「悪をもって悪を制する」の心を放下する
■ 印刷版
 

文/中国の大法弟子

 【明慧日本2018年10月14日】

 旧勢力を否定することについて再び語る

 修煉者なら、みんな知っていることだと思いますが、つまり、人間は善の一面と悪の一面の両方を持っています。修煉の目的は、自分の悪の一面を除き、善の一面を強め、慈悲の心を修めるようにすることです。

 法を正す中、旧勢力は法輪功学習者の出来ていないところだけを記録しています。旧勢力は、「悪をもって悪を制する」のような方法で、魔難を強めるのです。そして、この方式で大法弟子の悪い一面を取り除き、善を修めるように手伝いますというのです。そうでなければ、虎視眈々と大法弟子を消滅しようと思っています。しかしこれらのことは決して、師父が望んでおられることではありません。師父は旧勢力を認めておられず、大法弟子は全面的に旧勢力を認めず、否定するように求められています。しかし、どうすれば否定することができるでしょうか? ここには個人的な認識が加わってきます。

 法を正す中で、大法弟子はどんな状況に遭遇しても、世の人々に対して、何事も善の念(善の方式)でもって接しなければなりません。広大な慈悲心で人々の背後の邪悪を取り除くことこそ、師父の要求されていることであり、修煉の中で大法弟子が行うべきことです。

 しかし、法を正して18年間が経ちましたが、多くの大法弟子は大な慈悲心を修めることができず、時々、「旧勢力の悪を持って悪を制する」という悪の方式でもって、旧勢力が按排した道を歩んでいてもそれがわからず、口ではいつも、旧勢力の按排を否定すると言っていますが、真からわかって否定していませんでした。そのために、根本から人を救うことができませんでした。

 神韻公演の中に、「海は私の胸襟」という曲があります。歌詞から、師父は私たちの心を海のように広くして、そして私たちを迫害した人々(江沢民、羅幹、周永康、曽慶紅などの罪の大きな人を除く)までも許せるように広くするように望んでおられます。その広い心で、理性を持って人々に真相を伝えます。一部の同修は警官を見たら、すぐに悪い警官、悪辣な警官と呼んでいますが、このような心は広くありません。

 時々刻々( その時その時)、事々物々(すべての物事。あらゆる事柄)に対して、あらゆる面で「善」を修めるように努力しましょう!! 海のような広い広い心で人々のことを心がけていれば、人を救い済度する力もますます大きくなり、大法の威力も巨大で他に比べるものがないほどになります。このようにできてこそ、初めて旧勢力を否定することができます!!

 個人的な認識ですが、適当でないところがあれば、慈悲なる指摘をお願いします。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2018/2/19/361958.html)
 
関連文章