文/中国の大法弟子
【明慧日本2015年9月13日】私は修煉してから何年も経ちましたが、自分の業力が大きく、観念が強く、人心が多く、根基が悪く、大法との縁も薄いので、精進できるわけがないと思ってきました。そのため修煉もだらだらしてしまい、次元が高めるのがとても遅かったです。しかし、大量に法を勉強することによって、私はこの状態を徹底的に変えました。
観念の妨害
迫害が始まってから、私の修煉の環境は一変しました。はじめの頃は、私は一人で修煉していました。その頃は師父の新しい経文を拝見することもできず、私の手元には『轉法輪』と『法輪大法義解』と『轉法輪法解』しかありませんでした。しばらくして偶然に新しい経文を手に入れることができ、一度か二度読んでから、すぐに他の同修に回しました。その後パソコンを購入し、師父の各地での説法をダウンロードできるようになりましたが、ほとんど一回しか読めませんでした。修煉状態がよい時は、多めに勉強しますが、悪い時は、数日も学法せず、一年で『轉法輪』を数回しか読み通せませんでした。
師父はたくさん法を勉強するように、繰り返して強調なさってきましたが、私は言われるとおりにできませんでした。私は『轉法輪』を一日、二、三講も読むことができる同修を見ては、その精進する姿を羨ましがり、自分もこのように突破できたらと思いながらも、各種の観念に縛られ、なかなか精進できませんでした。
法を勉強し突破する
それから私は一人の同修に出会いました。彼と学法について交流し、私は、彼の次の言葉に心打たれました。「法を勉強する時は選んで勉強してはいけない。一冊一冊、一回一回、通して読んで、また多く読めば読むほど向上が速い」と。
とてもシンプルな言葉でしたが、師父の按配だったかのように、私は思いました。私が一気にどう学法すればよいかが分かったように、学法の状態も徹底的に変えました。ちょうど旧正月を迎える時期でしたので、会社が20数日間も休みになりました。この時間を利用して、私は他の事をすべて置いて、法の勉強に没頭しました。毎日、朝、煉功し、それから一日中、法を勉強しました。
不思議なことに、それまでは注意力が分散してしまっていたのに、法の勉強に没頭すると、読んだ法が皆心に入ってくるようになりました。私は常に向上していると感じ、自信もついてきて、正月休み中、ほぼ家から出ず、食事と寝る以外はずっと法を勉強していました。疲れたら、床に横たわり少し寝るのですが、間も無く床の冷たさで目を覚まし、眠気も感じず続けて法を勉強しました。そのようなことを繰り返しながら、一日少なくとも10数時間くらい法を勉強していました。
最初の数日間、本を読むのは、まだ少し遅かったのですが、だんだん速くなってゆき、一番速いときは一日4冊も読みました。効果はとてもよかったのです。
休み中と、仕事が始まってからの数日、合わせてちょうど1か月で、私は師父のすべての経文を一回読み終わって、『轉法輪』も数回読み終わりました。同時に師父の説法ビデオも拝見して、九日間の説法も拝聴しました。
心身とも徹底的に変えた
その1か月間の学法を通して、体内の各空間の良くない物質が絶えず解体され、智慧が一層一層開き、一層一層の殻を突き破り、心性も一層一層上がってきました。
会社が始まってからも、このような学法の状態を保ち続けて、2か月間で、すべての著作を再び読破しました。それから、少し緩みましたが、法を実証する仕事もありましたので、3回目の読破には4か月がかかり、4回目は5か月がかかりました。
この一年の学法を通して、私の修煉状態は完全に変わりました。私は真に心身ともの変化することとは何かを実感しました。それまでの自分は、各種の観念と思想業力の影響で、気に入らないことがあれば、すぐに落ち込んだり、マイナスの情緒が現れてきましたが、大量に学法してから、このような状態がなくなり、楽観的で心は穏やかになりました。そして他の多くの執着心も知らず知らずのうちに学法の中でなくなり、頭もはっきりして、心身とも透き通るようになったと感じました。師父は「人間はまるで一つの容器のようなもので、何かを入れればそれになるのです」[1]と説かれています。私の頭の中には師父の法がいっぱい詰まっているから、良くないものが自然に解体されたのです。
学法する中で、私は自分の向上がロケットに乗っているかのように速く感じました。師父が説かれたように、「ご存知の通り、玉ねぎのように一枚一枚はがしていくと最後に全てなくなります。これがその本質なのです」[2]、私の多くの執着も、玉ねぎのように一層を取り除かれたら、また一層が現れ、更に取り除かれると、またもう一層が現れてきます。私の学法の全過程は、まさしくこのように一層一層高まってきたのです。
精進し確実に修煉する
その後しばらくの間、私は学法の量を求める心を生じてしまい、結局、逆効果になり、法が心の中に入りらなくなりました。。師父は「求めずとも自ずと得る」[3]と説かれていました。私は求めているのではないかと悟り、直ちに自分を調整して、量を求める心を放下しました。すると学法の状態がよかった頃の状態に戻りました。
最近、寝る前に静功を煉って、朝3時半に起き、20分正念を発してから、動功を煉って、それから2時間法を勉強するようにしました。すると学法の時間が更に多くなりました。残りの時間はプロジェクトの仕事をすることにしました。私は自分の向上につれ、ますます法を正す時間が差し迫っていることを感じました。法を正すことが終わりを迎えるようとしている現在、私たちは大法弟子としてさらなる精進を求められているので、少しでも緩むことができません。
今の私は穏やかに法を正す修煉の道を歩んでいます。修煉しているようで、修煉していないような状態を変え、本当に精進できる弟子になりました。これは全て大量に法を勉強したおかげと師父の慈悲なる加持があったからです。これからも、師父の苦心を尽くした按配、まだ肩代わりしてくださったことに背かないように、引き続き精進し、三つの事をしっかりと行うようにし、円満成就して師父について帰ります!
師父、ありがとうございます。
同修の皆さん、ありがとうございます。
注:
[1] 李洪志師父の経文:『精進要旨』「法の中に溶け込む」
[2] 李洪志師父の経文:『ニュージーランド法会での説法』
[3] 李洪志師父の経文:『シドニー法会での説法』