文/山東省の大法弟子
【明慧日本2017年3月30日】師父は「嫉妬心は中国ではきわめて強烈に現われており、すでに日常茶飯事になっていて、自分でもそれと感じられないほど強烈なものとなっています」[1]とおっしゃっています。十数年間にわたる修煉の中で、自分や周辺の同修たちの言動、他人への排斥的な思惟方式から見ても、この点を反映できます。例を挙げて説明しましょう。
(一)
ある同修は「某兄さんは良く修煉できていて、労働教養を強いられたが、途中で釈放されました。外地に出稼ぎしていましたが、大法の仕事を協調するために実家に戻り、資料拠点を設立し、修煉しているようで実はしていなかった人や、表に出て法を実証していなかった同修らを率いて動き、私たちの県の法を正す局面を開きました。これこそ正法時期の大法弟子と言えるでしょう」と述べました。
同修の発言に対して、「かつて彼は両足を組むことができたが、現在片足でも座禅ができない。学法をしている時、彼は座禅できず、両足をまっすぐ伸ばしている」という排斥的な考えがわいてきました。
(二)
集団学法をしていた際、ある同修は「某同修は刑務所で数年にわたって迫害されていましたが、現在三つのことをきちんとやっています。特に、顔を合わせて法輪功の真相を伝えている時に、その同修の善の心、話し方、法に同化するその和やかさは相手の心の底にまで至ることができて、効果が非常に良かったのです」と言ってから私に向けて、「あなたの性分では難しいですね」と語りました。
私は何も返事しませんでしたが、心の中で考えました。「その同修の説得によって三退した人はたいした数字ではない。私より随分少ないのだ」
他の同修も疑問を発しました。
しかし、その後私は気づきました。疑問を発した同修と私は嫉妬していたのです。
嫉妬心の現れ方は他にもあります。
指摘されると納得できず、指摘されるとすぐに心のバランスが取れなくなります。愚痴を言い、自己流、自負、独断、独りよがり等など、すべて人を見下げることであり、それは嫉妬心なのです。
嫉妬心を取り除かなければ、同修の間に隔てが生じ、邪悪に隙に乗じられ、連行され、迫害されることになります。師父は「すなわち人間は修煉の中で、嫉妬心を無くさなければ正果を得られないもので、そうしなければ絶対に正果を得ることはできないのです」[1]。「今日、わたしは煉功者に向かって話していますが、頑迷に固執して悟らないようではいけません。あなたが達成しようと思う目的はより高い次元へ修煉することですので、嫉妬心は必ず無くさなければなりません」[1]とおっしゃっています。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』