書いているうちに、字も見えなくなりました。これは妨害だと思って、それに動揺せず、続けて書き写していくうちに、字もだんだんと綺麗になったし、目もはっきり見えるようになり、自信がつきました。そして、さらに堅持し続けると、以前できなかった座禅もできるようになりました。『轉法輪』を三回書き写してからは、字も大分わかるようになりました。それで真剣に法を勉強しさえすれば、自分を変えることができると認識しました。
新しい『論語』が発表されてから、どれだけ暗記したのか自分でも分からないくらいですが、字が漏れたり、字を付け加えたりして、完全に正しく暗記し、清書できたことは一回もありませんでした。自分も焦りましたが、それでもあきらめずに法を書き写すことにしました。しかし、最初のころは、やはり改善がありませんでした。内に向けて探すと、心を静められないのが原因だと分かって、それで焦らずに一文字、一文字を真剣に書き写すことにしました。書き写す過程も修煉の過程ですので、書き写すことによって多くの執着も放下できました。
現在『論語』を8回書き写しました。以前と比べ、体の状態がとてもよく、軽やかになっています。真剣に法を書き写したことによって、もたらされた状態です。ゆえに法を書き写すことは、法をよく勉強する一つの方法だと感じました。
次元に限られたわずかな体験ですが、以前の私のように、字をあまり知らないほかの同修にもお勧めします。時間がある時に、たくさんの法を書き写すことが、向上するのにとても役立つと思います。