情から抜け出し 修煉環境を純正に保つ
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2017年12月23日】しばらく前、地元の修煉者の間である社のイオン浄水器を販売している人がいました。同修間での転売でしたので、仲介手数料は取っていませんでした。しかし、やはり何か変な感じがしました。その時、この方面の法理がはっきり分かっていなかったため、私はただ助長しないよう買いませんでした。昨日「地元のごく少数の同修が同修間でハチミツを販売したり、化粧品を販売したりしている」と聞いて、いろいろと考えさせられました。実は、迫害を受けた大部分の同修がそのようなことに関与していたことが分かっています。これは深刻な問題で、重視しなければならないと思いました。

 師父が私達に残して下さった環境は、私達を向上させ、修煉させるものです。けっしてお喋りや、商売をするための環境ではありません。このことで困惑するのは「手数料を取っていない」、「同修間での助け合い」というところだと思います。しかし、そのやり取りの中では、修煉者に人心を修めさせるのではなく、むしろ多くの執着心を生じさせているのではないでしょうか?

 浄水器を買った同修は、自分がそれを買う動機は何だったのか、考えてみたのでしょうか? 私達の身体が高エネルギー物質に転化するのも、そして、親戚や友人が災難から逃れられ、平安を守ることができるのも、健康な水とは関係がなく、それは私達の大法に対する強い信念と次元の昇華によるものであり、そして、衆生が真相を知ることによって福報を得られるからです。

 私達は真相を伝え、人を救う時、いつも世間の人に「『法輪大法は素晴らしい』としっかり覚えてください。三退すれば、水の汚染やスモッグはもうあなたを損ねることはなく、きっと福報が得られます」と告げているのではありませんか? なぜ私達自身が水質を心配するのでしょうか? なぜ師と法を100%信じることができないのでしょうか? 浄水器を買うことの背後には、人心が隠されているのではないでしょうか? もし基点が間違っていれば、必ず問題が起きます。修煉は厳粛なものです。個人的に水質を改善したいのであれば、店で様々なブランドの浄水器を買っても問題はありません。それは個人的な行為で、修煉の環境とは関係がないからです。

 話によると、ハチミツも同修が手作業で作ったもので、専用の設備もなく、製品も食品衛生部門の検査を経ていないそうです。しかし、多くの同修はその販売を手伝っていました。どんな商品でも、同修間で広範囲に購入、販売、宣伝するのは、修煉環境の中に常人のものを絡ませ、純粋な修煉環境を妨害していると私は理解しています。私達の修煉方式は後世の人に残すもので、神々も一心不乱に私達の一思一念をじっと見つめておられます。同修間で「いかにして三つのことをしっかり行うか」について話すのではなく、世間話や商売の話をするとなると、修煉環境を不純にしてしまうのではありませんか? 歴史に残された修煉物語に、修煉者の間で商売をする話がありますか? 神はどのように見ておられるのでしょうか? 修煉は厳粛なことです!

 同修間で商売をする、購入する、販売促進する人は、しっかり法に則って悟るべきです。自分の出発点はなんだったのか? 私(し)のためなのか? 他のためなのか? 人を救うためなのか? 大法の修煉形式を守るためなのか? 本当の無私無我はなんなのか? 同修間の環境は修煉の環境で、自らの言動は直接他の同修に影響を及ぼしてしまいます。私達は友達ではなく、同修です! 私達の縁は法の縁です! 師父は「師徒は情を講ぜず 佛恩は天地を化す」[1]とおっしゃいました。私達同修の間では、法に則って助け合うべきです。法に合致することならば行い、さもなければしない、情を絡ませてはいけません。すべての同修の修煉する道はそれぞれ異なります。自らの人心で、師父の按排を妨害しないでください。

弟子:一部の学習者は学習者の間で、マルチ商法や商品の直売を行なっており、他人の善意の忠告を聞き入れられません。[2]

師父:学習者の間で法を正すことと関係ないことを広めている人は大法弟子を妨害しており、法を正す形勢を破壊しているのです! 魔よりも罪が重いのです。旧勢力の言い方を借りれば、魔よりも熱心にやっています! これは本当の意味での破壊です。以前話したことがありますが、誰が大法弟子の修煉形式を破壊することができるのでしょうか? 外的要素は今回の迫害を経て、破壊できたのでしょうか? 大法弟子を鍛え成熟させただけで、ふるい落とされたのは砂です。誰が本当にこの修煉団体を破壊することができるのでしょうか? 誰がこの大法を破壊することができるのでしょうか? 誰にもできず、実践でこれが証明されたのです。私は話したことがありますが、こういうことであり、妨害されたのは執着のある人で、法を破壊することはできません。悪い作用を果たしえるのは内部の人だけです。このようなことを行なっている人は大法弟子ではなく、どんなに長く修煉しても、そういう人を大法弟子として見てはいけません。[2]

師父:自ら大法を護ることは、同様に、永遠に大法弟子の責任です。なぜなら、それは宇宙の衆生のものであって、その中にはあなたも含まれているからです。[3]

 師父は私達に「わたしは実修とは無関係ないかなる活動も、学習者のためにすでに按排した一歩一歩、順序立てた向上の過程を妨害しないようにしてきました」[4]、「わたしたちが今日行なった一切のことも、すべて千秋万代にわたって大法が伝わるための基礎を築いており、完全で、正確で、間違いのない修煉の形式を残しているのです!」[4]とおっしゃいました。

 私達同修同士は必ず法に対するはっきりした認識を持ち、互いに注意を促し、理性的に最後の法を実証する修煉の道をしっかり歩んで行きます。

 注:
 [1] 李洪志師父の詩:『洪吟二』「師徒の恩師」
 [2] 李洪志師父の経文:『二〇一四年サンフランシスコ法会での説法』
 [3] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「法定」
 [4] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「大法石家荘総站への手紙」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/12/12/357745.html)
 
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