文/中国の大法弟子
【明慧日本2012年10月30日】私は高校生の時、母から紹介されて法輪功と出会いました。当時、私は胃の調子が良くなく、ほぼ毎日胃が痛み、胃が張って苦しんでいました。ご飯を食べると痛くなり、食べなければ、さらに痛くなりました。
『転法輪』を1、2回読んだころから、数日間下痢をしました。これは体をきれいにし、良くないものを取り除いている過程であると、この本を読んで分かっていました。果たして、私の胃は不思議にも痛くなくなり、冷たいものを食べても、勉強で忙しい時、一食食べなくても大丈夫で、新しい胃と交換したかのようでした。にきびもいつの間にか消えてなくなり、多くの同級生たちがどのようにしてなくなったのかと聞きました。私は3年間メガネをかけていました。ある日、教室の一番後ろに座っていた時、メガネをはずしても黒板が見えました。今では視力がよくなり、修煉する前まで苦しめられていたトラコーマ(伝染性の結膜炎)もよくなりました。
母の体の変化はもっと不思議でした。修煉する前、母は全身に病を抱えていました。冠状動脈性心臓病、咽頭炎、頸部脊椎症、胃炎、胃十二指腸炎、尿路感染症、胆嚢炎、B型肝炎、痔、爪甲真菌症・・・など、体中に良いところがありませんでした。何回も心臓発作で気絶し、地獄の入り口まで行ってきました。
修煉してからこれらの症状はすべてなくなり、薬にも病院にも頼らず、十数年来、健康な体を維持しています。テレビでは、法輪功は薬を飲ませないとかデマを飛ばしていますが、体に病気がないのになぜ薬を飲むのでしょうか。母を見て誰もが「本当に若くなり、元気になりましたね。素晴らしい功法だからよく練習しなさい」と言います。もし、母が法輪功を修煉していなければ、現在まで生きているかどうか分かりません。
修煉する前、私も母も2人とも気が短く、話が合わなければ、すぐに言い争いが始まりました。修煉してから、高校の友達は私が優しくなり、以前のように他人を刺激するような言い方はしなくなり、性格が変わったと言っています。昔から「山河の形はたやすく変わるが、持って生まれた性分は変わるものではない」(三つ子の魂百まで)と言いますが、法輪功は私の「本性」を変えてくれました。気が短く、利己的で、勝気で、嫉妬心が強い私が、『転法輪』や法輪功の関連書籍を読み、真に修煉するにしたがって、次第に自分の多くの不足に気づくようになりました。自分が「真・善・忍」の基準から遠く離れていることが分かり、自分を正そうと思いました。常に「真・善・忍」に基づいて自分を要求し、殴られても殴り返さず、罵られてもやり返さず、内に向けて自分の不足を探すことから始めました。
つい最近、父が亡くなり、義理の母と私は遺産をめぐって争いが始まりました。私は長年勉強してきましたが、実は父からもらった学費はそんなに多くなく、高額な学費はすべて母のわずかな年金と母が苦労をして働いて稼いだお金で賄っていました。現在父が亡くなり、義母は私と財産を争い、正確に言うと私の分は10万元ほどです。義母はそれを渡したくなく、親戚の前で私を口汚く罵りました。人は利益の前では人情も道理もなくなり、年長者であることも顧みない醜さを私はつくづく感じました。そもそも私はその遺産が欲しいと思っていませんでした。私は多くを話さず、裁判所に行き、自分の遺産を放棄すると署名しました。周囲の友達はみんなこのようにすることは難しいと言っています。
現在の社会で、財産をめぐって家族が争うことは多くあり、大法弟子は決してこのようにしてはなりません。他人を先に考えて、自分を傷つけたり、侮辱したりする人に対しても、大いなる善の心、忍の心で胸襟を開くべきです。しかしあの時、私は心から平然としていられませんでした。自分は大法弟子で「真・善・忍」の要求にしたがって自分を律するべきだと思い、義母の角度から考え、恨みませんでした。もし修煉していなかったら、このようにすることはありえなかったでしょう。
母もこの件に関して平然としていました。昔のように短気でなく、多くの場合辛抱強く、年下の人の話にも耳を貸し、年下の人に怒られても一笑に付しています。「あなたのお母さんは本当に素晴らしいですね」と周囲の人たちに よく言われますが、「これは法輪功を修煉しているからで、修煉する前はこのようではなかった」と私は思っています。