旧勢力の按排を否定して、安逸心を取り除く
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文/台湾の大法弟子

 【明慧日本2017年5月8日】先日、身体が妨害を受けて、まるで心臓が喉から飛び出しそうなほど、酷く咳き込みました。きっと自分に漏れがあって、邪悪に隙を乗じられたと認識しました。自分の正念を強める以外に、内に向けてしっかり探さなければと考えました。

 丁度その頃、立て込んでいた仕事が一段落したところで、少し休みを取ろうという一念が生じました。すると、知らず知らずのうちに安逸心が出てきて、修煉のことを怠りました。しかも、その時のRTC作業台の電話で、真相を伝えるチームはシフト制ではなかった為、自分はRTC作業台に上がって、法輪功への迫害の真相を知らせる電話をかけることは、義理を果たす程度のものとみなし、定着できませんでした。さらに、ショートメールの編集を任せられている自分には時間の余裕がないので、法輪功の真相の電話をかけなくても、情状酌量の余地があるとまで狡猾な考えを抱いていました。

 うわべでは、自分が積極的に大法のプロジェットに参加しているように見えますが、内心では怠けたいだけでした。また、自分がかける電話の接続率が低いのですが、ショートメールの編集については、よく同修の称賛の声が上がっていたため、すぐに達成感を覚えてうぬ惚れてしまい、まるで自分が良く修めているかのように勘違いしていました。しかし、良く考えてみれば、私と同じショートメールの原稿をチェックしている同修は常に作業台に上がって、電話をかけている同修ばかりでした。それゆえに、普段から蓄積された経験を基に、迫害の真相を徹底的に伝えることができ、言葉が透徹(とうてつ・筋道が、はっきりと通っていること)した原稿を編集する能力が養われ、原稿を審査する資質が備わるようになったのだと気づきました。

 真相電話がうまくかけられない、人を救い済度することの原動力が足りない時に、まず、自分の修煉状態を見直さなければなりません。なぜ、修煉の過程で遭遇した困難を避けるために、自分が参与している大法のプロジェックトを変えようとしたのでしょうか? もし、自分の修煉状態が定着していて、次元も法の要求に達していて、純粋な気持ちを持ち、切実に衆生を救い済度したい心を持っているのならば、相手も真相を聞き入れてくれるでしょう。そして、大いに人を救うことができると思います。

 ちょうど最近RTC作業台の運営形式も変わり、協調人の同修に、シフトを組むようにと言われました。また、以前のようにシフト通りに真相電話を掛けるようになり、遠回りして、自分はやっと修煉の機縁の大切さを知るようになりました。師父は既にはっきりと「悠々たる萬世の縁、大法の一線より牽く、難中に金体を煉し、何故か蹣跚と歩む」[1]と説かれていました。今生、法を得て、師父に導かれるために生生世世、幾多の苦をなめてきました。ただ、自分の悟性が低く、衆生を救い済度する貴重な時間を無駄にしてしまったと痛感しました。

 再び、RTC作業台に戻り、自分の修煉において、着実に行わなければならないと認識しました。以前、夜に真相電話をかけ終われば、直ぐに休憩を取ってから学法の時間に入りした。しかし、常に意志が弱く、一講を読み終えることができませんでした。今は、10時半に学法の作業台に入り、同修たちと一緒に学法することにしました。たまに眠気が襲ってきますが。学法の状態は以前より良くなり、法の内容に集中することができるようになり、法の中の文字のうわべの意味だけではなく、さらに深い師父の法理を少しずつ得ることができるようになりました。

 RTC作業台の同修と交流する場合、自分の状況はあまり話していません。ほぼ、同修たちの体得を拝聴していました。なぜなら、自分のかけた真相電話の接続率が低く、同修の皆さんに報告する内容が思い浮かばないからです。同修から、真相電話がうまく相手に伝わったという内容の交流を聞く度に、プレッシャーを感じるようになり、自分は同修たちにおよばないと思い、いつも後ずさりをしてしまいます。数日前に、RTC作業台の交流がありました。その交流のテーマは、交流する時に発言していない同修を励まして、自分の体験をみんなとシェアできるようにという内容でした。同修の交流を聞いて、私は悔し涙を流し、心の中は本当に挫折感でいっぱいでした。「なぜ私はいつまでも向上できないのか、次元を突破することができないのか」と自分を責めました。「でも、真相電話がうまく掛けられなくても、掛け続けよう」と理性をもって自分に言い聞かせました。自分の体験を話したくないという状態には、一つの恐れる心が潜んでいるのです。自分の不足に直面したくない、次元を高めようとする努力をしたくない状態なのです。このような状態で真・善・忍の基準に達することができるのでしょうか!

 少しばかりの体得ですので、不適切なところがあれば、同修の慈悲なるご指摘をお願いいたします。師父、ありがとございます。同修の皆さん、ありがとうございます。

 注:
  [1] 李洪志師父の詩:『洪吟二』「神の道難し」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/4/21/345924.html)
 
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