一種の察し難い怠惰と安逸心
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2017年4月14日】最近、学法の際の一種の察し難い怠惰と安逸心に気付きました。

 正法修煉が最後の最後に近づき、江沢民が逮捕されればすべてが終わると思うと、内心に一種の期待と傍観する心理が生まれ、時間があれば時事情勢に注目し、しかも正法修煉の終わる日が来るまで、自分に適するであろう状態を画策しました。

 どのような状態でしょうかか? つまり、毎日少なくとも1講の『轉法輪』を学び、他の新経文も少し読み、4つの定時の発正念を時間通りに行い、週に1~2回のグループ学法に参加し、毎週時間を作って真相資料を配ったり真相を伝える電話をかけたりして、週末の半日を利用して衆生と面と向かって真相を伝えることです。これは正法が終わるまでの私がよろしいと思う状態で、すごく精進しているとは言えませんが、比較的に精進していると言えるだろうと思います。まるで作業工程をこなすような心理状態です。——今日の目標を達成するとほっとひと息つき、しばらく休むか、インターネットや携帯電話のウィーチャット、新唐人の番組、あるいはネットの最新ニュースを閲覧したり、家事をやり始めたりします。この時間帯にさらにもう1講の『轉法輪』を読まさせられると、気が乗らなくなります。また、同修から手伝いなどを頼まれると、私はいつも再三に考慮してから返事するようにしています。なぜなら、自分の日々の計画を混乱させたくなく、他人事によって自分自身に不必要な面倒や妨害、迫害をもたらしたくないからです。当然、私は十分な理由をつけて、相手に理由無き断りという感じを与えないようにしています。

 ここまで書いて利己的で自我を保護し、表面の見かけが堂々としていて遅れたくなく、衆生を救う責任感が薄く、本質から法に同化しようとしていない自分がくっきりと現れてきました。恥ずかしい限りです。最後まで修煉してきて、真実の私はなんとこのような状態にいました。

 最近、大量に学法し真に内に向けて反省すると、やっと自分の法に符合しないこんな状態が、すでに長く続いていたことに気づきました。法を学ぶとき私は、弟子達のために焦っておられる師父の洪大な慈悲を感じました。

 これを書き出して、私と似たような心理状態におられる同修にも、早く自分のこのような状態を調整し、先頭に追いつくように努力し、ダッシュしてほしいと願っています!
 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/4/6/345246.html)
 
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