色欲心に隠れている旧勢力の按排について
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2017年7月3日】もし、これが単純な個人の修煉ならば色欲心の背後に潜む要因は、比較的に簡単で分かりやすいでしょう。一般的には思想業力や観念、色魔、情における貸し借り、世俗の誘惑、そして、様々な情欲で形成された記憶などがあります。このような場合、自分を厳しく律し、法と照らし合わせて自らの言動を抑制し、正しくない思想を排除すればよいのです。

 けれども、今日の修煉は上記の修煉とは異なります。特に、色欲心が表面上のものだけでなく、複雑になってくるので、単に抑制や排除するだけでは、根本的に色欲心を取り除くことはできません。なぜなら、今日の人類社会の全てが大法弟子の修煉を妨げるために、旧勢力が按排したものだからです。その中でも特に色欲心がメインとなってきます。全宇宙において、色欲は最も汚らわしいものであり、人が圓満成就できるかどうかの最大の試練なので、旧勢力は修煉者が色欲心を取り除けるかどうかを最も重要視しています。

 旧勢力の細かい按排の下、今日の性行為は単なる子孫繁栄の目的ではなくなり、すでに人間の主な生活上での意義(いぎとは、行為・表現・物事の価値)になるほど変異したのです。旧勢力はメディアを通じて性の解放や伝統に反する言動などを宣伝し、物質への追求と欲を生き甲斐として人々の思想を操っているのです。そして、「薄い」「透ける」「露出」「タイツ」「セクシー」「エロ」「一夜の恋」「第三者」「2人目の妻」などを社会の風習と潮流にし、カラオケやクラブ、エステ、その類の成人用品を販売している店などが街の至る所にあり、これを幸福の代表するものとし、人の思想に植え付けました。また、科学を進歩させ、いつでも相手が見つかるようにQQやWeChat、ショートメール、チャットなど様々なアプリケーションを出しては全ての人を連結させ、常に情欲が満ちあふれた写真や画像、ビデオ、新聞などが手軽に見れるようになりました。色欲が社会を動かし、全人類を色欲の渦の中に陥れ、社会全体の追求や潮流、知識までも、全てが情欲や色欲をメインとし、これを精神的満足や生活の質、生き甲斐としている人は少なくありません。

 旧勢力はこのような方法を通じて、人々を堕落させ、社会全体の道徳を滑落させているのです。またこれにより、大法弟子の修煉環境においても、常に色欲に満ちたものがそこここにあふれ、至る所で誘惑されているのです。大法弟子が本当に泥沼から抜け出し、純白になれるかどうか試練を与えていると言っていますが、実際は大法弟子を誘惑することで、どんどん下へと引きずり下ろすのが目的なのです。全人類を滅ぼすことを代償に、大法弟子を滅ぼそうとしているのです。

 師父は「旧勢力はすべての大法弟子に対してそれらのものを按排しました。もし大法弟子が師父の要求に従って行なっていなければ、きっと旧勢力の按排に従って行なってしまったことになります」[1]と説かれました。

 外的な誘惑や妨害は見破られやすく、本当の修煉者は自分を厳しく律していることを旧勢力は知っています。ですので、自ら自分を動かすことで、抵抗や拒絶させ無くしているのです。旧勢力は大法弟子の前世だけでなく、人間界に降りてきた瞬間から1人1人に細かい按排をし、今日の色欲とこれに関わる全ての因果関係を構成しました。つまり、今までの生生世世の中で誰かと情を交わし、借りを作ってしまったり、縁を結んだり、怨念を作ったりなど、全てを今世で返すように按排したのです。いつ誰と結婚し、いつ何を欲しがり、誰かに誘惑され、何を好み、どのような人がタイプで、誰に好かれるか、誰と目が合うかなど、すべてが旧勢力の按排により、あなたの色欲心が湧き上がるような事柄や人が現れてきます。そして、様々な因果関係を通じて、あなたの色欲の念を動かし、修煉の中で情や色欲の方面で過ちを起こさせ、そこからもう抜け出せないようにさせるのです。

 それでも、これだけでは大法弟子の試練にはならないと、旧勢力はまだ大法弟子を滅ぼせないことを恐れて、他にもさまざまな按排をしました。天目が開いた同修はこのような光景が見えました。人間界に降りてくる大法弟子の中に、無理矢理旧勢力と契約を結ばされた同修がいて、この時期になると、色欲の問題で過ちを起こします。また、副元神が旧勢力と契約を結んだ同修もいて、大法弟子を操って、色欲に関して言ってはいけない言葉ややってはいけないことをさせます。旧勢力に操られている邪悪な要素もいます。大法弟子の空間場に色欲が働くような粉末を吹き込むのです。それから、別空間で大法弟子の敏感な部分を刺激する邪悪もいて、衝動的に色欲心を働かせます。旧勢力が按排したこれらのことをはっきりと認識していなければ、どれが本当の自分なのかが分からなくなり、旧勢力の罠にはまってしまうのです。

 旧勢力は色欲を用いて全人類を操り、共産党の邪霊で人々をコントロールし、これが正常な正解であると誤った方向へと導いています。また、科学の進歩が社会に繁栄をもたらし、生活に幸福をもたらしていると勘違いさせています。ですので、今日の人々はこのような生活を楽しみ、自らの魔性を放縦しているのです。しかし、このことはある問題を引き起こしています。それは、多くの修煉者がこの方面のことに良く出会うということです。旧勢力の按排を否定し、自分を厳しく律し、自らの思想をきれいにしなければなりません。それでも、配偶者からの誘いの妨げや、周りの人々からの色欲面についての妨害は少なくはなく、明らかに修煉者の空間場の中にいるのに、彼らの言動を正すことはできません。多くの人はまだ色欲心を完全に取り除いていないことを警戒するために、内に向けて探しています。自分のエネルギーが足りなくて、相手の正しくない思想を抑制できず、頑張って修煉しなければならないと思う人もいます。もちろん、これは間違ってはいませんが、絶えず内に向けて自分を探し、修煉し続けなければなりません。

 けれども、もう一つの問題を見過ごすわけにはいきません。それは、私たちもこの汚れた常人社会にいるということです。この状況になれているので、多くの場合、今日の人々を「普通」「正常」と思いかねません。つまり、これは無意識のうちに旧勢力の按排を認めたことになり、修煉者を妨害するために、旧勢力が人々を操ってもいいということを認めてしまうことになるのです。あなたがそう認めてしまえば、あなたの功は人々の思想を変えることができなくなり、相手の礼儀も圓明にはなりません。

 師父はこのように説かれました。「本当のところ、これは人間の一面の法に対する認識不足から起こったことで、人為的に皆さんの神の一面を抑制し、つまり皆さんが修めてできあがったその部分を抑制し、法を正すのを阻んでいるのです。修めてまだできあがっていない一面が、どうして主思想を抑制し、すでに法を得た一面を抑制することができるものでしょうか? 人為的に魔を助長し、それが法の隙につけ入っているのです」[2]

 旧勢力の按排をはっきりと認識し、法に基づいて精進して邪悪に隙を与えないことこそが、我々の神の一面が常に法を正しているのです。

 修煉者は常に大法を用いてすべての物事の是非を測らなければなりません。大法に合わない物事はきっと旧勢力の按排なので、全面的に否定しなければなりません。もちろん、旧勢力の按排によって変異した今日の常人社会も、正常な人類社会ではなく、神が定めた道徳基準から著しくかけ離れています。大法を修煉する者は正しい要因にのみ責任を果たし、正しい表現、正しい要素のみを認めます。例えば、「孝、悌、忠、信、礼、儀、廉、恥、」など、これらのような伝統的な道徳規範こそ、人類のあるべき姿なのです。これは人為的に何かをするのでもなければ、何かを変えるのでもありません。はっきりと認識する事が大切です。全面的に邪悪を否定すれば、我々のエネルギーも自らの空間場内の全ての正しくない状態を正すことができ、負の要素を解体することができるのです。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作: 『精進要旨三』「考えをはっきりせよ」
 [2] 李洪志師父の著作: 『精進要旨』「道法」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/6/19/349810.html)
 
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